東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

池上本門寺と周辺を歩く~その四:理境院と本町稲荷神社

2015-03-12 19:42:17 | 大田区
さて、池上本門寺の総門を入って直ぐの左手に山門がある。本門寺の玄関内側ともいうべきところにあるのが、理境院。
「理境院
 元享年間(一三二一~一三二四)本門寺三世 日輪聖人の住坊として開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つに列せられ、古来より朱塗りの山門(赤門)を許される。延宝年間(一六七三~一六八一)に長澤氏の母 理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称。慶応三年(一八六七)官軍の江戸城明渡し要求の際に、官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎にあてたと伝えられる。明治十一年(一八七八)堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となる。」


今は庭も美しく整備されている。ここに西郷が緊迫の度を増した幕末にいたのだろうか。そんなことを思うと、興味深い。また、池上が東海道の間道となっていたことも伺わせる。


妙祐山の扁額。これを西郷も見たのだろうか。


そこから池上の山裾を巡る様に時計回りで見ていこうと思う。少し行くと、神社がある。本町稲荷神社という。元はより南側の土手上にあったというが、大正9年に長栄稲荷、玉造稲荷、田上稲荷を合祀して、ここにできたらしい。本門寺の山裾に意味ありげなと思ったら、意外なほどに新しい神社だった。


境内は舗装されているので、こざっぱりとしている。


神楽殿も立派なもの。周辺の宅地化が進む中で、鎮守が欲しいと言う願いから作られたという。


どうも、神仏分離の影響の下でできた神社であるようだ。大正期にできたということで、明治の廃仏毀釈の時期のような乱暴な事はなかったようだが、鎮守が欲しいと言う話自体が、当時の神社の政治的な意味合いを思わせる。


社殿も大きなものではないが、細工も丁寧にされている。


狛犬には、大正12年2月の銘がある。


ちょうど、本門寺へ上っていく車道の車坂の下に当たる。その登り口に立つ木。


横手を上っていくのが車坂。
「『新編武蔵風土記稿』に「車坂、経蔵の背後の坂なり」とあり、また、「池上長栄山本門寺図」天明元年(一七八一)には、車坂が描かれている。昔からある古い坂道である。」案内より


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