唐突ではありますが、憲法の教科書を見ると
「憲法19条による内心の自由の保障は
絶対保障である」とされていて、
「国家が、国民の価値観や良心に働きかけ
コントロールすることは、
絶対的に禁止される」となっています。
殆どの教科書が、そう書いていますよね。
かなり支持の固い、通説の中でも、かなり固い
鋼の通説と言えるでしょう。
ただ、昔から、この点について
ひっかかることがございました。
労働法など勉強していると、
世の中には努力義務規定というのがある、
といいます。
この努力義務規定、強制執行や罰則の規定がなく、
ただ、「国民は、昇進において男女差別しないよう努力せよ」
とかという義務が掲げられているわけです。
さて、ここで雲行きはかなり怪しくなってゆきます。
この努力義務規定は、差別抑制とか、そういう立法目的があり
他方で、その目的を達するために強制や罰則の規定がないわけです。
そうすると、この規定は、どういうメカニズムで目的を達しようと
しているのか?
多分こういうことでしょう。
手順1 法律が義務として掲げる
手順2 法律は、国民に対し権威を持った言説として受け取られる
手順3 国民の中には、法律が掲げる理想に共鳴し、
そこに掲げられた義務を履行すべきだという
価値を形成する人が登場する。
手順4 マイルドではあるが、義務が履行され、目的がある程度
達成される。
この手順の3が問題です。
これって、まさに内心への介入、価値観の改造であります。
・・・・・・・・・・・・ということは、19条違反。
因みに、強制や罰則というのは、
直接強制や、罰則への恐怖が発生すれば
価値観が変わらなくてもいいわけで、
だから、19条の問題は発生しないんですね。
しかし、努力義務規定は、そういう言い訳は通用しません。
と・いうことは、通説の立場からは、
努力義務規定19条違反で無効、ということになるはず。
ふーむ。
一体全体、この辺のことを内閣法制局や労働法学者の先生は
どのように考えているのだろうか?
また、この問題、どう処理すべきでしょうか?
何かアイデアのある人は、教えてください。
(つづく)