ということで、落ち穂拾いもこれで最後。池之端でラストになる。撮影日は1982年2月2日13日、現在の画像は2010年10月30日、2011年5月30日、6月7日撮影。
池之端三丁目5番。関庭酒店。老舗の酒屋さん。今も盛業中。左側の出桁造りは今は店舗ではないが健在。工事中だったので、以前撮ったカットも。
池之端三丁目4番。関庭酒店から上野高校グランド下の道への途中。板塀を巡らせた一軒家。池之端らしい雰囲気。今はマンションが建っている。
池之端三丁目4番。その並びの二軒長屋。奥行きもあって、良い感じの長屋。
池之端四丁目16番。大成教壽老教會。木が育った以外は変わらない。
池之端四丁目11番。塀が巡り、庭があって、好ましい雰囲気の一軒屋。普通といえば普通かもしれないが、この普通が今となってはなかなかない。今は建て替えられている。
池之端四丁目19番。上野桜木に近い一角、三段坂の通りを下から行き右手に入ったところ。立派な家。明治牛乳の木箱が懐かしい。後ろに見えているのは芸大の校舎。今は建て替えられていて、後ろは見えない。
池之端四丁目22番。前回掲載した家の隣。煉瓦塀に趣があるが、家があまり写っていないのが惜しい。玄関の造りが面白いのと、手前に井戸があるのが分かる。今も塀は活かされて建て直されている。
池之端四丁目23番。前回掲載した路地へのアプローチ。平屋の家が並んで、いかにも趣のある路地だった。手前の家も今は建て替えられている。
池之端四丁目23番。その路地を出たところの家。右側の家は今もある。この頃は二軒並んでいて、どちらも手入れが行き届いて精気漲るという感じだった。今は奥の家は更地になっている。
池之端四丁目23番。その手前の家。前に掲載した家だが、東日本大震災で被害を受けている。その姿を見ると心が痛むが、前回のカットとは逆のアングルから撮った6x6のカットがあったので、再掲する。現在のカットは被災状況が窺える裏手からのアングル。
池之端二丁目24番。その向かいにあった行徳という割烹。今は駐車場になっている。
池之端二丁目24番。もう一枚、行徳。これは6x6で撮影したカット。引きがないので、もう少し周りを入れて撮りたかったといった感じだろうと思われる。
これでほぼ全カット掲載できるものについては、公開できたのではないかと思う。すこしでもこの写真を見て頂き、お住まいになっていた方々やこれまで取り上げた町に想い出のある方々の記憶を呼び覚ます縁になればと思う。また、この80年代の町を知らない世代には、かつてこんな町があったことを覚えておいて欲しい。長い時系列の上に、東京という町も出来上がって動き続けている。でも、数え切れない人達の生活の舞台でもあったし、今でもそうであり続けているのだから。
池之端三丁目5番。関庭酒店。老舗の酒屋さん。今も盛業中。左側の出桁造りは今は店舗ではないが健在。工事中だったので、以前撮ったカットも。
池之端三丁目4番。関庭酒店から上野高校グランド下の道への途中。板塀を巡らせた一軒家。池之端らしい雰囲気。今はマンションが建っている。
池之端三丁目4番。その並びの二軒長屋。奥行きもあって、良い感じの長屋。
池之端四丁目16番。大成教壽老教會。木が育った以外は変わらない。
池之端四丁目11番。塀が巡り、庭があって、好ましい雰囲気の一軒屋。普通といえば普通かもしれないが、この普通が今となってはなかなかない。今は建て替えられている。
池之端四丁目19番。上野桜木に近い一角、三段坂の通りを下から行き右手に入ったところ。立派な家。明治牛乳の木箱が懐かしい。後ろに見えているのは芸大の校舎。今は建て替えられていて、後ろは見えない。
池之端四丁目22番。前回掲載した家の隣。煉瓦塀に趣があるが、家があまり写っていないのが惜しい。玄関の造りが面白いのと、手前に井戸があるのが分かる。今も塀は活かされて建て直されている。
池之端四丁目23番。前回掲載した路地へのアプローチ。平屋の家が並んで、いかにも趣のある路地だった。手前の家も今は建て替えられている。
池之端四丁目23番。その路地を出たところの家。右側の家は今もある。この頃は二軒並んでいて、どちらも手入れが行き届いて精気漲るという感じだった。今は奥の家は更地になっている。
池之端四丁目23番。その手前の家。前に掲載した家だが、東日本大震災で被害を受けている。その姿を見ると心が痛むが、前回のカットとは逆のアングルから撮った6x6のカットがあったので、再掲する。現在のカットは被災状況が窺える裏手からのアングル。
池之端二丁目24番。その向かいにあった行徳という割烹。今は駐車場になっている。
池之端二丁目24番。もう一枚、行徳。これは6x6で撮影したカット。引きがないので、もう少し周りを入れて撮りたかったといった感じだろうと思われる。
これでほぼ全カット掲載できるものについては、公開できたのではないかと思う。すこしでもこの写真を見て頂き、お住まいになっていた方々やこれまで取り上げた町に想い出のある方々の記憶を呼び覚ます縁になればと思う。また、この80年代の町を知らない世代には、かつてこんな町があったことを覚えておいて欲しい。長い時系列の上に、東京という町も出来上がって動き続けている。でも、数え切れない人達の生活の舞台でもあったし、今でもそうであり続けているのだから。
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