室戸岬の観光を終え、近くの室戸海洋深層水体験交流センター 「バーデハウス室戸」で昼食を済ませた後、荒波にもまれる断崖風景の海岸道路を徳島方面へ向かって行った。
海岸が見渡せる道路の脇には、亜熱帯の花である、ハマユーやハイビスカス、それに赤や黄色の花などが咲いている。
さらに愛車は、サーフインのできる浜や海水浴場、ホエールウオッチングの出航港などを通り過ぎていく。
所々で小さなリアス式海岸のような入江になっていて、湾の中には小さな島や岩礁などがあって、白い波が打ち寄せている。
いつまでたってもあきない光景である。
通行途中に美しい浜辺のある海岸が目に入ってきて思わず車を止める。
高知県と徳島県の県境近くにある大砂海水浴場である。
都会近くにある賑わった海水浴場ではないが、ご覧のような大変美しい海水浴場で、水も非常にきれいで、思わず体を沈め、泳ぎたくなるような気分にさしてくれる。
車はさらにR55線を北上、程なくして道の駅「日和佐」に到着する。
道の駅「日和佐」からは目の前に薬王寺の塔や、南の海側にある山頂には白亜の天守閣の日和佐城が見えている。
水のきれいな大砂海岸海水浴場
道の駅「日和佐」から見た威容を誇る白亜の天守閣「日和佐城」
薬王寺入り口
四国霊場第23番札所「医王山 薬王寺」は阿波路最後の霊場である。
四国一の厄除けの寺(根本道場)として信仰を集め、年間百万人の人が参拝すると言われている。
この寺は弘仁6年(815年)平城天皇の勅命を受けて、弘法大師がこの寺を訪れ、42歳の自分と、大衆の厄除けを願って、厄除け薬師如来を刻んで本尊として安置した。
厄除けの寺としては全国的にも有名であり、最初の33段を女厄坂、次の42段を男厄坂と呼ぶ石段があり、さらにその上には、男女厄坂61段の還暦の坂がある。
厄年の人たちが、一段一段と登り小銭を置き、厄を落としていく風習が残っている。
さらに、この石段の下には、薬師本願経を一石一字にしるして埋められている。
御詠歌には
皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします
薬王寺山門
33段の女厄坂 61段還暦の厄坂
山門をくぐって本堂までに33段の女坂、さらにその上にある42段の男坂へと続いていく。
本堂の前を通り、さらに進むと61段の還暦の坂がある。
還暦の坂を登ると瑜祇塔(ゆぎとう)に出る。
隋求の鐘(右側)
数え年の数だけ打ち鳴らし厄除けをする
医王山 薬王寺本堂
本堂では毎日早朝より薬師護摩経を厳修し、参拝者の申し込みによって、厄除け、その他の所願成就を祈願している。
現在の本堂は、明治21年に再興されたもので、内陣につかわれている28本の柱は旺宿を現している。
本堂の横にある霊碑堂 この前を通ると61段還暦の厄坂がある
司馬遼太郎著 「空海の風景より ・・・石段に厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段ごとに 一枚ずつの一円硬貨を落としていく 」
何事の願いも聞いてくれる観音様 瑜祇塔(ゆぎとう)
瑜祇塔(ゆぎとう)は、薬王寺開創並びに弘法大師の四国八十八ヶ所開創1150年を記念して、薬王寺第21世 故今川哲雲師が中心となって、昭和38年9月に建立したものである。
この塔の本尊は金色の五智如来で、塔の地下室には大日如来を中心に、阿しゅく、宝生、阿弥陀、不空成就の如来が安置されている。
また、階上は寺宝などを展示した資料になっている。
塔の最下部の外側には、大浜海岸のウミガメの彫刻が四方に配置されている。
瑜祇塔(ゆぎとう)下部のウミガメ
境内からウミガメの産卵で知られる大浜海岸の景観
※ 近くにはウミガメ博物館がある
私は何度か、この前の道を通り過ぎているが、立ち寄ったのは今回が始めてであった。
厄年には、近くの神社で厄除けをしていただいて覚えがあるが、このように徹底した厄除けがあるお寺は始めてであった。
多くの参拝者が訪れ、「 一石 一字 厄坂に刻まれた、薬師本願経に 己が厄を落としていく 」 この、真剣な様子が目に浮かんできそうである。
そして、厄が除かれ、全ての人々が健康で幸せな日々を過ごしてほしいと願わずにはいられなかった。
薬王寺の見学を終えた私達は、徳島港を目指して出発して行った。
徳島港からはフェリーで2時間で和歌山港へ到着。
和歌山港からは、高速道路を利用すれば40分ほどで、大阪にある我が家に到着する。
