鬼笑で行こう。

おいしいものの話や、まじめでいい加減な不定期評論など…

震災ボランティア  こういう論理は困る。

2011年04月13日 | 鬼笑が語る
被災地につぎつぎとボランティアが入り、活躍されています。

阪神・淡路大震災以来、僕も被災地へボランティアに入り、こうした活動はほんとうに大切だと実感しています。


ところが、ボランティアに関わって、困った問題も。

職場の同僚が、職場でボランティアを募る「緊急集会」を計画しています。
それはいいのですが、よびかけのメールを読むと、ちょっと前のめり過ぎて、困ったもんだと。

「十分に準備してから」「現地の受け入れ態勢が整ってから」というのでは遅い、現地は人手を求めている、とにもかくにもまずは現地入りを--といった調子。

遠方で開かれた集会に出かけたのは熱心でいいのだけど、そこで専門家から「溺れている子どもがいるときに、泳ぎ方を習ってから助けにいったのでは遅い」といわれて目が覚めた、と。


災害問題の専門家がなぜこういうことを言うのかと訝しく思うのだけれども、こういうのがいちばん困ります。

たしかに、溺れている子どもを目の前にして「さあ今から水泳の特訓だ」と言うのはどうかと思いますが、だからといって「習ってからでは遅い」とカナヅチが飛び込んだのでは、溺れる人をひとり増やすだけで、ほかの救援者に迷惑をかけるばかりです。

もっともよくないところは、ボランティアに行きたいと思いつつ何らかの事情があっていますぐ現地に行けない人に、「自分はあれこれ理由をあげつらって溺れる子どもを見捨てようとしているのではないか」と自責の念を抱かせること。
「とにかく現地へ行け」という強迫になりかねません。


僕も、若い仲間に声をかけて、現地へ行こうと考えています。
そのためには、現地の受け入れ態勢をはじめ十分な情報を集め、周到な準備が必要です。

レベル7であることがようやく明らかにされた原発からの放射能、飛散が確実なアスベスト、……いっしょに行く人の安全確保もたいへん。
日常生活に必要なガソリンもなかなか入手できないところにバスや数台の車で入って、帰りの燃料買って迷惑をかけることなども考えなければいけない。


それぞれの判断でボランティアに行くことを否定しているのではありません。
それは必要なことであり、ぜひやってほしい。

「いま行かないことは溺れる子を見捨てるようなもの」とばかりに、職場や地域、学校などでボランティア参加を強迫することは、厳に慎まなければならないと、言いたいのです。


原発がますますたいへんなことになることは確実だし、阪神・淡路などとくらべても、今回ははるかに長期の取り組みにならざるをえません。
ほんとうに、今以上に、ボランティアの支援が必要なときになって息切れしていないように、長期的な視点に立った覚悟が求められます。

原発は「壊れても仕方ない施設」か?

2011年03月31日 | 鬼笑が語る
 誤解を恐れずにあえていえば、世に「壊れても仕方ない施設」と、「絶対に壊れてはいけない施設」というのがある。

 今回と同規模の地震が直下で起こっても壊れない橋。
 現代の技術をもってすれば、造ろうと思えば造れる。
 けれども、そうした地震が起こるリスクとかかる費用を考慮して、ふつうはそんなに頑丈な橋は造らない。
 これは、はっきり言えば、橋は「壊れても仕方ない施設」だと考えられているということだ。

 たまたま橋を渡っているときに大地震が起こって橋が落ちたとしたら、それは「不運」ということになる。
 (土木工学の専門家から、「橋は走って渡れ」という言葉をきいたことがある。)

 これが、ダムになるとそういう訳にはいかない。
 膨大な量の水を貯めたダムが万が一にも倒壊すれば、下流(たいていは都市部)では、とんでもない大惨事が起こることになる。
 だから、ダムは、絶対に壊れないように造られている(ことになっている)。


 今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故。
 東電関係者の言葉として、「どこまで想定しなければいけないのか、キリがないというところもある」「隕石の落下まで想定しなければいけないのか」といった発言が報じられている。

