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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

チーズバーガー(3・完)

2011-08-29 16:15:42 | 憲法学 判例評釈
トミナガのクラスの議論は、紛糾していた。

そこに、思わぬ解釈が提出されることになる。

実行委員からの通知は二通。

「チーズ入りハンバーガー」の自粛要請。
「チーズバーガー」の実施要請。

よく見ると、前者の自粛要請については
衛生的理由からの乳製品禁止、という経緯はあるものの
趣旨・目的は明示されていない。

このため、自粛要請には解釈の余地があった。

トミナガのクラスには、
ヤマグチ(仮名・17歳当時)という若者がおり、
この若者は、日々屁理屈を述べ、
それを非難されると「屁理屈も理屈のうち」と返答。

クラスメイトを非難(「お前嫌われてるぞ」と攻撃)しているとき、
周囲から非難(「お前だって嫌われてるぞ」と非難)されると、
平然と反論 (「俺が嫌われていることと、あいつが嫌われていることは矛盾しない。
        よって、今の発言は、論点をずらしているだけである。」)。

このような、まぁ、端的にいって、普段は話をしたくない人物だったが、
その日は違った。

ヤマグチの解釈は、まさに、通達をそのまま読む、というものだった。

すなわち

「チーズ入りハンバーガー」をメニューに加えることはできないが、
「チーズバーガー」は加えてよい。
実行委員の通達は、全く同じ内容のメニューが、
別の名前で同時に提供されることの不合理を回避せよ、という趣旨のものだ。

これがヤマグチの理解である。

(もっとも、そもそもチーズバーガーに加え、
 チーズ入りバーガーをわざわざ用意しようとする人間がいるか、不明だが)

確かに、同じメニューが別の名前で同時提供されると、ややこしいことこの上ない。

そういえば、私の学食では、
月見うどんとは別に、うどん+たまごトッピングというメニューがあり、
しかも、前者よりも後者の方が値段が・・・。

(ふむ。チーズバーガーではないが、
 同じ内容のものが、別の名前で提供される事態は、珍しくないかもしれない)

・・・この話は長くなるのでやめよう。

とにかく、これで無事、トミナガのクラスは学園祭を迎えることができた。


さて、話を森林法に向けると、恐らく、最高裁がいいたかったのも
そういうことだったのではあるまいか。

分割できない共有の形態として、既に法は、会社法(当時は商法)という
洗練されたメニューを用意している。

そこに、分割請求権禁止の共有なる良くわからないメニューを加える必要はない。

(どうやら、日本の立法者もうどん屋と志を共有しているらしい)


仮に、森林を安定的に共有させたいなら、
分割できない共有ではなく、
会社の設立を強制すればよい。


これが森林法判決の、あまり明示的には言われていない、
というか、判決に内在はしていたが、ほとんどの人が目をそらしてきたメッセージなのではなかろうか。

チーズバーガー(2)

2011-08-13 07:41:28 | 憲法学 判例評釈
チーズバーガーというのは、
日常ありふれたなじみのある単語であるが、
それについて深く考えたことのない者は多い。

しかし、トミナガ(仮名)とそのクラスメイトは、
文化祭実行委員会のわけのわからない通達により、
この単語について、深く考えざるを得なくなった。

さて、そんな中、最高裁は一つの判決を下す。
すなわち、森林法違憲判決である。


この判決のキモは、
「単独所有」というのは近代民法の大原則であり、
森林「経営の安定」などというふざけた理由で、
森林「共有持ち分の分割請求権」を制限することは
公共の福祉に反する、というところにある。

ローマ法以来の伝統のある単独所有云々という
大上段の構えから、ズンバラリンと違憲判決。
とても、さわやかな判決であった。

ところで、この判決を読んだとき、
最初に、思い出されるのは、森田ゼミである。


私は、学部4年の初頭、ゼミを選ぶことにした。
目にとまったのは、森田修先生のドイツ語文献購読のゼミである。

当然のことながら、
学部時点でドイツ語の文献を読もうという
変わった趣味をもっている人間は少なく、
申し込むかどうか、迷っていた。

その時、当時友人であったアキラ(仮名・研究者志望)が、
「研究者ヲ志望スルナラ、コノ演習ニサンカセザルノミチアラザルナリ」と
帝国大学の学生風の発言をしたため、
この男も、申し込むのだろうと思い、私は森田ゼミに申し込んだ。

ゼミ受講許可者発表の当日、
私は目を疑った。
森田ゼミの受講許可者は「1名」とあり、私の名前がある。

後日、アキラ(仮名・研究者志望)に確認をすると、
「いや、ま、いっかと思って」と、
現代風の発言をしたため、
私とアキラは「友人」から「知人」の関係になった。

その後、森田ゼミでは・・・。
(この話は、長くなるので、というより既に長くなっているのでやめよう)


