一日の時間の使い方であったり、子どもたちの送迎のタイミングであったり、つばさの昼寝時間をいかにして
確保するかであったり、妊娠に伴う静脈瘤のせいでスカートをはけないことであったり・・・日々の課題は次から次に押し寄せてきて、頭の中はいつもフル回転しているけれど、でもとにかくこれだけは言える。“変わっていくし、進んでいく”
だから、あんまり深く考えずにとにかく今日のことと明日のことを精一杯やるしかないのかな、と。一週間先の懸念事項で今、胃がキュッと痛くなるのは無駄なのだ。
棚上げ事項満載。おおいに結構。
実は引っ越しした翌日につばさが気管支炎で入院というピンチに見舞われた我が家。
あの時は本当に目眩がしたけれど、倒れている場合でも泣いている場合でもない!と自分を奮い立たせて10分で入院準備を整え(まだほとんどの荷物が段ボールに入っていたので私にしか物のありかが分からなかった)自分用の枕とためこんだビックイシューまで突っ込んで病院へ乗り込んだ。つばさは幸い4日間で退院することができたけれど、今回は隔離された小児病棟ではなく、内科の入院病棟だったので、様々なケースで入院されている方をたくさん見かけた。独特の匂い、病室から漂ってくる気配、夜中のうめき声、つけっぱなしのテレビに吸い込まれている人たち・・・どれもが私にとっては衝撃で「子育てなんか・・・ままごとやん。子どもが入院してその付き添いで泊まり込んでいるなんて全然大変と違うやん」と心底思った。今までの育児でで一番辛かった入院付き添いという経験がまさかままごとだったとは。それだけ介護の世界は(するほうもされるほうも)大変そうに見えた。あれからまたひとつ、物事の見え方が変わったような気がする。
入院している間は福も星も春休みでどこにも行き場所がなかった。ダンナ氏に任せていたから不安は全くなかったが、私が「こっちは大丈夫だから。何とかするから。洗濯がたまるとか、私がシャワーを浴びれないとか、そういうのはどうでもいいからとにかく二人のことをお願い。退院するまでもう来なくていいから。」と言ったにも関わらず、一日に一度は二人を連れて顔を出してくれた。兄弟は病室に入れないのがこの病院の規則だったから、来ても二人はつばさには会えないというのに何故?最初は私に気を遣ってくれているのだと思っていた。だから「もう来なくても大丈夫だ。それよりも二人を早く寝かせてあげて」と言った時ダンナ氏が私の目を見て静かに言った。「ちがうでしょ。あなたは大丈夫でも、福と星があなたに会いたいでしょ。ほら向こうで待ってるから」と。病室を出ると、長い廊下の端っこで二人が手をつないで不安そうにこっちを見ていた。手に持っている袋から私とつばさへの手紙と謎の折り紙があふれている。ほんの少しの間ベンチに座って話をした後、じゃあねまた明日ね。と私が病室に戻ろうとすると、二人は「かあちゃん、がんばーれ!」とずっと手を振ってくれた。何度振り向いてもずっと。小さい姿がますます小さく見えた。
私は子どもの何を見ていたんだろ。こんな非常事態になってもまだ、自分のことしか考えていなかったのか、と情けなくてつばさの点滴が規則正しく落ちるのを眺めながらその晩は涙が止まらなかった。(妊婦という生き物は常に情緒不安定)
ダンナ氏が気づかなかったら、そして子どもの気持ちを汲み取って行動に移してくれなければ、とりかえしのつかない思いをさせるところだった。病室から見えていた満開の桜を私はずっと忘れないだろう。
確保するかであったり、妊娠に伴う静脈瘤のせいでスカートをはけないことであったり・・・日々の課題は次から次に押し寄せてきて、頭の中はいつもフル回転しているけれど、でもとにかくこれだけは言える。“変わっていくし、進んでいく”
だから、あんまり深く考えずにとにかく今日のことと明日のことを精一杯やるしかないのかな、と。一週間先の懸念事項で今、胃がキュッと痛くなるのは無駄なのだ。
棚上げ事項満載。おおいに結構。
実は引っ越しした翌日につばさが気管支炎で入院というピンチに見舞われた我が家。
あの時は本当に目眩がしたけれど、倒れている場合でも泣いている場合でもない!と自分を奮い立たせて10分で入院準備を整え(まだほとんどの荷物が段ボールに入っていたので私にしか物のありかが分からなかった)自分用の枕とためこんだビックイシューまで突っ込んで病院へ乗り込んだ。つばさは幸い4日間で退院することができたけれど、今回は隔離された小児病棟ではなく、内科の入院病棟だったので、様々なケースで入院されている方をたくさん見かけた。独特の匂い、病室から漂ってくる気配、夜中のうめき声、つけっぱなしのテレビに吸い込まれている人たち・・・どれもが私にとっては衝撃で「子育てなんか・・・ままごとやん。子どもが入院してその付き添いで泊まり込んでいるなんて全然大変と違うやん」と心底思った。今までの育児でで一番辛かった入院付き添いという経験がまさかままごとだったとは。それだけ介護の世界は(するほうもされるほうも)大変そうに見えた。あれからまたひとつ、物事の見え方が変わったような気がする。
入院している間は福も星も春休みでどこにも行き場所がなかった。ダンナ氏に任せていたから不安は全くなかったが、私が「こっちは大丈夫だから。何とかするから。洗濯がたまるとか、私がシャワーを浴びれないとか、そういうのはどうでもいいからとにかく二人のことをお願い。退院するまでもう来なくていいから。」と言ったにも関わらず、一日に一度は二人を連れて顔を出してくれた。兄弟は病室に入れないのがこの病院の規則だったから、来ても二人はつばさには会えないというのに何故?最初は私に気を遣ってくれているのだと思っていた。だから「もう来なくても大丈夫だ。それよりも二人を早く寝かせてあげて」と言った時ダンナ氏が私の目を見て静かに言った。「ちがうでしょ。あなたは大丈夫でも、福と星があなたに会いたいでしょ。ほら向こうで待ってるから」と。病室を出ると、長い廊下の端っこで二人が手をつないで不安そうにこっちを見ていた。手に持っている袋から私とつばさへの手紙と謎の折り紙があふれている。ほんの少しの間ベンチに座って話をした後、じゃあねまた明日ね。と私が病室に戻ろうとすると、二人は「かあちゃん、がんばーれ!」とずっと手を振ってくれた。何度振り向いてもずっと。小さい姿がますます小さく見えた。
私は子どもの何を見ていたんだろ。こんな非常事態になってもまだ、自分のことしか考えていなかったのか、と情けなくてつばさの点滴が規則正しく落ちるのを眺めながらその晩は涙が止まらなかった。(妊婦という生き物は常に情緒不安定)
ダンナ氏が気づかなかったら、そして子どもの気持ちを汲み取って行動に移してくれなければ、とりかえしのつかない思いをさせるところだった。病室から見えていた満開の桜を私はずっと忘れないだろう。
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