 結論的にいえば、そこまで想定しなければ、いけない。

 原発反対論者の一部が、「ジャンボジェット機が墜落したら」「隕石が突入したら」といったことを言う。
 それに対して、電力会社はじめ原発推進者は、「そんなことはあり得ない」「そこまで言い出したら何も造れない」と反論する。(「何も」ではなくて「原発を」なのだけれど。)

 1985年の御巣高山の事故以来、日本ではジャンボジェット機の墜落事故は起こっていない。「もう四半世紀も墜落していない」という人もいるかもしれないが、逆に言えば、就航15年程度でこのせまい日本列島の陸地に墜落しているのだ。

 ここで、最初の、「壊れても仕方ない施設」とそうでない施設の話にもどる。

 極端にいえば、ダムにジャンボ機が激突したり隕石が直撃したりして決壊したら、下流ではたいへんなことになる。
 数千人、場合によっては数万人規模で死者が出るかもしれない。

 しかし、これは、場所を選んだり、設計をどうこうしたりして人間が防げる事故ではない。
 下流域で大惨事が起こっても、生き延びた人たちは、筆舌に尽くしがたい苦労をともないつつも、また町を再建し、生活を再建することができる。

 原発の場合、これも場所や設計の問題ではないが、原発とその周辺(おそらくは非常に広い地域)は、ひとが住むどころか近づくことさえできない場所になってしまう。

 「地震や津波では絶対に壊れない原発」を造ることができたとしても(実はそれ自体、ほとんど無理なのだが)、「誰の責任にも帰すことのできない理由で原発が壊れる」ということはあり得るのだ。

 原発推進論者にいわせれば、隕石やジャンボ機の直撃を想定しろというのはほとんど言いがかりのようなもので、「そんなことまで言い出したら、原発は造れない」のである。

 しかし、「そんなこといったら原発は造れない」というのは、「原発を造る」ということを前提とした思考だ。


 結論の第一。
 需要それ自体の抑制や、再生可能エネルギーの開発など、原発にかわる方向性を真剣に考えなければいけない。
 端的にいえば、24時間休みなくフル回転で活動する社会でいいのか、ということだ。

 第二。
 それらを推進してもなお、原発抜きの供給を需要が上回るのであれば、我々の社会は、エネルギー供給の絶対的限界に突き当たっていると考えなければならない。

 つまり、社会のあり方そのものが、もう「やってはならないことをやっている」状態になっているということだ。

 今回の大事故は、日本社会がこうした絶対的限界を越えてしまっていることをしめしている。

 これは、相対的限界ではない。絶対的限界なのだ。
 

 

震災・原発事故にあらためて「科学リテラシー」を考える。 その2

2011年03月18日 | 鬼笑が語る
 名古屋からのお友だちといっしょに県内の遠隔地でお仕事。

 往路の車の中で、自然と、震災・原発事故の話題に。

 彼女--
 「あの日は、たしかにおかしかったんです。
 朝からどんより曇って、これまでみたことのないような嫌な雰囲気の空で。それが、突然さっと晴れて、それまでがウソのような真っ青な空に。
 いやーな予感がしていたら、大地震が起こったんです。
 やっぱり、『予兆』ってありますよね。」


 人間、何か大きなことがあると、それに意味づけをし、何かと関連づけたくなるものです。


 大地震と天候の間に何からの関係があるのかないのか、そのあたり、僕は専門家ではないし、おそらく専門家の間でもいろいろ議論があるところかとは思います。

 でも、彼女の話は、明らかに、おかしい。科学の初歩に違反しています。

 かりに、地震と天候の間に何らかの関係があるとしても、それなら、名古屋の空ではなく、震源地(帯)の上空を問題にするべきです。
 そこでも同じような天候の変化があったのか?

