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日記(2.25) 向島百花園と大浮世絵展 (35期いきがい大学・史跡クラブ)

2014-02-25 22:17:51 | 日記
2月25日 (火曜日)  晴れ 暖かい日になった。

35期いきがい大学の史跡クラブ活動。幹事班は7班さん。
当初予定された三嶋神社方面が道路網の都合で
都内の向島百花園と大江戸博物館に変更された。

黄色いCTBの秩父観光バスで出発。

東京に、このバスが走るとハトバスに、色も似ているので
都会っ子等にヤマバトだ!と言われるらしいが・・。

荒川河川敷の雪が溶けていない、随分積もったもんだ!


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外環道で少々の渋滞はあったものの
まあ時間通より早くに、荒川から隅田川側へ・・向島に着。
百花園へ、皆さんは何回か来たところであろうな!




小さい写真はクリックすると大きくなります。

今の時期は梅のみの開花である。









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梅まつりは
開催日 平成26年2月8日(土)~3月9日(日)9時~17時
とある。

向島百花園は、東京都墨田区東向島三丁目にある都立庭園で、
江戸時代に発祥をもつ花園である。
みどころは早春の梅と秋の萩である。
隅田川七福神の「福禄寿」が祭られている。
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沿革・・・
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)
もと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、
1805年(文化2年)に開園した。

360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった
「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが


1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。

江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、
著名な利用者には「百花園」の命名者である絵師酒井抱一や門の額を書いた

狂歌師大田南畝らがいた。
当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で

詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。
園内には多数の野草が植えられ、
とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。
また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。

その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、
明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、

明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、
一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には
公営の公園として出発した。
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それほど広くない園である。梅だけでは
観賞するのも一時間足らずで十分である。
風流さに欠ける・わが身を少々残念に思う。

ここは早めに出発し有明ワシントンホテルでランチ・バイキンを
いただく、まだ11時半くらいだ、ワインなど軽くいただき、1時間程を
過ごす。
このあたりは個人的にちょっと懐かしい場所だ。
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この後、江戸東京博物館の大浮世絵展に入る。

学生がいっぱい授業の一環かな!来ている。



混雑していて、人の頭ばかり見て廻る
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薄暗いし、少しほろ酔いだ・・良く見えないなあ~!
まあいいか!

これらが全部木彫りの版画というのが凄い!
信じられないほど繊細であるが
摺り師も大したものだと思う。
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見たかった・・・見返り美人は

特別展「大浮世絵展」で展示しておりました
菱川師宣「見返り美人図」は、誠に申し訳ありませんが、
2月16日(日)をもって当館での展示を終了いたしました。
とあった残念。
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あとは常設展示の6Fへ

日本橋を渡って、江戸時代の古地図など見て疲れた感じ。


役員の方・幹事班の方にはお世話になりました。
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15時頃には両国を出発、帰着は未だ17時であった。
陽がのびて、まだまだ明るい。軽く夕食をとって
K氏に送ってもらい帰宅。
眠い!






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