鬼笑で行こう。

おいしいものの話や、まじめでいい加減な不定期評論など…

愚かな効率化

2007年09月29日 | 鬼笑が語る

このところもう無茶苦茶に忙しく、ブログを書くゆとりを時間的にも精神的にももてずにいます。10月からはさらに仕事が増え、いったいどうなる事やら、気分が重くなりながら、一方でなんだかどーでもよいような気分に脱力している自分がいます。

きのうひさしぶりに会った職場の先輩が僕の顔をみて、「ひどい顔してるな」、「ストレスがピークに達してるな」。
彼は、自身、自律神経系の失調にずっと悩まされているので、いろいろ勉強もし、同様の症状の観察眼がすごいのです。

「まわりに迷惑をかけることも割り切って、仕事を減らさないと、たいへんなことになるぞ。」

「たいへんなこと」って一体…。

仕事は増える一方。人は減らされる一方。そうしたなかで、みな自分の仕事をこなすことで精一杯で、この状況を変えるための道筋を考えるゆとりを失っている。

効率化といえばインプットを減らすことにばかり熱心な日本のやり方はまちがっている。
インプットを10%減らしても、アウトプットが20%減ってしまえば、よけいに非効率になったということだ。しかもたいていこういう場合、アウトプットは量的に減るだけでなく、質が低下する。
インプットを10%増やしてアウトプットを20%増やすことが効率化。

生産ラインのベルトコンベヤーの速度を10%上げ、人を10%減らしてこれまでと同じだけのアウトプット。……要するに、企業トップも行政トップも、高度経済成長期と同じような思考しかできていない。

ビジネスや行政のあらゆる場面で創造性が求められる。創造性こそが発展のエンジン。
この時代に、職場からゆとりを奪うほどの愚策はない。

『雨宮処凛のオールニートニッポン』を読んだ。
外からみて「一流」にみえる職場(でもないか)で働いていても、派遣労働者やフリーター、最下層で搾取される人たちの状況と本質的に同じ力に支配されていると実感する。


一政党内部の話でしょ

2007年09月17日 | 鬼笑が話す
さすがに自民党。
総裁候補のどちらも政策を発表していない段階で、各派閥が支持を決めた。

僕ならできない。

ところで、なんで一政党の総裁(政党によって、代表、党首、委員長など)を選ぶのに、投票権もない人が聴衆の大半をしめる街頭演説をするのだろう?
また、なんでそれを逐一、マスコミは大々的に報道するのだろう?

まあ、自民党の総裁になれば日本の主席宰相になるのだろうから、それなりの報道はあってもいいかとも思うが、候補者の主張を整理して1、2回報道してくれればそれでいい。
しょーもない演出は、ジャーナリ……でもないか、マスコミの自殺行為だ。(ジャーナリズムが自殺してマスコミになってるから、今さらしょうがないか…。)

不愉快だが愉快

2007年09月12日 | 鬼笑な日々

おぼっちゃまが政権を投げ出した。
まるっきり子どもじみたやり方で。

国民のことなど眼中になし。
おもちゃに飽きたらしい。

不愉快だが、
およそ逆境を乗り越えた経験のない人、
自殺でもしないか心配ではある。

この人物が宰相の座を占めていたことは不愉快ではあるけれど、
これからの展開を考えると
愉快だ。


脳疲労?

2007年09月11日 | 鬼笑な日々
 このところ書き込みが滞りがちで…。
 更新していないときに意外と多くの方がアクセスしてくださっています。お気にかけていただいているようで、恐縮です。

 慢性的に多忙な鬼笑ですが、このところ、もう限界を超えたような忙しさで、ほんとうは書きたいことがいっぱいあるのですが、とても時間がありません。

 というか、時間の問題ではなく、「脳疲労」のようです。
 忘れっぽい(忘れているわけではないけど思い出せない)、仕事の軽重と着手の順序が逆、等々。

 でも。
 きょうひとつ、大きな仕事をやり遂げました。
 ちょっとだけ心にゆとりができたような…。

 明日は背筋をしゃんと伸ばして職場に入りたいです。

不思議な弧

2007年09月09日 | 鬼笑な日々
Y君が亡くなった。
彼の近所に住み、子どもがサッカースクールで世話になっていた従姉妹が知らせてくれた。

2、3年前に帰省したときに、生まれ育ったまちがどう変わったかみたくて、通っていた小学校の校区をぶらぶら歩いたことがある。
そのとき、覚えている同級生の家の前を何軒か通ったのだけれども、みな別名の表札にかわっていた。
時間の経過を考えればそんなものだろうけど、さすがにちょっとさびしかった。

ただ一軒、Y君の家だけがそのままで、偶然なかから出てきた僕と同世代の人に昔のY君の面影があり、声をかけて驚かそうと思ったけど、やめた。
過ぎ去った時間に手をふれずそのままそっとしておきたい気がしたから。

いま思えば声をかければよかった。

小学生時代の僕たちには神業にみえるシュートを打つサッカー少年だった。
Y君のコーナーキックは、大きな弧を描いてゴールに吸い込まれていく。
不思議な美しい弧だった。