 あるいは、地震と天候の間に関係があるのではなくて、人間の予知能力・予感と天候の間になんからの関係があるのだとすれば、岩手・宮城・福島など被害の中心となったところの天候を問題にするべきです。

 要するに、彼女の言っていることは、なんの関係もないふたつの事柄に、あとからもっともらしい関係の意味づけをしたにすぎない、ということです。

 だいたい、こういう「不吉な予兆」というのは、それまで雲ひとつない快晴だったのに一転かき乱したように黒い雲が湧き起こり……というのが定番なのですが、曇天から快晴になったのなら、意味づけをするにしても「吉兆」だと思うのですが。


 こういうと、彼女、「そういう愚かなところが『人間らしい』ということなんですよ♪」と。

 これもちがう。

 賢明でない、愚かなことだと分かっていてもやってしまう、そういう「愚かさ」が人間らしいというのは、僕もそう思います。

 たいして似合わないブランド物に大金を費やしてしまう。
 こんな女とつきあっていたら、たがいにどんどん堕落してしまう、と分かっていて別れられない。
 安月給で安アパートに住んでるのに、無理なローンを組んでフェラーリを買ってしまう(無理か)。

 いいか悪いかは別として、そういった愚かさも人間らしさの一部であり、関係者の苦労はあるとしてもある意味、愛すべきものだとは思います。


 こうしたことは、もともと、「曖昧な問題」で、科学の対象とならない問題、あるいは科学が苦手とする問題なのです。
 似合わないブランド物にお金を注ぎ込んで貧乏するのは、愚かなことのように思えるけど、そのブランド物の支えがなければ、精神的に破綻してもっと悲惨なことになったかもしれない。
 恋人は性悪女かもしれないけど、無理して別れたら、孤独に苛まれて鬱病になるかもしれない。
 貧乏なうえにフェラーリに乗るというアイデンティティさえ失ったら、もうあまりに惨めで自殺したかもしれない。

 全部、「しれない」だけれど、どちらがいいか、必ずしも断定できないのです。

 それにたいして、「名古屋で曇天から晴天に変わったことと今回の地震の間には何の関係もない」ということは、断定的に言えることです。


 曖昧な部分があるほうがいいという人間世界の道徳の分野の問題と、人間の存在・不存在に関わらない客観世界の科学の分野の問題を混同してはいけない、ということです。


 科学の守備範囲と、科学の守備範囲外とをきちんと分けて、ごっちゃにしない、ということが大切です。

 「あらゆることが科学の守備範囲だ」というのもまちがいだし、「あれもこれも科学の守備範囲外だ」というのもまいがいなのです。


 話をもどすと、「愚かさ」の意味がちがう。
 「不合理と(うすうす)気づいていてもやってしまう」という意味の愚かさは、ロボットとはちがう、人間らしさではあります。ロボットには、設計ミスやプログラミングミスはあっても、「愚かさ」はありませんから。
 「明らかに不合理なことなのに不合理と気づかない」というのは、やはり、科学リテラシーに問題があるということなのです。
 

福島原発の再建は東京で

2011年03月14日 | 鬼笑が語る
日本列島は、数々の地震や火山活動をともないつつ、その形成過程にある。

--地質学などでは常識に属することです。


何かことがあるたびに責任ある立場のひとが「想定外だ」とだれもが想定する言い訳をしますが、ほんとうは想定内のことで、言い訳しているひとが目をそらしあるいは閉じていたか、恐るべきことにほんとうに無知だっただけのことです。

世界有数の「地震の巣」の上に原発を置くということは、よほどの覚悟が必要なことですが、日本社会全体がリスクと不確実性を考慮したうえで、覚悟を決めて電気を大量消費しているとは思えません。

いずれにしても、リスクと犠牲の大部分を地方に押し付けるのは、ほんとうにもうやめてほしいです。

福島第一原発の代替施設の建設は東京で。
それがダメなら、供給の範囲に需要を抑えるほうを考えるべきです。

震災・原発事故にあらためて「科学リテラシー」を考える。

2011年03月13日 | 鬼笑が語る
 今回の震災と原発事故については、すでに多くが語られているし、僕も何かをまた語ることがあるかと思いますが...


