旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

沖縄旅・ちっちゃなカヌーとおっきな人たち

2015年08月13日 21時14分07秒 | 旅のこと
背高の浜からカヌーがでていく。
猛烈な暑さの中、カヌーはすぅーと海に吸い込まれていくようだった。

小さい。カヌーも人間も。見ている私も。

無力感にさいなまれそうになるが、私がそれを言う資格はないと思い直して
カヌーが見えなくなるまで見てた。私は見てるだけだった。

毎日ここからカヌーが出ていく。
ひっくり返されても、棒でつつかれても、怖い言葉で脅されても。
私はその理由をもっと深く知りたいと思った。その強さはどこからくるのか?

映画「戦場ぬ止み」

もし興味を持たれた方は予告編だけでもみてみてください。

沖縄旅・辺野古の海

2015年08月13日 21時09分37秒 | 旅のこと
辺野古の海。
きれいだった。

この海の下にコンクリートの固まりがぶちこまれていようと、
この海の上で人間たちがいがみあっていようと、

海は何も言わずに、抜群にきれいだった。
「ごめんな・・・」って思った。人間がおってごめんなって。

沖合に見えるオレンジがフロート(境界線)
その向こうが新基地予定地。

朝日新聞「声」 辺野古で思ういとおしい命

2015年08月12日 22時48分36秒 | 社会と政治のこと

「辺野古で思う いとおしい命」
(兵庫県 保育士 小島 梢 36歳)

6月中旬、2泊3日で沖縄県名護市の辺野古へ行ってきた。猛烈に暑かった。
光がまぶしく、濃い影が「70年前の戦争を忘れるな」と訴えてくるようだった。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設予定先であるキャンプ・シュワブのゲート前
では、明確な意思を持った人たちの姿を見た。彼らは語り、歌い、そして怒って
いた。みな日々の暮らしを静かに営む穏やかな人たちだった。
反対する座り込みは一年を超えた。一人の人間の力は小さい。それでも毎日カヌーに
乗る人たちや炎天下に座り込む人たちがいる。
そうせねばならない理由があるからだ。今もその人たちのことが頭を離れない。
また、基地から出てくる米兵たちの大半が20代前半の若者なのにも驚いた。
彼らはここから戦場に行くのかもしれない。とっさに保育士の目線で「ああ、あの子も
この子も大事」と思う自分がいた。「この海から誰も戦場に送りたくない」と
心の底から思った。海は「生」につながる場所なのだ。
私は右でも左でもない。ただ、全ての命がいとおしい。戦争の理由は複雑かも
知れないが、平和の理由はこんなにもまっすぐだ。

河野裕子さんのこと

2015年08月11日 21時46分13秒 | 日々のこと
ふくがこの世に生まれた4日後、歌人の河野裕子さんが亡くなられた。
私はそのことをずいぶんと後から知ったのだが、河野さんが口述記述で絶歌を
詠みあげていた頃、私のうえにどこからか短歌がするすると降りてきた。
(もう今はまったく、どんだけがんばってもひとつたりとも降りてこないのが不思議)

この世から去っていく人と、来たばかりの人。
ふたつの人生があの瞬間確実に交差していたのだと思うと、なんとも言えない厳かな
気持ちになる。

1か月ほどたった頃、新聞に私の短歌が掲載された。
選んでくださったのは河野裕子さんの夫である永田和宏さん。
どんな思いで選んでくださったのだろう。命のリレーがみえたのだろうか。

「陣痛のあいまに見やる夏花火 もうすぐ会えるおまえに会える」
「胸の上生まれたばかりの息子抱く 命の重み3224」

あの夏、歌の神様はひょっとしたら河野裕子さんだったのかな、と思うことがある。
子育てが一番大変な時に、私を歌で支えてくれた。
短歌なんて習ったこともなかったのに。詠もうと思ったことなどなかったのに。

不思議な、不思議な体験だった。


ふくのすけ5さいになりました

2015年08月11日 11時54分32秒 | 日々のこと
8月8日
ふくのすけ5さいになりました。

「ももとぶどうとばななのケーキを食べたい!いっぱいね!全部ね!」
とリクエストされていたので、朝からケーキをつくってそのまま「好きなだけ食べよし」と。

カメラを向けてもこっちなんて見やしない。

「誕生日プレゼント何がいい?」とたずねると「セミ!!」と即答。
気絶しそうな暑さの中、とうちゃんとセミとりへ。
いつのまにかセミも触ることができるようになり、逃げ回っていたのが嘘のよう。

早いなー。

まったく別の人格をもった一人のちいさな人との共同生活って感じ。
私のお腹からでてきたなんて、はるか遠い昔の話のようだ。

ふくの歩いていく道のまわりにたくさんの花が咲いていますように。
歩いていくその先にきれいな海が見えますように。

かあちゃんにできることは・・・・キミにもたれず、よりかからず、自分の道を
歩いていくことかな。そして言い切るのだ。「この世界はいいところだよ。どこにでも行ってそれを
みておいで」と。

暑い夏の日。
ふくは夏がよく似合う。