東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

千代田区神田須田町~ありがとう、90年。神田銅板建築 柏山邸お別れ会

2012-09-11 18:50:20 | 千代田区
先日、このブログで紹介した神田須田町の銅板張りの看板建築、柏山邸の邸内公開のイベントに行くことが出来たので、そのレポートを。公開は明日の9月12日(水)まで行われる。そして、夜にはライトアップも行われるというので、お時間のある方は是非どうぞ。ただし、最後の方は混雑が予想され、邸内の見学が難しくなる可能性があるとのこと。詳細はこちらのサイトを参照のこと。
伺ったのは初日の9月10日(月)のこと。まだ準備が完了しておらず、一階の旧店舗スペース内では作業が続行中だった。まずは、会場で頂いた絵葉書。左右非対称で、建物の正面と直角の方向でマンサード屋根になっていること、それから左右が非対称になっているのが特徴。


正面からの外観。上記の特徴がよく分かる。かつては銅板張りの看板建築とマンサード屋根というのも、それほど珍しいとは思っていなかったのだが、今となっては残されている数は少なくなっている。


マンサード屋根の部分のアップ。左奥に物干し台が見える。側面は防火のために波板が貼られている。


下から仰ぎ見た外観。銅板の緑青が美しい。左右非対称のユニークな形もよく分かる。


一回店舗部分はアルミサッシになっていて、今回の公開に合わせて改装されている。床はクロス貼りだが、土足で結構とのことだった。内部にはパネルで、この家のことや、この周辺の移り変わりについて展示がされている。


池田屋さんというボタンや洋服の裏地を扱う商売をされてきたということで、その組合の旗も貼られていた。


パネル展示の具合はこんな感じ。そこには、この建物の建築時期がはっきりしないということと、震災前の建築の可能性があるとも書かれていた。もし、本当に震災前の建築であるとすれば、これまでの定説を覆す大発見ということになる。とはいえ、冷静に考えてみると、その可能性は極めて低い。そうであれば面白いと思いつつも、何故可能性が低いのかというと、まず、この神田須田町辺りは関東大震災の折には火災の被害の大きかったところである。この家の眼の前にあったレンガ造りの万世橋駅も焼失しており、周辺の連雀町なども全て焼け野原と化している。そこでこの家だけが焼け残ったというのは不自然に思える。
また、マンサード屋根というもの自体が、震災後に大幅な市区改正(区画整理)を行って、道路拡幅などが行われ、その結果家屋の敷地が減少してしまったことに端を発するものだからでもある。敷地が減ったので高さでカバーできるようにという要望があったのに対して、木造の三階建ては許可が下りなくなった。これも震災後のことではないかと思われる。その結果、スペースの不足が深刻な大問題となった中で、折衷案として、屋根裏部屋なら構わないということになり、行政サイドからマンサード屋根にするような指導が行われたらしい。また、銅板張りも木造家屋の防火対策として行われたもので、しかも震災復興期にしか見られないスタイルでもある。
それだけに、震災前にこのスタイルが出現していたとは考えにくい。建物の解体時に、屋根裏の墨書を調べれば分かるということであったが、どんな回答が得られるのか、楽しみでもある。


さて、いよいよ内部探検の始まり。店舗の横に細長いスペースがあって、プライベートの出入り口になっている。そこからお邪魔する。そこは、ご商売をされていた頃の作業スペースの雰囲気が残されていた。


狭くて急な階段(これも敷地が限られたせいである)を上っていくと、二階の和室。手前の部屋が台所になっている。元は和室二間だったそうだが、台所に改装したそうだ。


和室の天井。非常に良いコンディションで、使われてきた良さがあって、勿体ない。


柏山家の人形などが飾ってあった。


床の間があって、凝った作りがされている。大工さんの腕の見せ所。


床の間を挟んで違い棚が設けられているのだが、左右で非対称に細工まで変えてあった。


二階の窓からの景色。かつては、広瀬中佐の銅像が見えていたはずの窓。


建築当初から大事にされてきたランプ。あんまり大事にしてきて点灯されたことがないとのこと。最終日のライトアップの際に点灯したいという話だった。


再び、急な階段を上がって屋根裏部屋へ。元々はスペースの半分、建物の裏手よりが物干し台であったそうだが、子供が増えたので増築されたという。


長い家族の生活の歴史を感じさせる壁。この家が左右非対称なのは、嫁入り道具が多くて収まらなくなりそうだったので、建物の形を変えて収納スペースを増やしたためとのこと。


物干し台からの景色。かつては万世橋駅、そして交通博物館のあったところ、今は高層ビルが出来上がろうとしている。


ということで、古い家の内部を見せて頂ける機会というのは、そうあるものではない。また、非常に良いコンディションで使われてきていることが見て取れて、感慨深いものがあった。今なら、銅板張りの家も、マンサード屋根も減ったとは言え、見ることが出来る。神田界隈でも、確実にその数は減り続けているし、数年するとさらに絶滅寸前になっていくだろうと思う。この家も10月になれば姿を消してしまう。果たして、こうして消えていくのを見ているだけしかできないのだが、これで良いのだろうかと思う。


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