旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

観光地×海 +基地は?

2018年11月21日 14時59分06秒 | 社会と政治のこと
今私が住んでいる淡路島は観光地だ。なぜ観光地になっているかというと様々な要因はあるが
絶対に外せないのは「海があるから」それに尽きると思う。
もしここに海がなければこんなに大勢の人は週末ごとに押し寄せてこないし、私たちいわゆる移住組も
この地を選ぶことはなかっただろう。海はそれぐらいここでは大切。海こそすべて。
もちろん観光を抜きにしても海がなければこの島は成り立たない。人々は今も海の恵みを受けて生きている。

沖縄も同じだ。
もし淡路島や沖縄に海がなければただの田舎だ。

ここからはものすごく強引な例えになるが、ぐっと自分事として問題を引き寄せるために想像してみる。
淡路島の海をアメリカ軍が使用するために埋め立てると決まったとする。もちろん島の人たちは大反対運動を
展開するだろう。冗談じゃない、漁業はどうなる、子どもの安全は、騒音は??島はいっぺんに
大騒ぎになるだろう。埋め立てる海はじいちゃんが魚を追いかけていた海、ばあちゃんがわかめを拾っていた海、
私が泳ぎを覚えた海、そんなみんなの海である。島民は自分たちの歴史と、生活と、尊厳をかけて反対するだろう。
それなのに国は全く話をきいてくれない。「決まったことだから」「補償はする」その繰り返し。
ようするに「我慢しろ」そういうこと。

じゃあそれで生活者はあきらめるのか??

あきらめないと思うのだ。海と暮らす民はそんなに弱くない。土と暮らす民はそんなに弱くない。
「お金」に縛られずに生きる術を知っている人は、実は最強だと思うのだ。

いろんな、本当にいろんなありとあらゆるデマがのっぺりとした顔をして当然のように出回っているけれど
沖縄に住む人たちがあそこまで反対するのはこの例えをあげるまでもなく当然なのだ。どうしてそれが
わからないんだろうか、と私は不思議で仕方ない。反対する人たちがどうしてここまで叩かれなければいけないのか。

地理的に仕方ない、という理由がまかり通るのであるならば、どうして戦争をしなくて済む方法を考えないの
だろうか。世界平和を声高に叫ぶことは笑われることなのだろうか。子どもが言ったら拍手するくせに。
表彰するくせに。作文まで書かせるくせに。

大人が平和を叫んだらなぜ笑われる?周りから人がいなくなる?

就任してから玉城知事はちっとも笑わなくなった。そりゃそうだ。
「笑えデニー!!」沖縄に寄り添う誰もがそう思っていることだろう。自国の政府を飛び越えてアメリカに
訴えるしか方法がない沖縄。選挙をしても法に訴えても跳ね返される沖縄。だけどそれを跳ね返す強さと
したたかさを彼らは持っているはずだ、と私は信じて疑わない。

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