旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

夜中の台所にて

2017年11月14日 23時35分22秒 | 日々のこと
夜中2,3時間おきに授乳をしている。授乳→トイレ→何か食べる→布団に倒れこむ→授乳
これがエンドレスで朝まで続く。

夜中の台所で羊羹一本食べてる私って一体・・・アスリートか?
さすがに羊羹はまずいと思い、次にハマったのが卵かけご飯。どんぶりで立ったまま食べてるし。
昨日はリンゴの皮だけむいてガリガリ一個食べてた。ほとんど記憶がないけれど。

朝になってシンクに置かれた食器をみて一瞬「はて?」と思うが全部私の仕業だ。

それでもぐんぐん減っていく体重。おそるべしおっぱい。

小さな願い

2017年11月08日 18時01分27秒 | 日々のこと
今日も青をずっと抱っこしている。抱っこというか身体にくっつけているという表現の方が
ぴったりな気がする。兵児帯を初めて使っているがとても気に入っている。昔のお母さんたちが
愛用したという兵児帯。愛用というかこれしかなかったんだよねきっと。
エルゴは「赤ちゃんを運ぶ道具」 スリングや兵児帯は「赤ちゃんを抱く道具」発想がそもそも違う。
肩も腰も日に日に悲鳴をあげているけれど、こんなにも赤ちゃんと密着できるのは本当に
わずかな時間だと知っているからこの時間がいとおしくて仕方ない。
運ぶためではなく、泣き止ませるためでもなく、寝かせるためでもなく、私がくっついていたいから
使う兵児帯。“北極しろくま堂”で購入したけれど、本当にオススメ。

さて、そんな私をみている3人の子どもたち。
淋しい気持ちをもちろん抱えているだろうし、妬ましい気持ちや、青を疎ましいと思う気持ちも
きっとあるだろう。もっともっとジットリとした視線を感じるかと思いきや(特に1歳のつばさ)
意外と子どもたちは優しく見守ってくれるので拍子抜けした。
青が機嫌よく転がっていてくれる時間はできるだけつばさを抱っこするようにしているし、
福星は小さい二人が眠った後のゲームで何とか帳尻を合わせているつもりだけれど、本当のところは
私にはわからない。子どもたちがどう感じているのかは本人にしかわからないから。
私が勝手に子どもの気持ちを決めつけるわけにはいかない。

私が願うのはひとつだけ。「どうか青を抱っこする私をみて、自分は見てもらえていないと悲しく
なるのではなく、自分もいっぱい抱っこしてもらったなーと思い出して温かい気持ちになって欲しい」
それだけだ。身近で抱っこされる弟を見て、自分の記憶を(身体が覚えている記憶なんだろうけど)
あたためて欲しい。それをこれから生き抜く貯金にして欲しい。
そうできるほど手間ひまをかけて子育てしてきたとは到底言えないけれど、母ちゃんは勝手にそんな
ことを願っている。

さてと、夕ご飯だ。新米を炊いて幸せごはん。



呼びかけの言葉

2017年11月07日 10時49分02秒 | 日々のこと
保育園や学校では一人ひとりの名前ももちろん呼びかけるが「〇〇組さん」「みなさん」「きみたち」
などと一斉に呼ばれることも多々あるだろう。
最近の我が家。夕食前に片づけする時や、出かける前は「ハイッ!みんなー片づけてー」「ハイッ!
みんな、靴はいてー」などと私に指示を出されている。しかもこれ絶対命令。
それに反応する集団生活経験のないつばさがいじらしい。

休日の午後は「ハイッ!みなさんお昼寝です」これで2時間から3時間眠ってくれる子どもたちよ。
青は抱っこひも(兵児帯愛用中)で私とくっついて眠っている。この時間を私も眠るか、自分の時間として
使うかで毎日悩む。一緒に眠ってしまうと一日なにもできないまま終了(チーン)自分の時間として
使ってしまうと夕方から夜の育児ゴールデンタイムに「はよねろ、こどもたち」とイライラしてしまう。
どっちもどっちだけど、このどっちかしかないからしゃーない。多くは望みません。ふー。

若い時の貧乏は買ってでも・・・

2017年11月06日 16時46分23秒 | 日々のこと
ビックイシューという雑誌を購読している。ご存知の方も多いと思うがホームレスもしくは
ホームレスだった方が路上で販売して、その収益の一部が収入になるというシステムの雑誌だ。
社会問題をはじめ、海外時事、映画評などシリアスな話題からゆるゆるな記事まで幅広い一冊。
薄い雑誌だが、中身は非常に濃い。パッとひろげたページだけ読めるのもいいところ。

