上野の山は見所の多いところだが、大体いつも同じ様なところに行くだけで、奥の方まで足を踏み入れることがなかった。改めて歩き回るとなかなか面白いので、機会があれば歩き回ることをお勧めしたい。ぐるりと回ったところでそれ程のものではないし、程良く散歩というレベルで楽しめる。
寛永寺に向かう途中、黒田記念館の奥にあるのが国立国会図書館国際こども図書館である。ここは元々帝国図書館であったところで、国会図書館の元祖である。明治39年に建てられたもので、昭和に入ってから造築されている。私の祖父も、大正時代に炊きたてのご飯を入れた弁当箱に生卵を落として蓋をし、新聞紙で包んだものを抱えてここに勉強に通ったと話していた。その頃は、上野山下の伊豆栄の前を通ると、いつかこんな店で好きに食事の出来る様になりたいと思っていたという。
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2000年に国会図書館の見直しから、国際こども図書館としてリニューアルオープンした。2002年に全面オープンと出ているが、現在も平成27年6月完成を目指して造築工事が行われている。造築棟は建物の裏側に作られているのだが、正面に工事事務所のプレハブが置かれている。完成して、全貌が再び見える日が待ち遠しい。
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さて、寛永寺にはかつては36もの子院があったそうだが、現在も19ヶ所が存在している。そのうちの15ヶ所は国立博物館の東側に集まっている。その一郭はそこだけお寺の混じった住宅地のように見えるが、寛永寺の住居エリアになっているのかなとも思う。こちらは公開されていない上に、中を通る道には私有地につき立ち入り禁止の札が立っている。直ぐのところに見えている門は、真如院といい門前に結界石が置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d1/a5e9d4123ee2d3d80b0979833e92c37c.jpg)
そこで、線路側の通りを歩いて行くと、子院の山門を幾つも見ることが出来る。これは本覚院。この辺は戦災で焼失したところと免れたところの境目になっている様だ。
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これだけ見ると、昭和30年代でもおかしくないような板塀の景色。道路の舗装を剥がせば、戦前と言っても通りそうな雰囲気。
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これも子院の施設。真横から見たところ。戦後に建てられたものの様だが、今では珍しい程の木造家屋。
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板塀の雰囲気も昔ながらで、しみじみと眺めてしまった。
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その向かい側、崖に近い側には現龍院墓地がある。その前には「殉死之墓」という石柱が立てられている。
「殉死者の墓 台東区上野公園十八番 現龍院墓地
慶安四年(一六五一)四月二〇日、三代将軍徳川家光が死去した。その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
堀田正盛(元老中。下総国佐倉藩主) 阿部重次(老中。武蔵国岩槻藩主)家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某
内田正信(小姓組番頭・御側出頭。下野国鹿沼藩主)家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助 三枝守恵(元書院番頭)家臣の秋葉又右衛門
殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。家光への殉死から十二年後、寛文三年(一六三三)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
平成十六年三月 台東区教育委員会」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b9/174270c8c3f4ecd38ed040dccba8a595.jpg)
墓地の入口には、「哀しみの東京大空襲」慰霊碑も建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9e/81244915edb621e3aff108c6b5864794.jpg)
こちらは玄光院の山門。
寛永寺に向かう途中、黒田記念館の奥にあるのが国立国会図書館国際こども図書館である。ここは元々帝国図書館であったところで、国会図書館の元祖である。明治39年に建てられたもので、昭和に入ってから造築されている。私の祖父も、大正時代に炊きたてのご飯を入れた弁当箱に生卵を落として蓋をし、新聞紙で包んだものを抱えてここに勉強に通ったと話していた。その頃は、上野山下の伊豆栄の前を通ると、いつかこんな店で好きに食事の出来る様になりたいと思っていたという。
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2000年に国会図書館の見直しから、国際こども図書館としてリニューアルオープンした。2002年に全面オープンと出ているが、現在も平成27年6月完成を目指して造築工事が行われている。造築棟は建物の裏側に作られているのだが、正面に工事事務所のプレハブが置かれている。完成して、全貌が再び見える日が待ち遠しい。
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さて、寛永寺にはかつては36もの子院があったそうだが、現在も19ヶ所が存在している。そのうちの15ヶ所は国立博物館の東側に集まっている。その一郭はそこだけお寺の混じった住宅地のように見えるが、寛永寺の住居エリアになっているのかなとも思う。こちらは公開されていない上に、中を通る道には私有地につき立ち入り禁止の札が立っている。直ぐのところに見えている門は、真如院といい門前に結界石が置かれていた。
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そこで、線路側の通りを歩いて行くと、子院の山門を幾つも見ることが出来る。これは本覚院。この辺は戦災で焼失したところと免れたところの境目になっている様だ。
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これだけ見ると、昭和30年代でもおかしくないような板塀の景色。道路の舗装を剥がせば、戦前と言っても通りそうな雰囲気。
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これも子院の施設。真横から見たところ。戦後に建てられたものの様だが、今では珍しい程の木造家屋。
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板塀の雰囲気も昔ながらで、しみじみと眺めてしまった。
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その向かい側、崖に近い側には現龍院墓地がある。その前には「殉死之墓」という石柱が立てられている。
「殉死者の墓 台東区上野公園十八番 現龍院墓地
慶安四年(一六五一)四月二〇日、三代将軍徳川家光が死去した。その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
堀田正盛(元老中。下総国佐倉藩主) 阿部重次(老中。武蔵国岩槻藩主)家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某
内田正信(小姓組番頭・御側出頭。下野国鹿沼藩主)家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助 三枝守恵(元書院番頭)家臣の秋葉又右衛門
殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。家光への殉死から十二年後、寛文三年(一六三三)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
平成十六年三月 台東区教育委員会」
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墓地の入口には、「哀しみの東京大空襲」慰霊碑も建てられている。
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こちらは玄光院の山門。
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