結論だけを述べると、この期の森田ゼミは学部時代に参加したゼミの中でも
もっとも楽しいゼミであった。

ところで、森田ゼミの中での指導教官の発言中、興味深いものに
「現今、余ハ民法総則ヲ講ジル也。
 共有ノ章ニテ、共有・合有・法人ト話ス。
 是、『分かる人には分かる話の流れ』。」というものがある。

確かに民法総則では、
単独所有からはじまり、共有、法人と続いてゆくと
結合の強さが強くなっていく様子がよくわかる。

・・・。


既に、読者の間には濃厚にイヤな予感が漂っていることと思われるが、
話を続けよう。


森林法違憲判決は、
「経営の安定」なる目的で共有物の分割を制限することは許さないとしている。
いろいろ議論はあるが、ここに強い批判はない。


ただ、一方で、法律は「法人」という分割請求が否定された共有形態を定めている。

株式会社の株主が経営方針に反対だからといって、
一方的な会社財産の分割請求などを認めていては、安定的な会社経営などできない。

会社法は、現代社会で最も重要な法典の一つである。
ある裁判官が、会社法による分割請求の否定を違憲などと断じれば、
その行く末は、目を覆わんばかりであろう。


単独所有は近代法典の大原則であり、共有物分割請求権の制限は違憲である(森林法判決)。

株式会社は近代社会の最重要制度で、そこでは持ち分分割請求を制限せざるを得ない(会社法)。


まさにチーズ入りバーガーを禁じつつ、チーズバーガーを命じるものである。

チーズ入りハンバーガー

2011-08-06 18:09:16 | 憲法学 判例評釈
周知の通り、パンにハンバーグを挟んだ食べ物は
ハンバーガーと呼ばれる。

私は、このハンバーガーという食べ物について
若干の思い出があり、
ハンバーガーショップを見るたびに、それを思い出してしまう。

周知の通り、ハンバーガーショップは、
日本のいたるところにあり、この結果、
私は、しょっちゅうその思い出を想起させられることになる。

さて、若干の思い出というのは、次のようなものである。

私の友人に、トミナガ(仮名)という人物がいる。

ここで、この人物がどのような人物か、若干説明をしておこう。

彼は、非常に理論的な男であり、その才能は小学生にして既に開花していた。

小学生といえば遠足。
遠足といえば疲労。
そして、遠足における疲労といえば
「はーい。疲れたっていわない。
 みんな疲れてんだから。」という先生のお小言である。

トミナガは、このお小言がたいそう気に入らなかった。

トミナガの言い分は、
「自分は、クラスでも特別に疲れやすい体質なのであり、
 ゆえに、自分は他人とは比較にならないほど疲れている。
 よって、自分には疲れたとほざく権利がある。」
というもので、この発言は非常に論理的である。

そして、このトミナガ理論は、論理的である上に、
「特別に疲れやすい体質であるかどうか」について、
客観的立証が困難を極めるため、
「この判決は通常判断能力を有する一般人の観点から見たとき相当だ」
という裁判官の発言並みに反駁困難である。

ただ、一つだけ確かなのは、
この発言に触れた担任の先生の疲労こそ、関係者随一だったであろう、
ということだけである。


・・・。

さて、時代流れて、トミナガの高校では、次のような問題がおこっていたという。

トミナガのクラスでは、文化祭の模擬店でハンバーガーをやろうということになったのだが、
そこで、チーズバーガーをメニューに加えるかどうかが、論点になった。

それが論点になる、という時点でかなりいかがなものかと思われるが、
それは次のような論点であった。

実は、その高校の文化祭実行委員会では、
牛乳や生クリームなどの乳製品が内包する食中毒の問題があり、
「乳製品」の使用を規制することとなっていた。

そして、実行委員会からクラス代表に対し、
「チーズ入りハンバーガー自粛してください」という通達が発せられたという。

・・・。

これだけなら、論点は生じない。
単に、チーズバーガーをメニューに加えなければよいだけである。

ところが、実行委員会は、クラス代表に次のような通達も発していた。

「校長先生は、チーズバーガーが好物のようなので、
 ぜひ、メニューに加えるようにしてください。」

・・・。

要するに、実行委員会は、
チーズ入りハンバーガーはメニューに加えるなといいつつ、
チーズバーガーをメニューに加えろという、
冗談もたいがいにせい、という通達を送ってきたのである。

トミナガのクラスでは、この二通の通達をめぐり、大変な混乱が生じることになった。




・・・というのが、私のチーズバーガーの思い出である。

なお、このトミナガの話は、小学校の遠足の話の部分を除き
ある最高裁判決の判旨をもとに創造したフィクションである。
(フィクションかい!)

