~矢田丘陵の里山巡礼~
大阪から生駒山を越えると、目の前に奈良盆地が広がると思っている方が多いのでは、でも実際は視界を遮るように小高い山が生駒山に並行して連なっている丘陵が矢田丘陵なのです。
矢田丘陵は、奈良県の奈良市・生駒市・大和郡山市・斑鳩町・平群町の5市町村に接し、東西約3.5㎞、南北約13㎞と縦に細長く延びているのです。
また、矢田丘陵は松尾山を中心とした丘陵地であり、西に龍田川、東に富雄川が流れ、丘陵の中腹に点在する社寺を結ぶ道は、古くからの信仰の道として古くから多くの人に利用されているのです。
・矢田の古道に佇む石仏
田畑の畦道(あぜみち)が参道、広い空と大地が祠、畦道にさりげなく祀られている野の仏には、このような田舎の風景がよく似合います。
大和郡山市矢田町の集落の田の畦に、石仏がごく自然に祀られているのです。祀られている石仏は、阿弥陀三尊石仏で、高くなった畔から、厚い舟形光背をもつ三尊石仏が素朴に祀られている光景もよく似合っているのです。
そんな石仏と並んで座っていると、温もりと湿り気を感じながら丘陵を望むと、山稜はなだらかに南北に延び、山際に寄り添うように家が建っているのです。
・矢田丘陵の古寺
古くから多くの人が利用する矢田丘陵には、多くの人が知っている古刹がいまも法灯を保っているのです。
大門坊や念仏院など塔頭が立ち並ぶ参道に、白壁と石畳が織りなす空間に見えてくる矢田寺や、日本最古の厄除け霊場として名高く、伽藍は山腹を段々に切り開いた平地に築かれ、山岳寺院の様相を呈する松尾寺などがあり、春から初夏には各寺独自の特別拝観などがあるのです。
・矢田山中の隠れ寺「東明寺(とうみょうじ)」
近鉄橿原線郡山駅から矢田寺前行バスで「横山口」で下車、歩いて30分のところで、大和民俗公園から北西方面に登っていく丘陵の中腹に、高野山真言宗「鍋蔵山(かぞうざん)東明寺」があるのです。
東明寺は舎人(とねり)親王が建立したと伝えられ、舎人親王は天武天皇の皇子で、淳仁天皇の父であり、「日本書紀」の編纂(へんさん)に関わったほか、「万葉集」にも多くの歌を残す歌人でもあるのです。
父である天武天皇の后である持統天皇が眼病に苦しんでいたとき、平癒を祈っていた舎人親王の夢枕に翁(おきな)の姿をした白髭明神が現れ。「山に登り井戸の水を掬(すく)って目を洗うように」といって金鍋を授かったのです。
このお告げに従い目を洗ったところ持統天皇の目は治り、感謝した舎人親王により、持統天皇7年(693年)に建立したのです。
寺を建立する際にその金鍋を埋蔵したことから山号を「鍋蔵山」に、また目を洗ったときに「東の方向が明るく見えた」ことから「東明寺」と名付けたと言われています。
本尊は木造薬師瑠璃光如来坐像(重要文化財)で、9世紀半ばごろに造られた桜の一本造りの仏像なのです。
拝観には予約が必要(0743-52-7320)で毎月21日と28日は拝観不可となっており、拝観料300円が必要となります。
・日本最古級の磨崖仏「滝寺廃寺」
近鉄橿原線郡山駅より矢田寺前行バスで「矢田東山」で下車し、歩いて35分くらいのところで、大和民俗公園から子どもの森へと向かう道から、東へ少し入ったところに、滝寺廃寺があります。しかし、少しわかりづらいですので注意が必要です。
寺自体は奈良時代に創建されたと伝えられているのですが、詳細は不明となっています。しかし、付近から奈良時代の瓦が出土したため裏付けされたのです。
滝寺廃寺は、昭和40年代まではお寺として続いていたのですが、現在は廃寺となっています。
境内跡には大きな覆堂があり、そのなかに花崗片磨岩を削って造られた磨崖仏があるのです。
仏像を納めるために岩壁を彫り窪めた仏龕(ぶつがん)が5面あり、如来や菩薩が彫られているのです。
残念ながら摩耗や落剥が激しく、詳細を見ることは難しいのですが、三尊仏や菩薩立像などが確認することはできます。
8世紀に入ったころのもので、国内最古級の磨崖仏と推測され、また、苔むしたようすがかむさびた雰囲気を醸し出しているのです。
現在は、鍵がかかっていますので、格子の外からの拝観となります。