 こういう非常時に、国民の「科学リテラシー」を普段からどれだけ高めているかが、問題になるように思います。

 「リテラシー」は、普通は「識字」のように訳されますが、この場合の「科学リテラシー」は、「似非情報・似非科学に出会ったときに、科学のコンテキスト(文脈)から考えて、『これはおかしい』と怪しむぐらいの感覚」と思ってください。

 たとえば...
 「関西電力に勤めているひとからの依頼でひろめているメール」として--
東北・東京両電力会社の発電所がダメージを受けた。
それで、関西電力・中部電力から電力を融通することになった。
関西に住んでいる私たちにせめてできることとして、節電につとめましょう。
それで、被災地の携帯電話が充電できたり、病院の医療機器がつかえたりして、ひとりでも多くの命が助けられます。
--というようなメールが、多方面に飛び交っています。
(あとを追って、打ち消しのメールも多数、出ています。)

 そこそこの「科学リテラシー」があれば、これはチェーンメール化をねらったイタズラメールだとすぐ分かります。

 被災地は送電施設が壊滅状態で、関西で節約した電気が被災地に届くことはほとんどありません。

 周波数も、西日本60Hz、東日本50Hzで、そのまま送電しても使えません。
 変換施設が3、4カ所ありますが、最大限稼働できても、約100万キロワットまでで、(ないよりましかもしれませんが)焼け石に水です。(そもそも上記のように、被災地に届かないのだから、変換しても意味がない。)

 同様に、「コスモ石油の施設が爆発・炎上し、有害物質が大量に放出された。雨や風にあたるとたいへんなので、なるべく外出しないように」といったメールも出回りました。

 これも、普通に考えて、メールを転送する前に、コスモ石油のホームページをみることが必要だし、第一、外出したら危険なほどなら責任ある機関から何らかの発表がありそうなものですが、狼狽して転送した人が少なくなかったようです。

 有線・無線どちらも、できるだけトラフィックを少なくして、ほんとうに必要な情報を流さなければならない局面。
 電話が通じなかったり、メールが届かなかったために、間一髪が間に合わず命を落とした人もいるかと思われます。

 こういう局面で愉快犯的イタズラをする人の退廃ぶりは、本当にみすぼらしく醜いこと、この上もありません。

 同時に、危機的局面にかぎらず、普段から、似非科学・情報、擬似科学・情報に接したときに、直感的に「なにかがおかしい」「ちょっと立ち止まって考え直してみよう」と思うぐらいの科学リテラシーをもちたいし、ひろめたいものです。

「北方領土は千島にあらず」って…

2010年11月07日 | 鬼笑が語る
 前回(4日)、「国後・択捉は千島にあらず」という議論は通用しないといいましたが、きょう(7日)の朝日新聞は、「サンフランシスコ平和条約で放棄した『千島列島』に国後・択捉は含まれない」という政府と同じ見解を述べています。(国会審議で国後・択捉も放棄したと受け取れる政府答弁もあった、とは4行だけ述べていますが…)

 わざわざ地図をしめして、得撫(ウルップ)島とそれ以北だけを「千島列島」としています。
 では、国後・択捉は、何列島に属していたのでしょうか?

 朝日新聞の記事の一番の問題は、「日本とロシア・ソ連の国境の変遷」と、地図つきで日露通好条約、樺太千島交換条約、ポーツマス条約、サンフランシスコ平和条約と「国境の変遷」を図示しているところ。
 平和的な交渉の結果結ばれた条約と、戦争のあと「戦利品」として領土を分捕った条約とを同列に論じています。

 ポーツマス条約では、日露戦争の「戦利品」として、日本が南樺太を領土に組み込みました。

 サ条約では、第二次世界大戦の大原則である「領土不拡大」に反してソ連が要求した千島列島(国後・択捉をふくむ全千島)にたいする一切の権利を日本が放棄しました。

 肝心なのは、サ条約が領土不拡大の原則に違反して、日本に千島を放棄させたことです。

 日本が日露戦争の「戦利品」として奪い取った南樺太をソ連に返還したように、第二次世界大戦の「戦利品」としてソ連が奪い取った全千島を日本に返還させる。--これが、歴史的にも、国際的にも文句のつけようのない、問題解決の道筋です。
 (歯舞・色丹は、千島ではなく北海道の一部なので、こうしたことと関係なく、即時、返還されるべきです。)

 朝日新聞が、政府と同じく言っていることは、「国後・択捉は一度も外国領になったことのない日本固有の領土だ」ということです。
 このこと自体は事実ですが、「だから国後・択捉は(サ条約で放棄した)千島に含まれない」といいだすと、筋が通らなくなります。

