岐阜・タイヤ・キーパー・専門店・イマージン・50才からのイノベーション それからバトンタッチへ!

岐阜でタイヤ専門店を経営しながら洗車コーティング専門店を開業しさらに事業継承する一部始終を描きます。 

ナスカ(為すか)の地上絵!

2010年05月31日 | 日記
南米の大地に誰が描いたのか 上空からみて始めて鳥やサルの模様に見えるナスカの地上絵。

ナスカを「為すか」と置き換えて 休耕田にキーパープロショップを作る構想を草刈をすることで刈った場所と残った場所のコントラストで描いてみようと エンジン付き草刈機で草刈作業を行ないました。



建物を作る場所の草は刈らず それ以外の場所はきれいに刈り取って見ると店舗の構成が浮き上がってきました。 それから寸法を取りながら検討を加え修正をしつつ展開図に写し取る作業が出来ました。
キーパープロショップとして成功を為すか(ナスカ)最初の一番重要な作業です。
これで願望からまた少し確信へ進んだようです イメージが一段と鮮明化してきて これなら建築業者さんへ 私たちの意向を性格にお伝えすることが出来る基礎が固まったと思えます。


「伝える難しさ」という連載ブログを書きましたが こちらの「思い」を相手さんへ伝える為には 伝える側の準備が大切だということが言いたかったわけです。
伝わらないと相手に憤慨するより 伝える側として伝えたいことを準備することが仕事です。 

キーパープロショップとして成功を為すには 段取りが八分を占めると思って間違いないでしょう。  

ナスカの地上絵はどんな目的で描かれたのか知りませんが 岐阜市江添1-5-2に描かれた草刈の陰影は キーパープロショップとしての成功のみならず タイヤプロショップのコラボが成功する成功の合奏曲の始まりです。

伝える難しさ!  その3

2010年05月28日 | 日記
小学生の時 初恋にも似た気持ちを「イタズラ」で表現して嫌われた自分が次に 気持ちを伝える事の難しさに遭遇したのは高校生になってからでした。
少年から青年の思春期に差し掛かって恋心を抱いた人に 今で言う「告る」という事を「映画にいきませんか」という文句が精一杯でした。 当時は携帯などと言う便利なものは存在せず相手の人の家に電話する時は もう心臓がバクバクです。 オヤジさんが出たらどうしようという大きな関門が 自分の勇気を試されているような感じでした。
ワンパクから純情な青年に成長ですね?


タイヤ屋を始めた時は「お客様に伝える」という難しさでしたが 繁盛してくるとアルバイトさんを募集するようになって それをどのように伝えるかという問題にぶちあたりました。  自分の気持ちを女性にに伝える難しさから お客様に伝える難しさにぶち当たり何とかその課題に解決の方向へ進んだ時 仕事をやってもらう人を集める難しさに挑戦といった課題が出てきたわけです。  課題の次元が上昇したわけです。


女性の問題は その後数々の失敗を繰り返し何とか結婚できたことで解決した?と思ったのもつかの間 夫婦間で余計に気持ちが伝えれなくなって独断専行というワガママが頑固さという問題を起こしました。

一つ解決すると 次の課題が必ず出てきます。仕事もそうです お客さんに伝える 働いてくれる人を集める為に伝える 集まったアルバイトさんや社員さんに伝える というように「伝える」事も 好きだ嫌いだというレベルから こうしたいああしたいというレベルに上昇しました。  一人の店が 二人になり三人になり4人5人になると 「伝える」ことにかなりの難しさを感じるようになります。

もちろん今もそうです でも一つずつ課題から逃げずに何とかしようと思っていると何とかなるものです。


タイヤ屋がキーパーに取り組んでいく事を お客さんに伝えることは最初上手くいきませんでした。 当たり前のことです しかし時間の経過と共に少しづつ伝わるようになって繁盛が現実化していくわけです。

これは商売という視点が 「伝える」ということから見た場合 「伝える」ものが「物」から「事」に変わっていくという流れです。 「キレイ」を伝えること それには「キレイ」を学ぶことから始まるわけです。

これはすごいとか これはいいとか「キレイ」ということに共鳴させてもらったことが 原点になっているわけです。


「伝える」という行為の前に まず好きだという気持ちがあるわけですね。
女性を好きになる本能的な気持ちが 「伝える」事の先生なのです。

伝える難しさ!  その2

2010年05月27日 | 日記
赤ちゃんがお母さんに 「腹へった」「ウンチした」とかを泣いて伝えることからコミュニケーションが始まったわけですが 自分では覚えていません。  が確かにそうだったはずです。

