東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

板橋区~養育院その後

2013-11-22 19:36:11 | 板橋区
このブログでは、板橋区栄町にあった養育院という施設について、以前書いたことがある。明治以来、近代資本主義の進展の中でその推進役として中心的な存在であった渋沢栄一翁が中心になって運営してきた施設で、途中から公立の施設になっていた。弱者、貧者を公が救うことは甘やかしに過ぎないという声がその当時から寄せられたと言うが、渋沢翁は敢然とこれに対抗し、この施設を守り続けてきた。だが、その渋沢翁も既に亡く、戦後には地元板橋区からも追い立てられ掛けたりしながら、関係者の方々の熱意により養育院は維持され続けてきたのだが、石原都知事の時代に廃止されることが都議会で決められてしまった。

その跡地には、東京都健康長寿医療センターという施設が出来ている。そして、正に最後まで養育院があったその場所に、このセンターの新館の建設工事が行われて、2013年6月1日に新センターがオープンした。その中に、養育院と渋沢栄一の業績を記念したコーナーが造られているというので、見に行ってみた。

以前からあった渋沢栄一翁の巨大な銅像は、位置と向きが変わったように思う。


彼が守り抜こうとした養育院は、既に無くなってしまった。果たして、この健康長寿医療センターを前にして、翁は何を思うのだろうか。


新たに設置された記念碑には、渋沢翁の筆による「養育院本院」の文字が刻まれている。プレートには、この碑が養育院の有志に寄って建てられたとある。老人医療の必要性に疑問を持っているわけではもちろんないのだが、養育院というものが無くなってしまったことは事実だ。


巨大で真新しい、病院のビル。その必要性はもちろん認めるが、この場所にあった施設はどうなのか、考えてしまう。様々に形を変えて受け継がれているみたいな、曖昧な文言で書かれているが、渋沢翁の銅像に向かって顔を上げてそう言えるのだろうか。


東京都健康長寿医療センター。サイトには、養育院の歩みなども掲載されている。だけど、老人医療に特化した医療施設と、養育院が行って来たことには随分と乖離があると私には思える。だから、養育院の延長線上にこのセンターがあるという主張には、素直に納得出来ない。


病院二階に養育院・渋沢記念コーナーが設けられている。


資料の展示や掲示などもある。隣は読書スペースになっていた。


ロビーには、絵巻状になった養育院の歩みの絵も飾られていた。だけど、老人医療センターと養育院が来院者には結びついていない感じだった。ほとんど関心を持たれてはいない印象。


対象にしている人がそれぞれで違っている訳だから、今来院している人たちにイメージが湧くわけがないと思う。養育院を廃止してしまったことに対して、なんだか出来の悪い言い訳を並べているように見えてしまう。いっそのこと、外の銅像の周辺に来歴はまとめてしまい、医療センターは無関係な顔でもしていた方が良かったのではないかと思えるほど。


真新しい病院で、施設は綺麗だし、売店やカフェテリアもあって、まるでキャンパスのようだとでも言えばいいのだろうか。最新の病院らしく、辛気くさい感じはしないのだが、展示については正直に書いたけど、辛口に見ざるを得ない。今の時代は、再び弱者に厳しい時代になっている。そんな中で、最後の砦たらんとしてきた養育院をも廃止して、自己責任という問題解決放棄を進めてきた結果の一つではないのだろうか。本当にこれで良かったのだろうか。渋沢翁に聞いてみたい。

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