馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

LEDロゴプロジェクター検品

2010-03-22 10:40:02 | 日記
3月21日(日) 
香港から届いたLEDロゴプロジェクター3千個
午前中 検品作業する。
一つづつ箱から取り出し 点灯確認
印刷ズレ、汚れをチェック、バーコードを貼る。
妻と二人作業。
移転した柳橋事務所が狭く、大量荷物を置く
スペースが無いのと、作業を外注に出す
経費節減のため自宅で今後することにした。
創業当時に戻ったということ。
昨日も見舞いのため、検品作業が進まなかった。
今日も朝9時半から開始したが
龍ヶ崎から来る友人が谷津に入院している彼の見舞いを
するとのことで12時40分船橋駅に向かえに行く。
13時谷津保健病院着
彼は点滴中だった。待合室に来られないので
終了するまで谷津干潟散歩と新習志野駅近くのショッピングセンターに
彼の依頼でパジャマとトランクスを買いに行く
3時に病院に戻る。
5時病院を出てララポートを案内
5時半いつも あいつが飲んでいる居酒屋 「あんこう」へ行く
店主に状況を説明、退院したら貸切りで飲みたい旨お願いする。
8時船橋駅へ友人を送る。
駅近くにある 「しゃんはいまーらーたん上海麻辣湯」。本格中華、船橋の老舗「とうかいろう東魁楼」のスープ春雨専門店です。に入る。
入院中の彼が食べて行けと勧めていた。
ちょっぴり辛く野菜たっぷり ヘルシー
これ食べると翌朝 便通が快適なのだ。
9時帰宅 妻が黙々と検品作業している。
約1600個検品終了。
妻も仕事していたが今月末で不況のため受託仕事の契約が解除される。
約20年間必死にミスも無く、相手先会社の担当者から
信頼されてやってきたが、それこそ事業仕分けという
大義名分の下 情け容赦なく切られた。
結果、生き残るのは代わりに受託した大手会社と
天下りの方々、結局 弱いもの苛め
表向き 無駄排除、黒字
庶民を泣かして イイカッコするな。

午後9時半私も検品作業する。
まだ 息子も娘も赤ちゃんだった頃
寝かしつけてから、夜中二人で
ボールペンのインクチェックを毎晩したものだ。
そのまま寝ないで納品しに行った。
あの頃は辛く涙出たが子供の寝顔を見て
「挫けてはならない」と頑張った。
今は良き思いでと共に対処の仕方も身につけた。
4月1日には納品
3千個の検品に長い時間と労力かけて
一つの不良品を探し出すという仕事
弊社の経営理念 「FAIL SAFE」の下
飛行機用語で言う「失敗しても安全」
一つの肩翼エンジンが故障してももう一つの翼エンジンで
無事着陸する。
私の仕事も海外からきた商品を日本国内で
再度検品、不良を出さずに納める。
これあればこそ、28年間もやってこられたのだ。

見舞い

2010-03-21 09:28:15 | 日記
3月20日(土)
転院した同期を見舞いに行く。
弊社の女性二人もやって来る。
一人は八王子、一人は中野
京成線船橋競馬場駅 午後1時待ち合わせ
二人とも船橋に降り立つのは初めて。
ララポートで昼食、東関道沿い左手に
競馬場を見て 谷津干潟を通る。
ラムサール条約で結ばれた渡り鳥の生息地だ。
望遠鏡、大型カメラを構えたオジサンがじっと干潟を見つめている。
谷津バラ園を横切り、谷津保健病院に3時着
改装されミニホテルのようなようだ。
彼は大部屋で点滴が終わったところだった。
談話室で会う。
体が少し縮んだように見える。
癌センターから近くの病院とういことは
見捨てたともいえる。
23日からは5日間、昼夜別無く
抗癌注射を打ち続けると聞いた。
当人に告知されない余命
声の出せない彼との、もどかしい筆談
女性二人から胡蝶蘭をプレゼントされ
はにかんだ顔。
元気なのは今だけと知ると辛い。
主がいないリバーサイドマンション
私は毎夜 灯りの点かないない彼の窓辺を通る。


胃ろう

2010-03-14 00:07:43 | 日記
3月11日(木) 彼の転院先病院、診察結果を聞くため
いつもより早く7時に飲み屋で待つ。
私が先に到着した。
ビールを飲み始めると直ぐに彼は入ってきた。
メモ紙に「明日金曜11時に麻酔かけて胃カメラを入れる
結果次第では、そのまま手術する」
「妹も立ち会う」
書いたメモを私に渡すと、日本酒を飲みだす。
かなり呼吸が荒い。
互いに言葉とメモのやり取りは無く
ひたすら酒を飲む。
食べ物は喉の痛みがあるので
殆ど食べず。
40分程で息遣いが更に荒くなる。
自ら帰ると言う。
彼の必需品のメモ紙とボールペンを忘れて出ていった。
飲み屋店主と「今日が最後の酒かも知れない」と
うなずきあう。
夜 10時 携帯に彼からメールが来る
「すまん、情けない」
3月12日(金) 午前8時半 彼のマンションに向かう
ブザーを押す、玄関扉開く
寝巻き姿でやつれた表情だ
「入れとうながすが」断る
「今日の診察結果を妹様から連絡欲しい」と伝える
そのまま駅に向かう
何気に振り返り 彼のマンション住まい3階の角部屋を見る
窓からじっとこちらを見つめている。
午後3時 妹様から携帯に電話が入る
「胃ろうの手術しました。兄は眠っています」。
遠慮がちに「入院する保証人になっていただけますか」
私は「もちろん」と答える
これで彼は食べることは少なくなり胃に直接
栄養分を送ることになる。
その夜、顧客が事務所に来て打ち合わせと飲食
23時 飲み屋に行き店主に彼の状況を伝える
日本酒2合を飲み、客のいない店内に、ひかわきよしの
「ときめきのルンバ」が流れる。
店主とかなりの沈黙時間
11時帰宅 明日は私も午前中治療で日本橋まで行く

