さて、引き続いて旧居木橋村のエリアを見て歩く。まずは、現在の居木橋からの眺め。山手線の電車が走り抜けていく。この周辺は、鉄道の建設、目黒川沿いの工業化など、明治時代から開発が行われてきたエリアでもある。山手線の駅の中では異色と言える程に、駅前に巨大な工場が並ぶ町であったのだが、それがこの十年ほどの間で劇的な変化を遂げて、高層ビルの林立するオフィス街へと転換してしまった。良くこの山手通りをかつては仕事で通っていたのだが、ここまで変わってしまうと同じ町とは思えないほどだと感じる。そして、当然のことながら、居木橋村を偲ばせてくれるようなものはほぼ何も残されていない。
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その居木橋のたもとには、教科書でお馴染みの光村印刷の本社ビルが建てられている。光村印刷は昭和9年から大崎に工場を持っていて、この地には縁が深い。本社ビルは、平成8年に竣工したもの。その敷地の一角には、稲荷社(何も書かれていないのだが。)が祀られている。扁額も由来書きもないのは、やや寂しい。
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さて、一気に駅の反対側まで飛んでいくのだが、前回掲載した観音寺に隣接して、居木神社の参道が奥へと伸びている。
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位置関係で言えば隣なのだが、もう少し詳しく言えば、観音寺の奥に居木神社があるという感じ。参道が長い。
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ようやく階段下まで辿り着いた。実際には、観音寺の本堂脇に出入り口があって、そこを出るとこのすぐ横に出てくることが出来る様になっている。
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階段の横には、石灯籠や昭和8年の銘で遷宮の記念碑が置かれている。
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参道を振り返ると、大崎の町が広がる。
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さて、この神社、創建年代は不詳ながら居木橋村の南側に位置して、「雉子ノ宮」と呼ばれていたそうだ。境内には「ゆるぎの松」といわれた松の大木があって、道行く人の目印になっていた。この居木橋を通る道は、多摩方面から品川宿へ向かう古くからの道で、この松を目にすると、もう直ぐ品川だと先を急ぐ人が安堵したという。
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そして、元は別当であった観音寺と共に、元禄年間に水害を避けてこの地へと移転したということらしい。そして、昭和8年に新しい社殿を建てたものの、昭和20年の空襲で焼失し、昭和53年に完成したものだそうだ。移転した跡には祠があったともいうのだが、光村印刷のビルの祠がその辺りまで踏まえたものだとすれば、なかなか面白いと思う。とはいえ、そんな話があるわけではないのが残念、と言うことだ。
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真新しい大崎の町だけど、古くからの歴史を持っている証しでもある神社。落ち着いた高台で、神社に相応しいロケーションとも思う。反面、かつてあったという居木橋の南、そして当時の道路の様子など興味が湧くところだが、こればかりはなかなか分かるものではない。
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境内の石灯籠には、弘化二年の銘がある。
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御神木。
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参道を上がりきった手水舎の辺りも、大きな木が繁って、神社らしい雰囲気になっている。
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社殿の左手には、境内社が祀られている。
「居木神社末社厳島神社(旧・松原家屋敷神) 品川区指定有形文化財 指定:平成十六年八月二十四日(建造物第三号)
この厳島神社は居木神社の末社であるが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていた。後に、居木神社が引き取り、末社としたものである。
小型の神社建築であるが、質のよい彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が施されている。これは、概ね天明期ころまで通例とされた様式であるが、欅と思われる素木を使った部分も多い。十九世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いている。これらのことや、おおむね輪釘を使っていることなどをあわせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されるが、保存状態も良好である。彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものである。
平成十七年三月三十一日 品川区教育委員会」
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この中に、彩色の施された社殿が収められているわけである。
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境内を見渡してみる。大崎は何度も書いているように、明電舎の工場もあって工業地帯だったことから、米軍の爆撃も目標になったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/87/48eef31a670b844ae7cb3b398e007c61.jpg)
境内から裏手に出られる様になっているのだが、神社の横手を下っていく坂道。そして、向こうには大崎の町。
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その居木橋のたもとには、教科書でお馴染みの光村印刷の本社ビルが建てられている。光村印刷は昭和9年から大崎に工場を持っていて、この地には縁が深い。本社ビルは、平成8年に竣工したもの。その敷地の一角には、稲荷社(何も書かれていないのだが。)が祀られている。扁額も由来書きもないのは、やや寂しい。
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さて、一気に駅の反対側まで飛んでいくのだが、前回掲載した観音寺に隣接して、居木神社の参道が奥へと伸びている。
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位置関係で言えば隣なのだが、もう少し詳しく言えば、観音寺の奥に居木神社があるという感じ。参道が長い。
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ようやく階段下まで辿り着いた。実際には、観音寺の本堂脇に出入り口があって、そこを出るとこのすぐ横に出てくることが出来る様になっている。
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階段の横には、石灯籠や昭和8年の銘で遷宮の記念碑が置かれている。
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参道を振り返ると、大崎の町が広がる。
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さて、この神社、創建年代は不詳ながら居木橋村の南側に位置して、「雉子ノ宮」と呼ばれていたそうだ。境内には「ゆるぎの松」といわれた松の大木があって、道行く人の目印になっていた。この居木橋を通る道は、多摩方面から品川宿へ向かう古くからの道で、この松を目にすると、もう直ぐ品川だと先を急ぐ人が安堵したという。
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そして、元は別当であった観音寺と共に、元禄年間に水害を避けてこの地へと移転したということらしい。そして、昭和8年に新しい社殿を建てたものの、昭和20年の空襲で焼失し、昭和53年に完成したものだそうだ。移転した跡には祠があったともいうのだが、光村印刷のビルの祠がその辺りまで踏まえたものだとすれば、なかなか面白いと思う。とはいえ、そんな話があるわけではないのが残念、と言うことだ。
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真新しい大崎の町だけど、古くからの歴史を持っている証しでもある神社。落ち着いた高台で、神社に相応しいロケーションとも思う。反面、かつてあったという居木橋の南、そして当時の道路の様子など興味が湧くところだが、こればかりはなかなか分かるものではない。
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境内の石灯籠には、弘化二年の銘がある。
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御神木。
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参道を上がりきった手水舎の辺りも、大きな木が繁って、神社らしい雰囲気になっている。
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社殿の左手には、境内社が祀られている。
「居木神社末社厳島神社(旧・松原家屋敷神) 品川区指定有形文化財 指定:平成十六年八月二十四日(建造物第三号)
この厳島神社は居木神社の末社であるが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていた。後に、居木神社が引き取り、末社としたものである。
小型の神社建築であるが、質のよい彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が施されている。これは、概ね天明期ころまで通例とされた様式であるが、欅と思われる素木を使った部分も多い。十九世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いている。これらのことや、おおむね輪釘を使っていることなどをあわせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されるが、保存状態も良好である。彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものである。
平成十七年三月三十一日 品川区教育委員会」
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この中に、彩色の施された社殿が収められているわけである。
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境内を見渡してみる。大崎は何度も書いているように、明電舎の工場もあって工業地帯だったことから、米軍の爆撃も目標になったのだろう。
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境内から裏手に出られる様になっているのだが、神社の横手を下っていく坂道。そして、向こうには大崎の町。
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