東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

中央区入船

2011-05-11 18:00:00 | 中央区
新富町から新大橋通を渡ると入船である。この辺りも関東大震災後の昭和初期の復興期に出来た町がそのまま生きていた。通り一つ隔てている新富町とは町の個性が確実に変わっているのが面白い。割烹や料亭に会社の事務所が多かった新富町に対して、ここは小さな商店、中小企業の町工場などが多い。町並を見回しても,違う顔付きをしている。今は小さな商店はあらかた姿を消しているし、まるで京都の町屋のごとくに重なり合っていた家々は区画ごと高層マンションになっているところもある。この頃は路上に駐車車両が溢れていたが、今は町もひっそりとしているし、人通りも少ない。ビルが建ち並ぶようになると日が差さなくなるし、何よりも町の顔立ちが見えなくなっていく。撮影日は、1981年9月30日、10月3日そして1982年1月29日。現在の画像は2010年11月8日9日18日に撮影。

二丁目2番。新大橋通から入った辺り。この辺りも築地からの流れで水産加工品の町工場があった。今はマンションが建っている。


三丁目6番。銭湯繁の湯。ちょっと昭和モダンという感じの外観が良い。今はビルが建っているが、その中に入船湯という銭湯がある。


三丁目5番。その前の通りを引きで見る。レッドはスナックだろうか?鳥肉玉子の佐倉屋、伊藤畳店と商店が並んでいる。今はビルが建っている。


三丁目5番。少し奥へ行ったところ。区画は綺麗に四角く出来ているのだが、その中の奥にも家が建てられている。当然奥の家の玄関はこんな感じ。手前の扉には三上税務会計事務所とある。奥に見える煙突は銭湯のもの。いまは駐車場になっている。


三丁目4番。更に進んでその道の反対側。食堂滝口は今はもう営業していないが、建物は健在。隣の豆腐屋さんは営業中。


二丁目2番。再び新大橋通りへ戻る。保坂医院。さすがにこの当時でも古色蒼然とした建物だと感心した。今はマンションが建っている。


二丁目1番。八丁堀寄りに行った角。角に立つ看板建築は面白い意匠になりやすいように思う。今は一角が高層ビルになっていてい、この町の面影はない。


二丁目2番。そこから入船を覗いてみる。右側のさくら家は今も営業している。左側二軒目はオーストラリアサーファーズと読める。


二丁目5番。廣橋精版。そこから入った角の製版屋さん。趣のある表情の建物。今はビルが建っている。


二丁目9番。光芸。もう少し奥に進んだところ。角の玄関の造りが面白い。今はビルになっている。


二丁目1番。新大橋通りの一本裏の通り。ボンボンはスナックか?入船寿司に酒屋。小さな商店が生きている町、この当時は当たり前だった。今は再開発の高層ビル。


二丁目1番。その並びの角。洋服屋さんに米屋さん。左の道路の一方通行は変わらないが、この写真だけを頼りにしても今はどこなのか分からないほど変わっている。これも高層ビルにになっている一角。


二丁目5番。その向かいにあった呉服店。となりの蕎麦屋は今も健在。ビルに建て替えられて、おにぎりを売っている店がある。


この写真を撮った後にも、今は月島にあるセットショップという写真撮影材料を扱う店が佃大橋の通りにあったので、何度もこの辺りには来ていた。その店が月島に移転して、今は銀一スタジオショップという名になっている。そのせいで何となく知っているつもりになっていたが、久し振りに歩いて見ると町の様相が大分変わっていて驚いた。ここに写っていた、数多くの小さな商店や町工場はどこに行ってしまったのだろうか。どれだけの数のそういった小さな生きる術が消えていったのか、それを思うとどれほど世の中が大きく動いてきたのかを改めて感じる。


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