東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

台東区の銅板貼り建築~その二

2014-10-15 22:29:05 | 台東区
台東区内には、比較的銅板貼り建築が多く残されている。訪ねて歩くには、戦災をどの辺りが免れているのかということを調べ、さらに後はひたすら歩き回って見るしかない。そんな中では、この鳥越はまとまって昭和初期からの街並みとして残されているとも言える。おかず横丁は、その名前からも分かる様に女性も労働力として忙しかった東京の町場で、惣菜を売っていたことからその名が付いた。これも、江戸以来の伝統というべきで、江戸時代でもあまり庶民の家では料理をしなかったらしい。以前、杉浦日向子さんが江戸の庶民の家には包丁もなかったという話をされていたのを思い出す。お米を炊くことはしても、おかずは買ってきて済ませるというスタイルがあったようだ。
蔵前橋通り沿い、鳥越一丁目。


そして、おかず横丁の入口の高岡酒店。菊正宗の看板もカッコ良い。


おかず横丁の中にも、銅板貼り建築が今も健在。吾妻寿司。紺の暖簾が良い雰囲気だ。


今はお店は営業していないようだが、銅板貼りの前側に造形に凝った構えが作られている。右側にモルタル仕上げの倉庫があるが、蔵に見立てているような雰囲気に見える。鳥越一丁目。


その先には、店舗を思い切って取り払いガレージに改装している建物。一階の壁を取り払った分、鉄骨で周囲の枠を補強する形になっている。


おかず横丁から清洲橋通りに出て曲がった辺り。左側に連なる長屋造りだったものが、一棟分が残されている様子。一階はアルミサッシ化されているが、シンプルなようで、窓廻りなど丁寧に造られている印象を受ける建物。一つ前の建物と、同じ大工さんの作だろうと思われる。


おかず横丁の二本北寄りの通り、昔ながらの町場の景色。鳥越一丁目。


町の奥でも、銅板貼り建築が並んでいる。今は仕舞た屋だが、元々は商店であったわけで、街全体の活気があった景色が思い浮かぶ。鳥越一丁目。


街並みの奥にも、昭和の初めから変わらない景色が残る。鳥越一丁目。


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