私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

喧嘩

2006-03-26 18:19:24 | 日々つれづれ
地域の行事で、小学校へ出掛けた。
私は、子ども会の役員で昼からうどんの販売をすることになっていた。
長男を上の子たちに預けていたので、様子を見に行った。

「○ちゃん(長女)が、N君と喧嘩したよ。すごかったよ。」
長女の友達が言ってきた。
見渡すと、その傍に長女は座り込んでいた。
目のふちと鼻の下を引っかかれ、鼻血が出ていて、顔は腫れていた。
立ち上がらせ、顔を洗うように促した。

今までの私だったら、ここで怒り飛ばしていたかもしれない。
N君は、2学年下だった。
取り合えず、話を聞いた。
喧嘩の経緯は、ステージの前で立ち上がっていたので、長女が注意をした。
すると、N君が向かってきた。
負けずに、反撃したというのだった。

N君と我が家とのトラブルは3回目となる。
1回目は、一緒に滑り台で鬼ごっこしていた次女が押されて、滑り台から落ちて、右手首を骨折した。
2回目は、学校で、次女が鬼ごっこをしていて捕まえたら腕を殴られた。
手をばたばたさせて身を守っていたら、ちょうどその手がN君の目に当ったらしく、N君は、病院に行くことになった。
そして、今回だ。

骨折した時、次女はN君をとても恨んでいた。
先生は、N君のお母さんに謝りに行くように促したらしいが、電話1本もなかった。
それでも私は、子ども同士のことだし、逆に一緒に遊んでいて加害者になりうるかもしれないと思い、何も言わなかった。
そういう親はめずらしいと先生に言われた。

どちらかというとネガティブな性格の次女を励まし続けた。
「手でよかったね~、腰とか頭だったら大変だったよ。」
右手なので、宿題に時間が掛かる時も、
「左手で字が上手く書けるようになると便利だよ。」
ピアノの発表会も近く、フットベースボールも出来ずにいた時も、
「左手を鍛えると、右手が上手く動くようになるんだよ。」
でも、次女のことは守っていなかったのかなぁ・・・・・

2度目に相手を傷つけた時、次女は泣きながら報告してくれた。
自分の腕も、真っ青に腫れていたのに、自分の非ばかり責めていた。
「大丈夫だから、お母さんが謝ってあげるから心配しなくてもいいよ。
○ちゃんだって、痛い思いしたんだから・・・・
腕は、先生に見せたほうがいいよ。」そう言った。
先生に連絡を取ると、事情をわかっておられたらしく、気にしなくてもいいと仰ってくれた。
それでも次女の腕が腫れていることなんて気付いておられなかった。
病院への通院が終わった時も、先生が教えてくださった。

自分が骨を折った時には、相手が謝ってくれなかったのに、私が謝ることが次女にとっては嫌だったらしい。
それでも、私は何度も電話をした。
留守電も入れ続けた。
N君のお母さんは電話に出なかった。
その後出会ったとき、私はすぐに謝った。
相手も次女の骨折を気にして謝ってくださった。

今回もまた、私はすぐにN君のお母さんを見つけて謝った。
N君の顔は、あまり傷がなく内心ほっとした。
同じように傷ついている自分の子をかばうことが出来ずにいた。


でも、やられたらやり返す、怒りを抑えきれない衝動は、家庭で学んだのかもしれない、そう思った。
私と旦那は激しい言い争いを繰り返していたし、お互い怒りをぶつけ合っていた。
つかみ合ったこともあるし、旦那が私を蹴るのも見ていた。
姉妹喧嘩もとても激しい。
ボコボコに叩かれる長男だけがへらへらと笑っていたりする。

一度学んでしまったものは、もう元には戻らないのだろうか?
相手がどんな相手だとしても、やり返したら同じ罪だということを何度も言い聞かせた。
やり返した時点で同じなのだと。
そして、暴力からは何も生まれてこないことを・・・・

長女に言った。
「○ちゃんが痛い目に、遭うのは嫌だから、傷つくのは嫌だから、もう止めてね。」
私の思いは、どうやったら伝わるのだろう。