まーどんなぶろぐ

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■自分を律する

2004年10月26日 | 日毎の些事
アテネの学堂ではあるまいし、モラル(道徳、倫理)についての言葉の定義づけをしましょうなどと言う気はさらさらありません。そもそもモラルとは至って主観的で、仮に10人いれば10通りのモラルがあっても不思議ではないわけです。

「企業法務についてあれこれの雑記」のkataさんが「もう、モラルなんていいよ」で 『別に「これがモラルです」という指標がメンバーの共通認識になっているなら何も文句はない。でも、少なくとも現在の日本は価値判断基準の多様化がとても進んでいて、共通認識を形成できる分野なんてかなり限定されてしまうんじゃないだろうか。』 と書いていることにもうなずけます。

しかしいくら価値観が多様化したとはいえ私たちは皆、元々純心無垢な状態で生まれてきた人間です。あちこちで綻んでいる今の《あたりまえの決まり事を守れない》 《周囲を慮れない》社会状況を良しとは思わない《本来のこころ》も、まだ残っているはずです。現に不祥事を起こし違法性が指摘されると、当事者が「組織の中で長年に渡って(まっとうな判断力が)麻痺してしまった」と悔いている旨が報道されます。

古今東西、人間は例えば神様やお天道様などに対して畏敬の念のようなものを持ち、その畏敬の対象に向かって己を律することを生きていくよりどころとしています。しかし私たち現代人は自分たちの力量をを過信しているのか驕りたかぶっているのかわかりませんが《畏れ入る》気持ちを少しばかり蔑ろにしてはいませんか。

生き馬の目を抜くような殺伐とした社会ですが、今こそ私たち一人一人がお天道様を見上げ《自己を振り返り》 《自分を律しなおす》必要があると思います。宗教や哲学めいたことを言っているのではありません。個々の道徳レベルをほんの少しずつでも引き上げれば世の中だいぶ変わるのではないでしょうか。


『ブロガー新聞』予告テーマ「モラル」へのトラックバックでした。

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2 コメント

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こんにちは (kata)
2004-10-26 21:26:43
気持ちとしてはおっしゃる事は良くわかるのですが、僕としては、



>そもそもモラルとは至って主観的で、仮に10人いれば10通りのモラルがあっても不思議ではないわけです。



とのご認識と同様に、「まっとうな判断力」「道徳レベル」といったものも十人十色なんじゃないかなぁ、と思います。



そう考えないと(ほんとに極論ですが)、オウム信者による確信犯を防げないんじゃないでしょうか。彼ら確信犯は、自分達が持つ「まっとうさ」や「道徳」を純粋に信じて痛んだと思うんです。
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宗教もいろいろ (まーどんな)
2004-10-26 22:05:41
>kataさん、コメント感謝。

ものごと楽観的にとらえた方がいいかな…と考えてみたのですが、カルトについては範疇外でした。まっ私の了見の浅さが露呈したってことでご容赦を。
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