海岸が見渡せる道路の脇には、亜熱帯の花である、ハマユーやハイビスカス、それに赤や黄色の花などが咲いている。
さらに愛車は、サーフインのできる浜や海水浴場、ホエールウオッチングの出航港などを通り過ぎていく。
所々で小さなリアス式海岸のような入江になっていて、湾の中には小さな島や岩礁などがあって、白い波が打ち寄せている。
いつまでたってもあきない光景である。
通行途中に美しい浜辺のある海岸が目に入ってきて思わず車を止める。
高知県と徳島県の県境近くにある大砂海水浴場である。
都会近くにある賑わった海水浴場ではないが、ご覧のような大変美しい海水浴場で、水も非常にきれいで、思わず体を沈め、泳ぎたくなるような気分にさしてくれる。
車はさらにR55線を北上、程なくして道の駅「日和佐」に到着する。
道の駅「日和佐」からは目の前に薬王寺の塔や、南の海側にある山頂には白亜の天守閣の日和佐城が見えている。
水のきれいな大砂海岸海水浴場
道の駅「日和佐」から見た威容を誇る白亜の天守閣「日和佐城」
薬王寺入り口
四国霊場第23番札所「医王山 薬王寺」は阿波路最後の霊場である。
四国一の厄除けの寺(根本道場)として信仰を集め、年間百万人の人が参拝すると言われている。
この寺は弘仁6年(815年)平城天皇の勅命を受けて、弘法大師がこの寺を訪れ、42歳の自分と、大衆の厄除けを願って、厄除け薬師如来を刻んで本尊として安置した。
厄除けの寺としては全国的にも有名であり、最初の33段を女厄坂、次の42段を男厄坂と呼ぶ石段があり、さらにその上には、男女厄坂61段の還暦の坂がある。
厄年の人たちが、一段一段と登り小銭を置き、厄を落としていく風習が残っている。
さらに、この石段の下には、薬師本願経を一石一字にしるして埋められている。
御詠歌には
皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします
薬王寺山門
33段の女厄坂 61段還暦の厄坂
山門をくぐって本堂までに33段の女坂、さらにその上にある42段の男坂へと続いていく。
本堂の前を通り、さらに進むと61段の還暦の坂がある。
還暦の坂を登ると瑜祇塔(ゆぎとう)に出る。
隋求の鐘(右側)
数え年の数だけ打ち鳴らし厄除けをする
医王山 薬王寺本堂
本堂では毎日早朝より薬師護摩経を厳修し、参拝者の申し込みによって、厄除け、その他の所願成就を祈願している。
現在の本堂は、明治21年に再興されたもので、内陣につかわれている28本の柱は旺宿を現している。
本堂の横にある霊碑堂 この前を通ると61段還暦の厄坂がある
司馬遼太郎著 「空海の風景より ・・・石段に厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段ごとに 一枚ずつの一円硬貨を落としていく 」
何事の願いも聞いてくれる観音様 瑜祇塔(ゆぎとう)
瑜祇塔(ゆぎとう)は、薬王寺開創並びに弘法大師の四国八十八ヶ所開創1150年を記念して、薬王寺第21世 故今川哲雲師が中心となって、昭和38年9月に建立したものである。
この塔の本尊は金色の五智如来で、塔の地下室には大日如来を中心に、阿しゅく、宝生、阿弥陀、不空成就の如来が安置されている。
また、階上は寺宝などを展示した資料になっている。
塔の最下部の外側には、大浜海岸のウミガメの彫刻が四方に配置されている。
瑜祇塔(ゆぎとう)下部のウミガメ
境内からウミガメの産卵で知られる大浜海岸の景観
※ 近くにはウミガメ博物館がある
私は何度か、この前の道を通り過ぎているが、立ち寄ったのは今回が始めてであった。
厄年には、近くの神社で厄除けをしていただいて覚えがあるが、このように徹底した厄除けがあるお寺は始めてであった。
多くの参拝者が訪れ、「 一石 一字 厄坂に刻まれた、薬師本願経に 己が厄を落としていく 」 この、真剣な様子が目に浮かんできそうである。
そして、厄が除かれ、全ての人々が健康で幸せな日々を過ごしてほしいと願わずにはいられなかった。
薬王寺の見学を終えた私達は、徳島港を目指して出発して行った。
徳島港からはフェリーで2時間で和歌山港へ到着。
和歌山港からは、高速道路を利用すれば40分ほどで、大阪にある我が家に到着する。
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