旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

喜んでいいことなのか・・・

2016年03月06日 11時49分37秒 | 社会と政治のこと
辺野古訴訟をめぐり、国と沖縄県が和解した。
政府は工事を中止し、県側と協議に入る。再び折り合わなければ
新たな訴訟に発展する見通しだが、とにかく工事はとまる。

辺野古での抗議活動がここまで続いたからこそ、工事は止まった。
誰も反対しなければ、移設作業は着々と進んでいたに違いない。

人々が声をあげたからこそ、工事は止まった。

だけど・・・両手をあげてバンザイして喜ぶことができない。
「やった!」とちっとも思えない。
工事が止まったことはもちろん嬉しいことだし、間に合ってよかったと心から思う。
あの海が埋め立てられる前に止まってよかった。あのゲート前で本当の犠牲者が出る前に
止まってよかった。(ケガ人や逮捕されている人は多数でている。)

でも・・・これで終わるわけがない。辺野古のあの雰囲気を一度でも身体で感じたら
政府がこれで手をひくとは絶対に思えない。沖縄の人もみんなそう思っているだろう。
次はどんなやり方で、海を空を土地を奪うつもりなんだろう。それしか考えられない。

怖い。ここでいったん手をひいたことが余計に怖い。不気味だ。

安全保障関連法案を成立させた時のように、気休めに民意のガス抜きをしているだけなのか。
夏の選挙対策のひとつなのか。(少なくともこれで不利になることはない)
政府筋関係者の話として「急がば回れということですよ」というコメントがあったが、多分
それが政府のやり方なのだろう。

これから先、辺野古が普天間がどうなっていくのか、私たちはしっかりと見届けなければならない。
これで終わりではない。本土の人間は何となく「あー、よかったね」で済ませてしまうのだろうけれど
それは違う。何も解決していないし、何も進展していない。そこを見誤ってはいけない。
本土の人間はこれで楽になってはいけない。沖縄から目をそらしてはいけない。「これからどうするのか」
それを考え続けなければいけない。これは沖縄だけの問題ではない。日本の問題なのだ。

だけど、こうも思う。
365日以上、24時間張り付いて抗議活動をしていた人たちが、ほんの少しでも体力的に
休めるのであれば、これでよかった。抗議する人たちだけでなく、警備にあたる人たちもそれは同じ。
炎天下、雨の中、台風の中、風の中、北風の中、アメリカの基地の前に立つのはみんなしんどい。
守る人も、抗議する人もみんなしんどい。何かを考えて立っている人も、ただ仕事だから立っている人も、
感情爆発させている人も、感情を押し殺している人も、何も感じない人も、等しくしんどい。
出入りするたびにそれを目にするアメリカ兵もきっとしんどい(そう信じたい)

魚よ泳げ。サンゴよ歌え。
てぃだの光よ、海を照らせ。大浦湾にあふれる光を。

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