私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

モラル・ハラスメント

2006-03-09 20:02:07 | 私が離婚を決めた理由
このブログを書き始めて、しばらく経った時、モラル・ハラスメントという言葉に出会った。
そして加害者の男性の特徴と旦那が重なると共に、被害者である女性の考え方も自分と重なった。
そして、色んなブログに出会うにつれ、自分と同じような状況の夫婦が多いこと、行動パターンや思考パターンが酷似していることが気になった。
これには、何か目に見えない法則があるのではないか・・・・・・
それなら、専門家に委ねてみようと思ったのがカウンセリングを受けた始まりだった。

ずっと、拝読させていただいていたまっちーさんのモラルハラスメント・ブログ「欲しかった愛、もらえなかった愛。」「欲しかった愛、もらえなかった愛。続き」記事を読んでいて、ああやっぱりそうだったんだ・・・・そう思った。

「自己愛」の欠如した自分が、
病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。
それは必然であり、当然のことだったのだろう。


その文章で、今までの気持ちがストンと落ちた。

まっちーさんの言われるとおり、当たり前に、欲しいだけの愛情を受け取って育った人にはわからないかもしれない。
そして、それでも自分を大切にする術を、きちんと身に着けることが出来た人にもやはりわからないかもしれない。
成長過程において、私は「自分が大切な存在であること」「自分は愛される存在であること」そう思うことが出来ずに育ってしまったのだ。

自分の感情を押し殺して、愛を与えられることを求めるという手段だけを学んでしまった。
それは、対等な関係ではなく、自分を大切にすることもなく、束の間の、一瞬の愛で良いからと与えてくださいと求めてしまっていたのだ。

いつかは分かってくれるのだと、いつかは気が付いてくれるのだと、旦那が与えてくれる愛を求め続け、待ち続けていた。
愛情ではなく執着心。
母に求めていたことを、旦那に求めてしまっていた。
まっちーさんの記事には、私の苦しい気持ちの全てが言葉にされていた。

モラル・ハラスメントに出会うきっかけは、私の心の中にあったのだ。
家庭に起こる問題は、症状であって原因ではないのだと言われたことがある。
子どもが起こす問題行動や夫婦間の問題は、外側であって、それが一番の問題ではないのだと、問題は内側にあるのだと・・・・・

別居直前に起きてしまった様々な子どものトラブルも、私の心の中から出た膿なのかもしれない。
まずは、しっかりと自分を見つめ、癒すことに専念しよう。
自分と子どもが幸せになれるように。

文字でのやりとり

2006-03-09 01:54:57 | 日々つれづれ
先日、掲示板みたいなところで、実際の友達とやり取りをしていて、相手を怒らせてしまいました。
いつも話しているような調子で、でも出来るだけ気をつけていたはずなのに、ぞれに対して相手の書いた文章には、ちょっととげとげしいものを感じてしまいました。
掲示板内で、慌てて謝ったものの、返事はなく、メールでやり取りした友達によると、そこで謝ったことに対しても、腹を立てている様子でした。

そういう場でのやり取りの危険性を、充分理解していたはずなのに、相手を不愉快な思いにさせてしまったという後悔。
そして相手が誤解しているところもあって、その誤解している部分をきちんと話したいなと思う気持ち半分、このまま自分が悪者になってしまっていてもいいかなと諦めてしまう気持ち半分。
そんなに相手も怒ってしまうようなことではないと思うと、自分を慰めてみるのだけれど、心の中のモヤモヤは取れません。

たぶん、これは母との関係の中で出来上がってしまったものと同じなのだと思います。
前回、母にきちんと伝えたことで、母に完全に理解されなくても、このモヤモヤが取れてしまったので、自分の思いや誤解している部分を話してみようかなとも思います。

でも、相手が分かってくれなかった時、もっと傷付くことになったらどうしようと怯える気持ちもあります。
今までは、勝手に分かってくれないだろうと推測して、気持ちを飲み込んだまま、二度と同じ目に合わないように、そういう相手との関係を遠ざけてしまっていました。
もし、分かってくれたのなら、今までと同じ関係が保てるかもしれない。
分かってくれない時には、相手との関係に距離を置けばいい。
今までは、もしかしたら分かってくれた時の可能性まで排除してしまっていたかもしれない。

少し前にも、その友達と子どもを通しての行き違いがありました。
その時は、電話でのやり取りで、しかもお互い仕事中で、電話での子どもの言い分で苦言を伝えて来られていました。
私は、子どものことに親がとやかく言わなくてもと思いましたが、事実が分からないので、相手の言い分だけを聞いて、自分の言いたいことを飲み込んでしまいました。
結局、子どもだけで解決できたみたいで・・・・・
その後、出会った時に、「ごめんね」と私は言ってしまいました。
本当は、悪いとは思っていなかったのですが、いつもの癖でそのままにしておくのが嫌で言ってしまいました。
でも、相手も時間を置いて反省していたようで、
「こっちこそ、ごめんね。子どもだけで上手くやり取り出来ていたみたいね。」
そう言ってくれました。

もし、あの時私が、自分の意見をぶつけていたのなら、相手が気が付く時間を与えることが出来ないまま、お互いがわだかまりを持ってしまったかもしれないなと思いました。
今回も、時が解決してくれたらいいなと思います。
そして、文章ではなく言葉で、相手の顔を見ながら、自分の気持ちを伝えることが出来たらいいなと思っています。
モヤモヤは消えないけれど、少しの間、この気持ちを考えてみたいなと思います。