言葉が話せないから「泣く」 お母さんはたいしたもので 同じ「泣く」でも これはお腹がすいたのだ これはオシメが湿ったのだ と聞き分け事をされたわけです。

そうして物心が付き出すと 「マンマ」「ブー」といった単語を口にするようになりコミュニケーションが上達していったと思います。



そして小学生なると いっぱしの言葉を使いこなせるようになったわけですが その時始めて「伝える」難しさに遭遇した記憶があります。
何となく気になる女の子がいて 「好きだ」と思う気持ちが 逆にイタズラをすることで逆に「嫌われる」という 思いと逆の方向へ進みだしたのです。  自分的には自分に関心を持ってもらいたい なぜならその子が好きという妙な気持ちがあるからで でも行動は嫌われるようなことばかり。

伝える難しさを知った体験でした。
好きな人に「好きだ」と言えない自分  50のオヤジにも純情な経験があるのです。


小さなタイヤ屋さんを開いても その体験がいろいろ教えてくれました。
お金もなくチラシ宣伝も出来ない でも世間様には「ここは便利で安いタイヤショップです」と どうやって伝えたらいいか? 
まず思いついたのは「夜10まで営業」 他の店が閉まってもここは夜遅くまでやっていると 世間様は気が付いてくれるだろう。
赤ちゃんが「腹へった」と泣きわめくことから 何か目立つシグナルを発することで世間様(お母さん)が気が付いてくれる。


赤ちゃんの泣きわめく行為 上手く伝えようともせず只関心を引く行為です。
伝えることは難しいけど どうしても伝えなくてはお店の存続は厳しい その時役にたったのは赤ちゃん時代の記憶でした。

伝える難しさ!

2010年05月25日 | 日記
言葉は便利な表現力ですが 上手い言葉や飾った言葉では伝わらない事もいっぱいあります、今日はそのお話を一つ。

今回 起業ということでキーパープロショップを作るという仕事をしているわけですが 先立つものは「お金」です 潤沢な資金があるわけでありませんから当然銀行さんにお願いをするのですが それが伝わりません。
当たり前のことです 自分では当たり前に分かっていることも 銀行さんにとっては「未知」のことですから おいそれとはいきません。

まず「キーパーコーティング」が他のコーティングと何が違うのか? 素朴な疑問が質問されます。 次にタイヤ専門店がキーパープロショップを始めるメリットが疑問になります。
当然です おいそれとはいきません。
しかし こういった事は当たり前のこととして準備するのが私の仕事です。

言葉だけでなく「熱く語る」事が 何も知らない銀行さんに振り向いていただき興味を持っていただき融資をしていただく関門突破力になるのです。

手前みそな話で恐縮ですが このブログを書き連ねることがものすごく役立っています。
「こうしたい」「こうなるかも」「こういった問題がある」ということが自分自身において整理されていくからです。


開業のスケジュールが大まかに決まっていきますから 早めに銀行さんに説明して理解していただき納得していただく時間が充分とれます。
まず経営計画と称する文章を出して 今までの経営の経緯と流れを分析したものと キーパープロショップをコラボした予測を添付しました。
すると 銀行さんから聞き取りの訪問があり冒頭の疑問がきます。

言葉で伝える 文章で伝える 資料で伝える 熱意で伝える 目で伝える 使えるものを総動員して伝える  真剣になります。

難しいから真剣になる 真剣になるから周囲を巻き込んで理想が現実化する。
真剣になれるものがあるということは ありがたいことです。

生きるか死ぬかの「ここ一番」という場面が起業 全ての責任を背負う重圧を楽しまなくては経営者は務まらないのかもしれません 自分にはそんなものないと逃げれないから強く生きれる・・・・・・しびれます。

資金の出し手という関門が 商売に真剣さをうえつけてくれるものです。
無いものは無敵になります 敵は作れないから無敵です。

雨に休まる!

2010年05月24日 | 日記
昨日今日と雨が続きます どこか被害が出たとか聞きますが 近辺は静かな雨音が安らぎをもたらしてくれ 眠気を誘います。

果報は寝て待て、頭であれこれ考えるのを止め静かにしているとイノチが動き出すのでしょうか 森羅万象の全てに包まれている当たり前のことがただありがたく感じます。
商売の算段も取らぬ狸の皮算用も 全てお任せです。
ただ雨の音を聞いて休まるとは・・・・・安上がりです。


「キレイ」とは汚れるから引きたち 汚れは多くの場合雨によってもたらされる。
雨の恵みです。



感謝感謝で時がすぎ 感謝感謝で時が巡り 感謝感謝で時が来る。
どの時も 必要不可欠な「時」ですね。
50歳に達して 若い頃雨にいらだったことが懐かしくなりました。

物事の上辺を追って 雨だから客足が悪いとか雨だからひまだとか 雨のせいにしていたのは未熟者の自分でした。 そこから見方が少しづつ変わって雨のありがたさを認めることが出来る心境になってきたのは 少しはオトナになってきたのかもしれません。


頭の考えでは 雨は困ったものと捉えてしまいますが イノチの躍動では雨がもたらす恵みがありがたいものです。

「キレイ」の実現は 雨の恵みの一つです。