このブログを書き始めて、しばらく経った時、モラル・ハラスメントという言葉に出会った。
そして加害者の男性の特徴と旦那が重なると共に、被害者である女性の考え方も自分と重なった。
そして、色んなブログに出会うにつれ、自分と同じような状況の夫婦が多いこと、行動パターンや思考パターンが酷似していることが気になった。
これには、何か目に見えない法則があるのではないか・・・・・・
それなら、専門家に委ねてみようと思ったのがカウンセリングを受けた始まりだった。
ずっと、拝読させていただいていたまっちーさんのモラルハラスメント・ブログの「欲しかった愛、もらえなかった愛。」「欲しかった愛、もらえなかった愛。続き」記事を読んでいて、ああやっぱりそうだったんだ・・・・そう思った。
「自己愛」の欠如した自分が、
病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。
それは必然であり、当然のことだったのだろう。
その文章で、今までの気持ちがストンと落ちた。
まっちーさんの言われるとおり、当たり前に、欲しいだけの愛情を受け取って育った人にはわからないかもしれない。
そして、それでも自分を大切にする術を、きちんと身に着けることが出来た人にもやはりわからないかもしれない。
成長過程において、私は「自分が大切な存在であること」「自分は愛される存在であること」そう思うことが出来ずに育ってしまったのだ。
自分の感情を押し殺して、愛を与えられることを求めるという手段だけを学んでしまった。
それは、対等な関係ではなく、自分を大切にすることもなく、束の間の、一瞬の愛で良いからと与えてくださいと求めてしまっていたのだ。
いつかは分かってくれるのだと、いつかは気が付いてくれるのだと、旦那が与えてくれる愛を求め続け、待ち続けていた。
愛情ではなく執着心。
母に求めていたことを、旦那に求めてしまっていた。
まっちーさんの記事には、私の苦しい気持ちの全てが言葉にされていた。
モラル・ハラスメントに出会うきっかけは、私の心の中にあったのだ。
家庭に起こる問題は、症状であって原因ではないのだと言われたことがある。
子どもが起こす問題行動や夫婦間の問題は、外側であって、それが一番の問題ではないのだと、問題は内側にあるのだと・・・・・
別居直前に起きてしまった様々な子どものトラブルも、私の心の中から出た膿なのかもしれない。
まずは、しっかりと自分を見つめ、癒すことに専念しよう。
自分と子どもが幸せになれるように。
そして加害者の男性の特徴と旦那が重なると共に、被害者である女性の考え方も自分と重なった。
そして、色んなブログに出会うにつれ、自分と同じような状況の夫婦が多いこと、行動パターンや思考パターンが酷似していることが気になった。
これには、何か目に見えない法則があるのではないか・・・・・・
それなら、専門家に委ねてみようと思ったのがカウンセリングを受けた始まりだった。
ずっと、拝読させていただいていたまっちーさんのモラルハラスメント・ブログの「欲しかった愛、もらえなかった愛。」「欲しかった愛、もらえなかった愛。続き」記事を読んでいて、ああやっぱりそうだったんだ・・・・そう思った。
「自己愛」の欠如した自分が、
病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。
それは必然であり、当然のことだったのだろう。
その文章で、今までの気持ちがストンと落ちた。
まっちーさんの言われるとおり、当たり前に、欲しいだけの愛情を受け取って育った人にはわからないかもしれない。
そして、それでも自分を大切にする術を、きちんと身に着けることが出来た人にもやはりわからないかもしれない。
成長過程において、私は「自分が大切な存在であること」「自分は愛される存在であること」そう思うことが出来ずに育ってしまったのだ。
自分の感情を押し殺して、愛を与えられることを求めるという手段だけを学んでしまった。
それは、対等な関係ではなく、自分を大切にすることもなく、束の間の、一瞬の愛で良いからと与えてくださいと求めてしまっていたのだ。
いつかは分かってくれるのだと、いつかは気が付いてくれるのだと、旦那が与えてくれる愛を求め続け、待ち続けていた。
愛情ではなく執着心。
母に求めていたことを、旦那に求めてしまっていた。
まっちーさんの記事には、私の苦しい気持ちの全てが言葉にされていた。
モラル・ハラスメントに出会うきっかけは、私の心の中にあったのだ。
家庭に起こる問題は、症状であって原因ではないのだと言われたことがある。
子どもが起こす問題行動や夫婦間の問題は、外側であって、それが一番の問題ではないのだと、問題は内側にあるのだと・・・・・
別居直前に起きてしまった様々な子どものトラブルも、私の心の中から出た膿なのかもしれない。
まずは、しっかりと自分を見つめ、癒すことに専念しよう。
自分と子どもが幸せになれるように。