すぐそこにいて、呼べば返事もくれるのに
手を伸ばすと声もたてずもうそこにはいない
逃げたのか
はじめからそこにいなかったのか
もう手の届くところにもどってこないのか
またすぐそこに現れるのか
ずっと見つめていると見えないけれど
見えたときには見えなくなるまで追いかけたい
追うと逃げると知っているのだけれども
周防大島「Jam's Garden」の手づくりジャムをお土産にいただきました。
今回いただいたのはシナモンの香りのするいちじくジャム。
今朝さっそくヨーグルトに入れて試してみました。おいしい。
砂糖は沖縄産、シナモンは仕方ないとして、材料は大島産にこだわっています。
味も、デザインもいい。
いまは合併して周防大島町ですが、合併前のこの島の南半分は東和町といって、高齢化率が50%超の日本一高齢化の進んだ町でした。
元気な高齢者が、もっと高齢の方の世話をしたり、ボランティアが365日お弁当の宅配をしたりと、住民が主人公になって福祉社会をつくっています。
2年前に行ったときには、残念ながらJam's Gardenは定休日だったのですが、近くに帰省した同僚が買ってきてくれて、2年ぶりにゲット。
このお店もそうですが、魅力ある島で、若者がUターン、Iターンしてきているのです。
「島スタイル」もぜひごらんください。
このところ、仕事と関係のない本を読みふけったり、「ヒロシマ・ナガサキ」を観に行ったり、日頃「忙しい」「忙しい」を連発している僕を知っている人が知ったら実は時間あるじゃんといわれそうだ。
時間は、あいかわらず、絶対的に不足している。
だから、「はだしのゲン」をみた時間の分は、確実に仕事がたまりしわ寄せで苦しむことになる。
それが分かっていてなおこの夏は読まなければ、観なければ、と思いきわめている。
「はだしのゲン」は、おそらくあまり製作時間をとれなかっただろうに、みごたえのあるものだった。すぐれた作品だといってよいと思う。
原爆投下までの家族の愛情、信頼、葛藤がよく描かれていて、CGをつかえばこれでもかこれでもかと見せることのできる凄惨な場面を短くして、なおいっそうその残虐さを鋭く訴えてくる。
12日は、「鬼太郎が見た玉砕--水木しげるの戦争」。
「墓場鬼太郎」以前からの水木さんのライフワークがユニークな構成でテレビドラマ化される。
仕事をしわ寄せして観る。
まちなかのミニシアターで観てきました。
正直、かなりしんどかった。
まわりのひと、特に女性は、多くすすり泣いていたけど、ちがう、と思った。
僕もつらかった。だけど、泣くゆとりもなかった。
泣けなかったし、泣いてはいけないと思った。「いけない」ではなくて、それどころでなかったのかもしれない。
正視しなければ。その意識に支配されていた。
僕たちは、まず知り、そして正視しなければならない。
北陸電力の広報紙『エルプラザ』2007増刊号7月~8月が手許にある。
1面の見出しは、「発電施設に関する再発防止対策に取り組んでいます」。
何の再発を防止したいんだ?
社員食堂の集団食中毒再発防止対策? 社員の万引き再発防止対策? 何があったんだ? 何を防止しようとしているんだ?
疑問を解くべくページをめくってみると、「一連の発電設備の不適切な事案に対する再発防止対策を実施していくため…」と書いてある。
発電施設で何か不適切な事案(あまり聞き慣れない言葉)があったらしい。
「今後は、『隠さない企業風土づくり」……を実現」するそうだ。
そのために「再発防止対策検証委員会」という委員会を、社外有識者によって設置したらしい。名称では何の再発の防止か特定されていない。あらゆる問題の再発を防止するのだろう。
再発防止を大いに期待させる広報紙だ。
雨宮処凛『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)を読んだ。
闘いのテーマは、ただたんに『生存』である。生きさせろ、ということである。
生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。人を馬鹿にした働かせ方をするな。俺は人間だ。
スローガンはたったこれだけだ。
生存権を21世紀になってから求めなくてはいけないなんてあまりにも絶望的だが、
だからこそ、この闘いは可能性に満ちている。
『生きさせろ!』という言葉ほどに強い言葉を、私はほかに知らないからだ。
一一『はじめに』より
「我々は反撃を開始する」という言葉ではじまる本書は、この生きづらい日本社会で喘ぐ人の必読の書であるとともに、いまはなんとなくうまくいっている人にとってこそ必読の書だと思う。
出張先から帰る電車のなかで読んだ。
ただ生きるということが許されない社会。胸をかきむしられるような現実。
何度も体が震え、落涙した。
貧乏人大反乱集団・高円寺ニート組合のところではあまりにヘンテコな抵抗運動に、笑いをこらえるのに体が震えた。
隣席の女性に不審の視線を投げられた。
「世の中はどうも私が思っているのとは逆方向へ進んでいる。だから、決めた。このテーマで、私はこの社会が変わるまで取材し、執筆し、運動していくことを。」
僕は、自分のことを恥じた。そして、僕も決めた。いまの持ち場で、この社会を変えるためにこれまでよりずっと努力することを。
新社会人になってまだ4か月で不慣れな土地で仕事を覚えていくというなかなかたいへんな状況におかれ、やはり不安もあるようだけれど、彼ならだいじょうぶ、きっとこの機会に大きく飛躍してくれると思う。
集まったメンバーも、ほんのしばらくみないうちにずいぶんたくましくなっていた。
正直、心の中のどこかで子ども扱いしていたところがあったのだけれど、若い人にとって数か月という時間は、僕らには想像もつかないほど密度の濃い成長の期間になるようだ。
とくに... 「女の子」が、その人間的成長が肌を透かしてまばゆいばかりの女性になっていたのには、ちょっととまどうほどだった。
つぎに会ったとき、まけないほどでありたいと切に思う。
きのう若い友人たちと飲み会があり、終了後、勝手な理屈で選抜チームを組んで二次会へ。
神社の神門よこの路地裏飲屋街。十年ほど前に火事で一帯丸焼けになったのに、この魔界の入り口のような店だけが残っている。
左から火がきて、当然左側はすべて燃えつくしいまは更地。不思議なことにこの店をとばして右側も焼き尽くされ、左右更地でぽつんとたっている。左右からつっかえ棒で支えられながら。
なぜなんだ。
左も右も全焼、更地。
この店だけ、なぜなんだ!
お店でも何でも、三代目でダメになることが多い。
一代で店を起こし一流の名を得た人は、仕事ができるだけでなく、二代目を育てる力量ももっている。
ところが残念ながら、二代目を事業家に育てるところまではできても、教育者にまで育てることはほんとうにむずかしいんだ。
で、二代目は引き継いだ事業を立派に維持・拡大するのだけれども、三代目をきちんと育てるところまではやはりできない。
三代目は、初代や二代目の見様見真似でなんとか仕事をこなしているようだけれども、ほんとうのところを教育されていないので、実は失敗しやすいし、失敗したときの盛り返し方が分からない。
よく「三代つづいた名店」とかいうけど、実は三代目まではなんとかなるもので、これを四代目までつなぐのが難しく、それができれば多分、五代目、六代目…とつづいて老舗になっていくんだな。
我が国の三代目さんは、1年もつかどうかだけど……。