旗岡八幡神社を出て、鎌倉道と言われる中通りを先に行こうと思うと、出たところの角に地蔵堂があった。住宅街の敷地の一角を割いて、小さいながらも堂宇が作られている。
地蔵像には、野村肥後守源綱定と刻まれている。左側には御先祖菩薩とも刻まれている。
石灯籠の竿石には、「野村肥後守源綱定 野村六郎兵衛先祖菩薩と刻まれてている。キレイに保たれているので、今も大事にされているようだ。
蔵のある中通り。
先へ進んでいくと、東急池上線の線路と交叉する。といっても、池上線の線路は地下化されている。1989年にこの辺りは地下化されたようだ。線路敷きは公園になっていた。そこにはかつてを偲ぶように線路のモチーフがあった。
道路の反対側、池上方面はこんな感じで半地下というのか、屋根の空いた下を線路が走っている。
中通りもこの辺りは、普通の住宅街。
モルタルに黒々とした文字がくっきりとしたクリーニング店。
取り立てて古道らしいものはなく、淡々と先に進む。
そして、平塚橋に到着。ここから中原街道に合流して目黒へと向かうのだが、それは以前にもう掲載しているので、このシリーズはここまでである。
地蔵像には、野村肥後守源綱定と刻まれている。左側には御先祖菩薩とも刻まれている。
石灯籠の竿石には、「野村肥後守源綱定 野村六郎兵衛先祖菩薩と刻まれてている。キレイに保たれているので、今も大事にされているようだ。
蔵のある中通り。
先へ進んでいくと、東急池上線の線路と交叉する。といっても、池上線の線路は地下化されている。1989年にこの辺りは地下化されたようだ。線路敷きは公園になっていた。そこにはかつてを偲ぶように線路のモチーフがあった。
道路の反対側、池上方面はこんな感じで半地下というのか、屋根の空いた下を線路が走っている。
中通りもこの辺りは、普通の住宅街。
モルタルに黒々とした文字がくっきりとしたクリーニング店。
取り立てて古道らしいものはなく、淡々と先に進む。
そして、平塚橋に到着。ここから中原街道に合流して目黒へと向かうのだが、それは以前にもう掲載しているので、このシリーズはここまでである。
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