思い出してみるに、日本政府は、これまでいくつも国連に提出された、核兵器の緊急廃絶を求める決議案にことごとく棄権してきたのでした。
核を絶対につかわないのならもっている必要なし。
核をもちつづけることに反対しないということは、つかってもしょうがない、久間さんと同じ認識だということですね。
久間さんはむしろずいぶん遅れて本音を披瀝したまでで、内閣のQmalizationはずっと前からはじまりつづいていたわけです。いや逆に、久間さんのSeifiticationがあったというべきか…。
久間さんが辞職したからには、国連に出される核廃絶決議案に賛成することを誓わないのであれば、内閣総辞職するべきだということになるように思います。
話はかわるけど、ある新聞に載ってた東ちづるさんのビリーズ・ブートキャンプの体験談のコラム、短文ながら笑えるし、本質をついています。
彼女、先日、僕のなじみの「ラウンジKだ」にもきてくださり、壁紙にサインを残していっていただき、実は以前からもっていた親近感が今回なお高まったのでした。
(ほんと、話がかわってるな…。)
ちょっと調べてみたら、少し前だけど、小池・新防衛相、「(日本も)場合によっては核武装をしてもよい」という発言をしているんですね。
いやはや、なんとも…。
原爆投下も「しょうがない」と選挙前にいえばクビで、みんなが忘れた頃に言ったことは不問。
要するに、選挙に影響するかどうかが問題で、核保有・使用肯定論はかまわないと。
憲法9条を変えたらつぎは核武装論が出てくる、という意見にたいして、それは極論・杞憂だという人がいますが、この文脈では、アベさん、内心は核武装したいようですね。