朽ち果てる

2010-03-07 13:12:15 | 日記
3月5日(金) 午後6時半事務所に、学生時代同期の 元新聞社支社長と食道癌の彼が
やってきた。4時ごろから居酒屋巡りで浅草馬券売場近くの屋台で飲んでいた。
事務所内で焼き鳥 刺身を買い 発泡酒 日本酒で9時まで飲む。
浅草橋より癌の友人と総武線に乗る。
呼吸が苦しそうで車内の人が見やるほどだ。
少しよろけるので私が支えた。
下車して川沿いの道歩くが足取りはおぼつかない。
腰を支えて彼の住まいの扉開けると
崩れるように玄関で仰向けに倒れる、荒い息遣いと目が白黒激しく動く。
直ぐ携帯で119電話 遅い、来ない。
携帯が鳴る、違うマンションに行ったようで河口のリバーサイドだと
告げ、玄関道路で待ち構える。
男二人女一人の救急隊員、
部屋に入る前に、「末期癌で声出せない、独身 61歳
 余命は一年以内」であると告げる。
治療中の癌センターに運ぶべき 荒い息遣いの彼に
言うが、首を振って拒否、私も隊員も説得するが
ダメ 妹さんに携帯電話で告げるが しゃべれないので
会話が成り立たない。
救急隊員も医療行為は禁止されている。
一同 なす術無しで時間は過ぎる、隊員が上半身を起こし
ガーゼ、バンドエイド 鏡、包帯を見つけ
彼が喉の開口部を大きく開け処置する。
やっと呼吸が楽になり、ベッドに運ぶ。
彼は寝れば大丈夫だとジェスチャーで示す
救急隊は彼に サインさせて引き上げる。
寝入る彼の部屋に両親の仏壇と遺影
毎日 線香をあげているのだろう灰と一輪挿しがある。
61歳の男やもめの2DKの住まいは塵一つ無く
清潔で整理されていた。
3階角部屋からは河口と水門が見え
ベランダから釣りが出来るほどの近さだ。
静かな寝息になったので
明かりを消し 鍵かけず私の自宅に帰った。
午前1時半着

3月6日(土)午前10時首の治療のため日本橋に向かう
 10分首をベルトで持ち上げる。
少しだが痛みが取れだしたようだ。
昼、柳橋事務所で前夜の飲食の残骸片付けと書類整理
2時半帰途 船橋駅下車、3時飲み屋横丁を
通ると3時からオープンする居酒屋を覗く
半楕円カウンターの奥にやはり、あいつはいた。
これから、私は診療所で診察を受けるから
その後 来るからと告げる。
診療所で薬だけ貰うつもりだったが
3ヶ月も経過しているので 診察させられた。
肛門の具合を調べられて順調に快復しているが
2ヶ月に一度医師が指で肛門を広げる必要があると言う。
治療終わり 居酒屋へ
サワーを4杯 煮込み、いわしフライ、マグロぶつを食べる。
余命少ない彼に飲むなと言えず、又一人酒も寂しいから
付き合うが、心は晴れない。
5時半 川沿いの道を歩き帰るが
63歳の生涯で飛んでもないことが起きる。
お腹が動き出したが肛門が閉まらない
冷たいサワーと肴が腸を刺激したのだろう
脱糞したのだ。
先ほど 診療所で医師が肛門に指入れて
拡げた、そのまま筋肉がコントロールできないのだ。
ショック こんな痴呆爺みたいなことが
自分の身に起きてしまった。
昨日倒れた彼の住まいに行く
妻に電話して衣類を持ってきてもらう。
彼の住まいのトイレとシャワーを借りる。
すっかり意気消沈
着替えを済ませ 彼と妻との3人で
行き着けの飲み屋で妻のために食事
当然 我々は飲んだ。
居酒屋のオヤジに驚くべき事を告げられる。
彼が倒れた当日、3時ごろに先ほど行った飲み屋で飲んでいたとのこと
それから浅草まで来て屋台で飲み
更に柳橋の私の事務所で飲んだことが判明
これでは 常人だって倒れる。
ビヤーホールチェーン大手の支配人をしてきたので
35年間 食べるより飲むのが仕事だから
酒も給料のうちとばかり退職するまでを換算すると
3千万円はただ飲みしていた計算
家庭料理も食べず 只ひたすら味付け濃い肴と酒 煙草
食道癌一直線だった。

中国の諺
若い時は 人間が体イジメ
老いては 体が人間イジメル

3月7日(日)午前10時 彼からメールが入る
「昨日は飲みすぎた。部屋のおまえのベルトが置いてあった」
と書かれていた。

返信メール 「申し訳ない 7時半いつもの飲み屋に持って来てくれ」
やれやれ 今夜も人騒動だ。
すこしづつ朽ち果ててゆく私達
窓辺に小雨降る中でショッピングセンター入る
車誘導する団塊オジサンが震えて誘導灯を振っている。
60歳幸せな人達はいるのだろうか