「辺野古で思う いとおしい命」
(兵庫県 保育士 小島 梢 36歳)
6月中旬、2泊3日で沖縄県名護市の辺野古へ行ってきた。猛烈に暑かった。
光がまぶしく、濃い影が「70年前の戦争を忘れるな」と訴えてくるようだった。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設予定先であるキャンプ・シュワブのゲート前
では、明確な意思を持った人たちの姿を見た。彼らは語り、歌い、そして怒って
いた。みな日々の暮らしを静かに営む穏やかな人たちだった。
反対する座り込みは一年を超えた。一人の人間の力は小さい。それでも毎日カヌーに
乗る人たちや炎天下に座り込む人たちがいる。
そうせねばならない理由があるからだ。今もその人たちのことが頭を離れない。
また、基地から出てくる米兵たちの大半が20代前半の若者なのにも驚いた。
彼らはここから戦場に行くのかもしれない。とっさに保育士の目線で「ああ、あの子も
この子も大事」と思う自分がいた。「この海から誰も戦場に送りたくない」と
心の底から思った。海は「生」につながる場所なのだ。
私は右でも左でもない。ただ、全ての命がいとおしい。戦争の理由は複雑かも
知れないが、平和の理由はこんなにもまっすぐだ。