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東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

品川からの道~池上道その一:仙台坂

2015-02-13 19:04:04 | 品川区
さて、久し振りに品川宿関連に戻って来た。品川の宿場から伸びていく道ということで、以前には碑文谷、目黒への道を辿ってみたのだが、それとは別に池上への道というのも重要な道筋だった。池上が日蓮宗にとって特別な場所であるからと言うだけではないものがあるので、その辺りも道筋を辿りながら追々見ていければと思っている。まず出発点は青物横丁から。池上道という言い方をするなら、海晏寺と泊船禅寺の間のオリジナルの仙台坂から始めるのが本来かもしれないが、今の時代にメインルートになっている現在の仙台坂から出発する。


歩道橋を越えて、坂道を上り始める。坂の裏は崖下という地形で、坂沿いに店舗が並んでいる。今はもう営業していないところも多い。最近はあんまり目立たない気もするけど、サンキストって一時期は随分広告でも力を入れて販売されていたブランドだった。森永乳業が今も果汁飲料を販売している。


品川区による仙台坂の説明。
「第一京浜国道(国道15号線)を青物横丁で分岐して、JR大井町駅に向かう道路。坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことや、坂上に仙台味噌の工場があったためこのような坂名になったといわれています。もともと仙台坂は、この坂の南方、海晏寺(南品川五丁目)と泊船寺(東大井四丁目)との間にある坂名でした。のちにこの坂の方が道幅が広くなり、交通量が多くなったため坂名が移転したものです。ちなみに、もとの仙台坂は「旧仙台坂」または「くらやみ坂」と呼ばれています。」(品川区サイトより)


並ぶ建物の感じでは、この坂も昭和初期に整備されたのではないかと思う。ゼームス坂の賑わいには及ばなかった印象だが、ここも商店の並ぶ道筋であったようだ。


対抗二車線で、歩道はあまり広くはない。


立派な出桁の商家造り。今は一階はガレージになっている。


都区内では本格的な出桁造りの建物も数少なくなってきているが、とても立派なもの。往時にはどんな様子だったのだろうか。


坂を上りきると、新旧仙台坂の合流点にもなっている。仙台藩伊達家下屋敷のあったところで、370年前に伊達政宗公の命で仙台味噌を造り始めたものが、今も続いているという。


当時は、江戸の味噌は江戸甘といって甘口の味噌が多かったという。そこで馴染んだ故郷の味を味わえるように、味噌造りを始めたそうだ。ガラス越しに巨大な味噌樽が見える。


我が家の地元、板橋にあった加賀前田家の下屋敷では、金沢の野菜の栽培なども行われたと聞いたことがある。これも、故郷の味を江戸詰の藩士にも味わえるようにという要望のためだったそうだ。この仙台味噌のお店は、平日のみの営業とのこと。営業している時に再訪してみたい。


こちらが旧仙台坂(くらやみ坂)を望む。自動車道は傾斜を掘り込んで緩和してある。歩道は完全に分離されている。


右から来ているのが現在の仙台坂、正面右寄りを行くとゼームス坂上を経て大井町駅へ。左へ行くのが池上道。


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