ふくがこの世に生まれた4日後、歌人の河野裕子さんが亡くなられた。
私はそのことをずいぶんと後から知ったのだが、河野さんが口述記述で絶歌を
詠みあげていた頃、私のうえにどこからか短歌がするすると降りてきた。
(もう今はまったく、どんだけがんばってもひとつたりとも降りてこないのが不思議)
この世から去っていく人と、来たばかりの人。
ふたつの人生があの瞬間確実に交差していたのだと思うと、なんとも言えない厳かな
気持ちになる。
1か月ほどたった頃、新聞に私の短歌が掲載された。
選んでくださったのは河野裕子さんの夫である永田和宏さん。
どんな思いで選んでくださったのだろう。命のリレーがみえたのだろうか。
「陣痛のあいまに見やる夏花火 もうすぐ会えるおまえに会える」
「胸の上生まれたばかりの息子抱く 命の重み3224」
あの夏、歌の神様はひょっとしたら河野裕子さんだったのかな、と思うことがある。
子育てが一番大変な時に、私を歌で支えてくれた。
短歌なんて習ったこともなかったのに。詠もうと思ったことなどなかったのに。
不思議な、不思議な体験だった。
私はそのことをずいぶんと後から知ったのだが、河野さんが口述記述で絶歌を
詠みあげていた頃、私のうえにどこからか短歌がするすると降りてきた。
(もう今はまったく、どんだけがんばってもひとつたりとも降りてこないのが不思議)
この世から去っていく人と、来たばかりの人。
ふたつの人生があの瞬間確実に交差していたのだと思うと、なんとも言えない厳かな
気持ちになる。
1か月ほどたった頃、新聞に私の短歌が掲載された。
選んでくださったのは河野裕子さんの夫である永田和宏さん。
どんな思いで選んでくださったのだろう。命のリレーがみえたのだろうか。
「陣痛のあいまに見やる夏花火 もうすぐ会えるおまえに会える」
「胸の上生まれたばかりの息子抱く 命の重み3224」
あの夏、歌の神様はひょっとしたら河野裕子さんだったのかな、と思うことがある。
子育てが一番大変な時に、私を歌で支えてくれた。
短歌なんて習ったこともなかったのに。詠もうと思ったことなどなかったのに。
不思議な、不思議な体験だった。