若者の貧困について何度もとりあげられているが、そのたびに自分の経験を思い出して
複雑な気持ちになる。セイフティネットがあるようでない日本の社会では、一度でもちょっと
足を踏み外すともうあとは転げ落ちるばかり。どこが底かもわからない暗闇が自分の暮らしの
すぐそばにあったとは、私もその時まで知らなかった。
もう時効だと判断して書いてしまうが、友だちの結婚式よりも時給800円のアルバイトの方が大事で
結婚式を欠席したこと。飲み会に誘われてもお金がないから「歯が痛くて」と嘘をついて行けなかったこと。
本当は会いたくてたまらなかったのに、今のしんどさを聞いてほしかったのに、お金がないことは
その機会すら容赦なく奪っていった。友人の大事な発表会に招待してもらったのに会場までいくお金がなくて
行けなかったこと。職場までの交通費はでなかったから歩いて通っていたこと。でもそれがバレるのは
恥ずかしいからいつもあいまいに言葉を濁して笑っていたこと。

結局お金がないことで失うのは「人との関係」だった。
今でも後悔していることがたくさんある。やり直したいことがたくさんある。
若い時の貧乏は買ってでもしとけ、と言うがそれは真実ではあるけれどあまりにもきつすぎる。
お金がなかったら「助けて」とも言えなくなる。人に会えなくなる。社会に対して扉を閉ざしてしまう。
遠い世界の出来事も、身近な暮らしの出来事も、どれも灰色の輪郭をもたない景色になる。
何にも考えられない。どこにもいけない。うずくまってしまう。

そんな中で強烈に覚えていることもある。
激安スーパーに売っていた46円のチョコパンのおいしさだ。
それを時々買って、昼休みに食べるのが至福の時だった。今食べてもあんなに美味しいとは思わないはず。
本当に美味しくて美味しくて、ほっぺたが落ちそうだった。
あの何年かに戻りたいとは絶対に思わないが、この先あんな時がまた訪れるかもしれない。
だからあのチョコパンの美味しさはずっと覚えておこうと思う。

どっちが豊かなんだろう。46円のチョコパンで幸せになれる人生と、何を食べても満足できずに
不満ばかりの人生と。「夢」があるかないか、なのかな。夢ではお腹いっぱいにならないけれど
やりたいことがあるのなら、なんとかそのトンネルくぐり抜けることができるのかも。

トンネルを抜けたあとしばらくたって、ふっと後ろを振り向いたらポッカリと真っ暗なトンネルが
口をあけてた。そんな感じだった。トンネルの中にいる時はそこがトンネルだとも分からなかった。



ラブ×?

2017年11月05日 22時44分07秒 | 日々のこと
自分の子どもは等しく愛さないといけないと思っていた。そしてそれができる自信がなかった。
二人目が産まれる時、これからは一人目にかけていた愛情を半分に分けて育てていくのだと思っていた。

だけど二人目が産まれた時にびっくりした。愛情は半分に分けるのではなく2倍になっていた。
自分の中にそんな感情があるとは思えなかった。自分のことが一番大事だし、愛するよりは愛されたいと
思って恋愛してきたし(愛するってなに?それの何が楽しいんやろ、と思っていた)他者をそこまで
大事にできるだなんて信じられなかった。

時は流れて子どもが4人。愛情は4倍になっていた。
どの子も同じだけかわいい。それぞれ違うけれどそのどれもを受け入れていきたいと思う。
(できないことが多々あるのが情けないが)
「へぇー。そんな風になるんだ。」まるで他人事のように自分の感情の変化を楽しんでいる自分がいる。

私が半分、3分の1、と愛情を切り分けすることなく増やすことができたのは、私がたくさんもらって
いるから。子どもたちに分け与えるほどもらっているから。そのことに感謝の気持ちでいっぱいだ。
周りの友人たち、ちょこっと声をかけてくれる通りすがりの親切な心をもった人たち、様々な分野で
素晴らしい仕事をするプロフェッショナルな人たち、そして何より誰より感謝すべきは、私を(多分)
愛してくれているダンナ氏。いっぱいもらっていることを忘れずに、私は私を慕ってくれる子どもたちを
今は全力で惜しみなく愛していきたい。

愛、愛って普段なかなか使わない言葉だけど、子どもを育てているとこれに代わる言葉がみつからないのもまた事実。シンプルで本質的な言葉しか使えないのが子育てなのかも知れない。