次回は、この最高裁判決について語ることにしたい。


PS
ピンクのクラゲのブログテンプレートにかえようとしたのですが、
残念ながらクラゲがなかったので、おさかなにしました。

りんごアップルジュース(3・完)

2011-07-30 18:28:25 | 憲法学 判例評釈
以上の考察から、わかるのは

外務省秘密電文漏洩事件の焦点は、

問題の情報が実質秘だといえるか、と言う点にあるということである。

では、この事件で漏えいされた情報というのは、何か。

沖縄返還に関するアメリカとの交渉過程でやりとりした電文であり、

この事件で特に問題となったのは、次のような情報だったようである。


まず、アメリカは、大戦から占領中にかけて、いろいろあって

沖縄の人々(収用した土地の地主たちなど)から補償ををもとめられていた。

しかし、いろいろ事情があって、補償金を支払う余裕がない。

そこで、日本政府は、補償金の分を上乗せしてアメリカに精算金を支払い、

それを原資にアメリカから補償してはどうか、と提案しようとしていた。


この交渉、見方によっては、

日本政府の日本国民に対する嘘も方便、である。


もちろん、秘密で外交交渉をする、場合によっては嘘をつく

といったことも政府の外交権限に含まれる、という統治機構論を前提に、

これも実質秘だとする見解もありえよう。


しかし、<政府が国民に嘘をつこうとしている、ことを示す外交交渉過程の情報>

と抽象化してみると、これは実質秘にあたらない・・・

と評価する見解があってもおかしくはない。


つまり、この情報が実質秘かどうかは、相当きわどい問題だった。

そして、問題の情報が実質秘にあたるかどうか、こそ、この事案の唯一の争点である。



というわけで、この事案は、ここに焦点をあてて議論すべきであった。


にもかかわらず、判決にしてもその評釈にしても、

記者が取材対象の人格を蹂躙したかどうか、

という、おそらく水掛け論になってしまう問題に

相当のエネルギーを割いて論じているように思われる。


そうした議論のありようは、焦点を拡散させるもので、

結果的に、公権力に都合のよい議論の構造が設定されてしまっているのではないだろうか。

この事案の憲法問題は、

上のような外交交渉をする権限が、政府の権限に含まれるのか、という形で

すぐれて統治機構論的な定式により、定式化されるべきであり、

被告人が取材対象の人格を蹂躙したのかどうかは、

結局のところどうでもよい問題であるように思われる。



(以上の考察については、学部演習における三谷君の報告より、多大な示唆をいただきました。

 ここに記して感謝申し上げます。)



りんごあっぷるジュース(2)

2011-07-25 15:48:56 | 憲法学 判例評釈
さて、りんごあっぷるジュースの概念分析から得られるのは、

同じことを二度繰り返す判決には、何かをごまかそうとする意図がある可能性がある、

という点である。

ここで、真っ先に思い浮かべて欲しいのが、外務省秘密電文漏えい事件である。


この判決の要旨は次の通り。

①国公法にいう「秘密」とは実質秘、すなわち、

 それが一般に知れ渡ると、ものすごい害悪が生じるものをいう。

②被告人は、そうしたものすごい害悪が生じる秘密の漏えいをそそのかした、

 悪い奴である。

③ただ、取材の態様が誠実なら、まあ違法性を阻却する道もあろう。

④でも、被告人は、取材対象の人格を蹂躙した

 悪い奴である。


このように、この判決は、被告人を悪い奴だ、悪い奴だ、と繰り返している。

・・・。うさんくさい。


そこで、少しこの判決について考えてみよう。


この判決に思い浮かぶ素朴な疑問は、

①実質秘説と②当該情報の実質秘としての認定、で被告人に対する非難は尽きており、

③取材行為としての違法性阻却論は、本当に意味があるのか? というものである。


ちょっと、考えてみて欲しい。

それがもれると、すんごい害悪が生じる「実質秘」って、

例えば、どのようなものだろうか?

自衛隊基地の侵入コード、秘密捜査中の誘拐事件の捜査情報、未実施の国家試験の問題・・・。

いろいろ考えられる。


そこで、

受験雑誌の記者が、法務省担当者に対し来年度の司法試験の問題の漏えいをそそのかした!

という事案を考えてみよう。

(機密漏えいそそのかしは、故意犯なので、記者は、
 それがどんな情報か=試験問題だということを認識しているものとする)


この記者の行為、果たして、正当な取材だと正当化する余地、あるだろうか?

取材方法が、外務省事件で問題となったような(人格を蹂躙する)態様でなく、

真剣に頼み込むような態様だったとしても、やはり違法なのではないか?

来年度の試験問題を漏えいさせようとする取材は、

どう考えても不当な行為であるし、

国民も来年度の試験問題を知る権利なんか持ってないはずである。


つまり、実質秘説を前提にすると、

秘密の漏えいをそそのかす行為が、かなり悪質な行為になってしまい

正当な取材として正当化できる余地は、ほとんどなくなる、ということである。


ということは、この事案の決着は、問題の情報が実質秘にあたる(②)、

といった瞬間についており、③以下は、どうも屋上屋というか、

りんごあっぷるジュースであるように思われる。


ふーむ。では、いったいぜんたい、なぜ、

この判決は、③以下のようなちょっと変なことを言い出したのだろうか?