東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

馬込からの古道、田無街道~その三:出桁造商家と神明神社

2015-04-04 19:34:43 | 大田区
さて、時計塔の家のところで脇道へ逸れたのだが、もう少し逸れたまま周辺を歩いてみる。その直ぐ先で目に入ってきたのが、出桁造りの商家の建物。既に使われなくなって久しい様子だが、かつてのこの辺りの雰囲気を偲ぶことができる。


ただし、一部崩落している。


下見板貼りの外壁。


立派な商家造り。横手には「ぶどう酒」と書かれた看板が置かれている。元は酒屋であったのだろうか。


いつ頃まで営業されていたのだろうか、そんなことを思い巡らせてしまう。


そこから坂を下っていき、北寄りに裏側へ入って行くと、瑞穂幼稚園がある。その敷地が神明神社でもある。


訪問日は祝日だったので、静まりかえっていた。門の外から眺めたのみ。銅葺きの屋根だが、オリジナルは萱葺きであったのではないかと思う。


社殿の裏手のところには、庚申燈籠があった。


「庚申燈籠 大田区文化財
 享保三年(一七一八)に、馬込村久保谷の庚申講の人々によって庚申供養のため建てられた燈籠である。
 燈籠型の庚申塔は、他地域にも類例があるが、それは銘文や三猿を彫ったものが多い。しかし、この塔のように竿石の正面に、庚申信仰の本尊である青面金剛像を彫ったものは珍しく、貴重である。
 庚申講とは、「庚申の夜、寝てしまうと体内にいる『三尸』という虫が抜け出て、天帝に日頃の罪状を報告され命が縮められてしまう」という言い伝えがあり、そのため眠らずに過ごし、『延命招福』を祈ったものである。
 村の仲間が徹夜で酒食をともにすることから、レクリエーションや村の連帯をはかる寄合にもなった。
 昭和五十年三月十九日指定 大田区教育委員会」
庚申塔はあちらこちらで随分見掛けてきたが、燈籠になっているの初めて見た。

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