岐阜・タイヤ・キーパー・専門店・イマージン・50才からのイノベーション それからバトンタッチへ!

岐阜でタイヤ専門店を経営しながら洗車コーティング専門店を開業しさらに事業継承する一部始終を描きます。 

社会の雑巾としての生き方をする人=イマージン

2010年05月11日 | 日記
私は田舎者です 岐阜県下呂市の山の中で生まれました 物心ついた頃から記憶にあるのは毎日祖母と母が家の掃除を丁寧にしていました 決して新しい家ではありませんが今でも母の日課は家事として掃除を一日の基本としてご飯を作っては掃除 庭の花木の手入れをしては掃除 近所の人が来てお茶で話をしてはその後掃除 畑で野菜の仕事をしては掃除といった具合に やるべき仕事を済ますと必ず掃除をしておられます。
物事のケジメとしての習慣が身についておられる生き方をされています。

タイヤの商いを始めて少したった頃 「タイヤがお客様を連れてきてくれている」という事に思い至って 何がしか感謝の気持ちを表現しようと 廃タイヤを洗ってから廃棄するという行動を始めました それが発展して年一回のタイヤ感謝式に繋がっているのですが 元は祖母と母の毎日の掃除があるのかもしれません。 現在でも店で廃タイヤの葬式は非繁忙期において行なわれています。

そんなことしてもなんにもならんという意見もあるでしょう 事実本店では毎日それを行なっていた人をある店の店長として送り出したのですが その店で彼はそれを行ないませんでした やる事を強制しませんでしたが結果 店はものにならず閉店しました。 タイヤの葬式と閉店の因果関係はわかりませんし そればかりが閉店理由ではありませんが商売の基本が植えつけられなかったと反省する出来事として心に刻まれました。
彼は客あしらいも上手で売ることには長けていたのですが・・・・・・・。どちらかというとカッコをつける生き方から抜けれなかった だから本店で皆がせっせと廃タイヤを洗うという行為を真似てタイヤの葬式はしていたのですが いざ自分が取り仕切る店においてはそんなことが大切ではないと思ったからタイヤの葬式は受け継がれなかったのでしょう。
物事の本質を見る目 桜の根っ子を見る目 感謝を表現する気持ちを 私は指導できなかったのです。

商売は上辺のかっこよさを追うものではありません 根っ子は愚直なまでに泥臭いものですきれいな花びらにあこがれて商売の真似事は出来ても 商売の泥臭さを感じ取ることが出来なければ根無し草となり 社会の変化に沈んでいってしまうといえます。



これからタイヤとキーパーコーティングが私たちの商売の中心になります。
「タイヤが売れた」ということはお客様の中にある不安を拭い取ったということ
「キーパーを買っていただいた」ということはお客様の中にある汚れを拭い取って差し上げたということです。


このような観点から会社・店の名前としての「イマージン」とは社会の雑巾としての役割りを自動車の分野で果たしていこうとするものの代名詞です。
上辺は商売として「稼ぎや儲け」を追いますが 根っ子は「社会の雑巾としての生き方」をする人と定義するネーミングです。

アイ・アム「キレイ」&「セーフティー」 フォー イマージン
「キレイ」と「安全」を主人公に 私たちは雑巾として技を磨き他の汚れや不安を自ら喜んで拭い取る人・店・会社ということです。


よければ雑巾として懸命に働きませんか? 他の汚れを引き受ければ引き受けるだけますます自分自身は磨かれて輝きだしますよ。
我社の若者集団 チーフ臼井君・イトパー君・高山君の仕事振りを目の当たりにすると 雑巾であることに喜びを見い出して輝いています 彼らに触発され未だ見ぬ新たな雑巾が仲間入りしてくると信じれます。

インストラクターや私の役割りは雑巾を固く絞ってやることです 雑巾とはいえみんな人ですから汚れがつきすぎたり乾きすぎたりしますから 愛情をもって絞ることもまた必要なことです。