 サ条約で千島を戦利品としてソ連(現ロシア)に差し出した誤りを不問にしようとするから、問題解決の糸口さえつかめなくなる。(戦利品を要求したソ連が悪いのですが。)
 仮にロシアが、現在の日本政府の主張に譲歩して、国後・択捉を返還したとしても、不当なサ条約はそのまま残り、北千島はこのままロシア領に入れられたままということになってしまいます。

 戦争に勝ったからといって領土拡大を求めてはいけない・認めてはいけない、という大原則に立った交渉を堂々と行うことだけが、本来あるべき全千島返還へつながる道です。

 いまのままでは、日本の主張が最大限とおっても、北千島は確実に得られるという、ロシアにとってたいへんおいしい状況になっていることに気づかなければなりません。

 

「北方領土」は返ってこない

2010年11月04日 | 鬼笑が語る
 日本のマスコミは、ほんとうに、ダメだと思う。

 「北方領土」という呼び方。

 マスコミがこぞってこの呼称をつかうので、たいていの日本人も「北方領土」と呼ぶ。

 こんな呼び方をしている限り、千島と歯舞・色丹(「北方領土」は、南千島と歯舞・色丹に該当)は返ってこない。


 千島をめぐる歴史的経緯。
 1855年の日魯通好条約で、千島列島における日本とロシアの国境は、択捉島と得撫(ウルップ)島の間とし、樺太は両国民の雑居地ということにした。
 1875年の樺太・千島交換条約で、樺太はロシア領に、その引き換えに得撫以北の北千島を含め全千島を日本領とした。
 ところが、第二次世界大戦の末期、1945年2月のヤルタ会談で、ソ連のスターリンが千島の引き渡しを要求し、米英もそれを認めて密約とした。(1943年のカイロ宣言の領土不拡大の原則に違反。反ファシズム、反軍国主義の連合国側の大義を汚した。))
 結果、1951年のサンフランシスコ講和条約の第2条C項で、日本は千島を放棄することになった。

 不当なのは、ソ連の要求であり、それを受け入れた米英ソの密約であり、サンフランシスコ講和条約。

 だから、やるべきことは、サ条約2条C項の不当性を国際世論に訴え、この条項を廃棄することだ。
 返還の対象は、「北方領土」(南千島と歯舞・色丹)ではなく、全千島と歯舞・色丹。
 (歯舞・色丹は千島ではなく北海道の一部なので、ソ連・ロシアが支配することは、サ条約にさえ反する。)

 領土不拡大は、連合国の錦の御旗だし、平和的な交渉によらない領土取得の禁止は戦後世界政治の大原則なので、サ条約2条C項の廃棄の要求に正面切って反対できる国はない。

 だから、素直にこの線で行けば、南千島だけでなく、全千島を取り返すことができる。(歯舞・色丹は、サ条約云々に関係なく、即時の返還を求めるべき。)

 それなのに、歴代政権は、アメリカ中心のサ条約にケチをつけるのは畏れ多いということだろう、この「素直な線」があることを隠してきた。残念ながら、民主党中心の政権にかわっても、ここはかわらない。
 戦後日本政治の、アメリカ追随主義。
 (サ条約は、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアをのぞく連合国48カ国との間で調印。)

 それで、苦し紛れに言っているのが、「国後・択捉は千島ではないので、サ条約2条C項の対象外だから、日本のものです、返してください」ということ。(それで、「南千島および歯舞・色丹」と呼ばず、「北方領土」と呼ぶ。「南千島」と言った途端、「じゃあ北千島はどうするの?」という問題になる。)

 千島を日ロどちらの領土にしましょうか、という交渉の結果、樺太・千島交換条約で全千島を日本の領土としたのだから、「国後・択捉は千島にあらず」などという理屈は、国際的にまったく通用しない。
 こんな理屈は、ロシアだけでなく、どの国からも相手にされない。
 だから、「北方領土の返還を」などと言っている間は、千島は返ってこない。
 だから当然、「北方領土」は返ってこない。

 もし、ロシア側のなんらかの判断で歯舞・色丹と南千島だけを日本に返す、ということがあったとしても、そのときには、日本側は、北千島返還を要求する大義を永遠に放棄することになってしまう。


 よく、愛国なんとか団とかいうような右翼団体がセンスの悪い街宣車に「北方領土奪還!」などと大書しているが、ちゃんちゃらおかしい。
 愛国どころかやつらこそ売国奴だ。
 ロシアの都合で南千島と歯舞・色丹だけ返してもらえたら、それでいいのか?
 得撫島から占守(シュムシュ)島までの北千島はロシアに永遠にくれてやるのか?

