立会川の谷から、再び台地の上まで登り切った辺り、もうすっかり宅地化されているのだが、そんな町中に三谷八幡神社があった。ここは少し大きめの神社。元は、前に取り上げた小山八幡神社がこの辺りの鎮守であったのだが、宗教上の争いからこの神社が創建されたという。境内には、平成四年銘の創建三百年記念碑が建てられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/8578c3cce1f138bf14a1b575899c44ae.jpg)
手水舎。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ce/2100575727975d7ef92f7b1203b9e7d9.jpg)
神楽殿は参道左手にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/f9/b2d357d56b025c2702954fcb0f4fd868.jpg)
社殿。木造の立派なもの、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/7e/dba0016508a8bf0bd4ae31e10df5badb.jpg)
銅葺きの屋根も美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9c/a941a88b84523810dabfe3bf023f53f4.jpg)
三谷八幡神社の扁額。今は勿論、小山八幡神社との間の諍いなどはなく、お祭りも両社で揃って行うのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/aa/06572cd7731b94f4ddd3c071900a1ae7.jpg)
社殿の左手には、境内社の稲荷社が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/41/f66851cfa80c469914997d85f39ed078.jpg)
敷地に隣接して、金山地蔵尊も祀られている。江戸初期からあるもので、八幡通りと碑文谷道の交差する辻にあった。(現在の小山5-15-8)大正末期に行われた耕地整理でこの場所に移された。小山村の旧家である石井、伊藤両家の塔種が九品仏に願を掛け、叶ったので、地蔵菩薩を祀ったのがはじまりという。昭和二十九年に劣化と戦災のため、お堂と石像が再建されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6d/c1226bf9bef471cc46dc18b938294e15.jpg)
昭和29年に再建された地蔵尊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/43/cd6ad92d05cd095b466b0cde0ec8fff2.jpg)
庚申塔も並んでいる。これらも、大正末の耕地整理に伴ってここに移されたという。庚申供養塔は右寄り二基は正徳二年(1712)と享保四年(1719)のもの、左端は元禄年間(1688~1703)ものを昭和三十二年に再建したものだという。馬頭観世音菩薩供養塔は、農村であった小山村の農耕馬の供養のためのもの。これも昭和二十九年に再建されたものだという。
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手水舎。
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神楽殿は参道左手にある。
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社殿。木造の立派なもの、
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銅葺きの屋根も美しい。
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三谷八幡神社の扁額。今は勿論、小山八幡神社との間の諍いなどはなく、お祭りも両社で揃って行うのだという。
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社殿の左手には、境内社の稲荷社が祀られている。
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敷地に隣接して、金山地蔵尊も祀られている。江戸初期からあるもので、八幡通りと碑文谷道の交差する辻にあった。(現在の小山5-15-8)大正末期に行われた耕地整理でこの場所に移された。小山村の旧家である石井、伊藤両家の塔種が九品仏に願を掛け、叶ったので、地蔵菩薩を祀ったのがはじまりという。昭和二十九年に劣化と戦災のため、お堂と石像が再建されたという。
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昭和29年に再建された地蔵尊。
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庚申塔も並んでいる。これらも、大正末の耕地整理に伴ってここに移されたという。庚申供養塔は右寄り二基は正徳二年(1712)と享保四年(1719)のもの、左端は元禄年間(1688~1703)ものを昭和三十二年に再建したものだという。馬頭観世音菩薩供養塔は、農村であった小山村の農耕馬の供養のためのもの。これも昭和二十九年に再建されたものだという。
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