 メドベージェフ大統領の訪問先が得撫だったら、右翼もマスコミも黙っているのだろうか?
 大統領が得撫を訪問したときのマスコミの報道をみてみたい気もする。(日本領への勝手な立ち入りはダメだけれど…) 



 

恥を知る、ということ  森永卓郎さんに寄せて

2010年07月20日 | 鬼笑が語る
さっきテレビでちらっと、森永卓郎氏のコレクションについて、みた。

メール打ちながら横目でみていただけなので、詳しいことは分からないけど、ひとつ何十万円もするミニカーがあったり、コレクションを納めるために家を一軒買ったりと、合計8千万だかなんだかという大金を趣味につぎ込んでおられるらしい。

他人の趣味だし、それだけの甲斐性があってのことだから、とやかく言うこともないとも思うのだけれども...

たしか森永氏は、「年収300万円で幸せに生きる」とかどうとかいう書物を著しておられたように思う。

小泉新自由主義「改革」が猛威をふるっているさなかに、弱者に配慮した経済政策を論じておられたことには、敬意も感じている。

だから、なおさら、今回のテレビでのコレクション披露には違和感を感じる。

一説には年収3億円超の森永氏のこと、これぐらいのコレクションをもっていて当然ともいえるし、そのこと自体には、僕も何らの異論もない。

けれど、「年収300万円」(それさえいまでは難しくなってきている)を云々しながら、数千万円のコレクションを『テレビで披露する』神経には大きな違和感を感じる。

そもそもコレクションなどというものは、個人で、あるいはごく仲間内でひっそりと楽しんでいればいいもので、テレビで披露すること自体あまり上品とはいえないが、「年収300万円」で幸せにとかどうとか人にいっていながらこのようなコレクションを披露するのは、下品だ。

失業問題を論じる討論会にフェラーリで乗り付けるようなもので、いささか平常心を失っているものと思われる。

失業者が集まっているところにフェラーリで乗り込めば、冷たい視線を感じ、さすがにしまった、まずいことをやってしまったと思うだろうけど、まわりは普段と同じなじみのテレビ局のスタッフ、「失業者の集いにフェラーリ」と同じことをやっていると気づかないのだろう。
こういうのを、悪慣れという。

本人に悪意はないだろうだけに、ちょっと救いようがないようにも思える。

華やかな場所でも貧困者のための論陣を張られるのは立派だと思うけれども、せっかくなら、貧困の現場にもっと足を運んでほしいと思う。

ギリシャのようにならないため、だって?

2010年07月07日 | 鬼笑が語る
ギリシャのようにならないために、消費税増税だって?

何をいってるのか…。

しかも、法人税減税のほうには口をつぐんでいる。

ギリシャはこの十数年、法人税を減税しつづけ、消費税を引き上げてきた。その挙げ句の財政破綻。

ギリシャのようにならないためには、消費税を上げない(むしろ下げる)、法人税を引き上げる。(中小企業への配慮は当然。)

消費税増税

2010年07月01日 | 鬼笑が語る
消費税増税。プラス5%で、ざっと11兆円の増収。

法人税減税。実効税率40%から25%で、平年でざっと9兆円の減収。

消費税増税は、財政再建のため、社会保障のため、…ぜんぶウソ。

ただ、祈るのみ…

2009年02月21日 | 鬼笑が語る

やっと巡り会えた、心からの同志。
「同志」と呼ぶには気がひけるほど、気高く、志と気品に溢れ、控えめで、……ともかく、傲岸な僕がただただ尊敬できる人。

ひとこと、かっこいい。

きょうお連れ合いから携帯に電話が入り、信じられない、「危篤」「百にひとつでも助かれば奇跡」とのこと。

たった1週間前にご本人からお電話をいただき、「肺炎で入院して、申し訳ないけれど、その間のことをよろしく」と、とても元気なお声を聞いたばかりなのに。
その1週間前には、僕が仕事の都合で出られなかった、行政相手の裁判のあとの会合を仕切っていただいたばかりなのに。

いまは、もう、ただ、ご快復を祈るばかりです。


この時期にこそ、信頼

2009年02月05日 | 鬼笑が語る

 きょうの朝日新聞「私の視点」のページに、「イタイイタイ病 被害者の信頼回復に40年」と題する渋江隆雄・神岡鉱業社長の文章が載っていた。

 イタイイタイ病が公害病と認定されて昨年で40年。被害者団体の記念集会に招かれ、講演したそうだ。

 「大きな拍手が起きた。やってきたことは無駄じゃなかった。数字ではない、被害者団体のみなさんから『信頼』という大きな贈り物をもらったと思った。地球環境ブームに上滑りすることなく、環境保全を事業の基盤に据えてやっていきたい。

 感動した。

 「違法でなければ何をやってもよい」「違法でもバレなければいい」「違法がバレても罰則がなければ平気」という企業がやたらと多く、そんな企業の代表たちが恥知らずにも日本経団連で幅を利かせている。

 キャノンも、トヨタも、パナソニックも、いすゞも、マツダも、日立も、…(以下略)…狼狽して取り乱し、長年かけて培ってきたはずの信頼を自らボロボロにしている。

 雇用を守れ。社会的責任を果たせ。それができないなら辞任しろ。


過労死、残された人。

2008年06月06日 | 鬼笑が語る

いわゆる「突然死」だったそうだ。過労死だったといっていいと思う。

ふだんと同じように夜遅く帰宅し、遅い食事をとり、「もう寝るわ」とふとんに。
翌朝、小4の息子が「おとうさん、起きて、起きて」と大泣きしていて、すでに亡くなっていた。

今月は、毎晩、深夜になっての帰宅。
「上司にお願いして、たまには早く帰らせてもらったら?」 そのひと言をなぜ言わなかったのだろうかと、彼女はいま自責の念にさいなまれている。

彼女のひと言があったとしても、上司に言える職場だったか?
上司に言ったとして、部下の言葉を受け止める上司だったか?
上司が受け止めたとして、「きょうは早く帰っていいよ」といえる職場だったか?
上からのノルマは? 人員配置は? 「?」の連鎖の先は?

社会にたいしてなすべきことは見えつつある。
彼女にたいしては?


「靖国」を観て

2008年05月21日 | 鬼笑が語る
「靖国」を観てきました。

いつもはほとんど空席のミニシアター。長蛇の列で、整理券をもらい最後尾について、ぎりぎりなんとか入ることができました。
へんな国会議員なんかがドジなことをしたもので、余計に動員数が増えてしまいました。

「もうひとりの主役」の刀匠、特別に右翼的な人物でも何でもなく、朴訥な職人、むしろ無思想といっていいほどの印象。そうした人が靖国刀をつくり、日本軍の精神の象徴である刀が、戦場で日本軍の野蛮性、残虐性の象徴となっていく。

なんだかよく分からない場面もありましたが、ドキュメンタリー映画としてなかなかの出来だと思うし、楽しめもしました。

タクシー運転手刺殺事件とイラク戦争

2008年04月05日 | 鬼笑が語る
横須賀のタクシー運転手刺殺事件の容疑者は、イージス巡洋艦「カウペンス」の水兵。

カウペンスは、イラク戦争で最初にトマホークを撃ち込んだ船。

「刺せ」という声を聴いたと言っている。計画性を否定するための作り話なのか、「本当」なのかは分からないけれど、「本当にきこえた」としたら、かなりこわい。

心を病んだ人まで戦争に駆り出している?
罪なき人々を殺傷する葛藤のすえ「刺せ」がきこえる?

単発の殺人事件がつづくか、殺人事件どころでないとんでもない大事件が起こるか。--基地のある県だけの問題ではとうていない。