時々、私は迷路に迷い込む。
焦れば焦るほど、自分を責めていく。
自分さえも見失ってしまう。
先日のカウンセリングでも、こうやって色んなことに気が付いていくことの意味を見失って苦しくて吐き出していた。
以前、カウンセラーに聞いたことがある。
いつまで、こうやって暮らしていくのかと・・・・・
たぶん死ぬまでだろうと言われた。
終わりがあるのかと思っていた私は、唖然とした。
どういうことだろう、判らなかった。
何度も読んでいる対談記事の、ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さんは会話の中で
「私たちの心のありようって一生変わらないのよ。
依存症の私たちのさみしさとか孤独感っていうのは、残念ながら一生、変わりません。
私たちは絶えず自分の原型の、自分たちの感情のあり方を知って、それを受け入れていくしかないのよ・・・・・」と言われていた。
ミーティングに参加して、先往く他の方も、こういう気持ちはずっと続いて、上手に付き合っていくことが大切なんだと話されていた。
もし、満たされて育ったのなら、自分のことを認め愛することができる人間だったら、どんなに楽だったのだろう。
私は、なんでこんな運命を背負わされなければいけないんだろう、そう考えた。
自分の運命を呪いたくなった。
そんな中で、心の中で音を立てるように、ストン、ストンと色んな気付きが生まれきた。
心からあふれる感情を残しておきたいと記事を書き続けた。
そうしているうちに新しい気持ちが生まれてきた。
良かったじゃないか。
あんなに苦しい思いを重ねてきて、その理由が紐を解くように見えてくる。
とても辛い工程だけど、それでも、今までよりもいいんじゃないかって・・・
一つ一つの心の傷が見えてくるたびに、悲鳴を上げたくなるような想いがあふれ出してくるけれど、そんな心の傷を持っているからこそ、私は人の痛みにも気付けるようになったのではないかって・・・・・
今までは、無用な感情に振り回され、人を傷つけてきたのかもしれない。
だけど自分の傷が見えてくれば、同じような心の傷を持った人の無用な言葉に傷付くことはない。
それどころか、その人に対しても、優しい気持ちで受け止めてあげることが出来るじゃないの。
傷があるから、人の傷がわかる。
そんな人に、なっていけることが出来るじゃないの。
傷があるから、癒すことも出来るかもしれない。
傷を持たないまま育っていたら、苦しむこともなかったかもしれないけど、同じように苦しむ人の痛みも気が付くことが出来なかった。
人の痛みをそっと救い上げることが出来るような、そんな人になりたいとそんな気持ちが生まれてきた。
以前、カウンセリングで教えていただいた「平和を願う祈り」
それは、こういう気持ちなのかな。
まだまだ、私は迷っても迷っても、歩き続けることが出来る、そんな気がする。
焦れば焦るほど、自分を責めていく。
自分さえも見失ってしまう。
先日のカウンセリングでも、こうやって色んなことに気が付いていくことの意味を見失って苦しくて吐き出していた。
以前、カウンセラーに聞いたことがある。
いつまで、こうやって暮らしていくのかと・・・・・
たぶん死ぬまでだろうと言われた。
終わりがあるのかと思っていた私は、唖然とした。
どういうことだろう、判らなかった。
何度も読んでいる対談記事の、ダルク女性ハウス代表の上岡陽江さんは会話の中で
「私たちの心のありようって一生変わらないのよ。
依存症の私たちのさみしさとか孤独感っていうのは、残念ながら一生、変わりません。
私たちは絶えず自分の原型の、自分たちの感情のあり方を知って、それを受け入れていくしかないのよ・・・・・」と言われていた。
ミーティングに参加して、先往く他の方も、こういう気持ちはずっと続いて、上手に付き合っていくことが大切なんだと話されていた。
もし、満たされて育ったのなら、自分のことを認め愛することができる人間だったら、どんなに楽だったのだろう。
私は、なんでこんな運命を背負わされなければいけないんだろう、そう考えた。
自分の運命を呪いたくなった。
そんな中で、心の中で音を立てるように、ストン、ストンと色んな気付きが生まれきた。
心からあふれる感情を残しておきたいと記事を書き続けた。
そうしているうちに新しい気持ちが生まれてきた。
良かったじゃないか。
あんなに苦しい思いを重ねてきて、その理由が紐を解くように見えてくる。
とても辛い工程だけど、それでも、今までよりもいいんじゃないかって・・・
一つ一つの心の傷が見えてくるたびに、悲鳴を上げたくなるような想いがあふれ出してくるけれど、そんな心の傷を持っているからこそ、私は人の痛みにも気付けるようになったのではないかって・・・・・
今までは、無用な感情に振り回され、人を傷つけてきたのかもしれない。
だけど自分の傷が見えてくれば、同じような心の傷を持った人の無用な言葉に傷付くことはない。
それどころか、その人に対しても、優しい気持ちで受け止めてあげることが出来るじゃないの。
傷があるから、人の傷がわかる。
そんな人に、なっていけることが出来るじゃないの。
傷があるから、癒すことも出来るかもしれない。
傷を持たないまま育っていたら、苦しむこともなかったかもしれないけど、同じように苦しむ人の痛みも気が付くことが出来なかった。
人の痛みをそっと救い上げることが出来るような、そんな人になりたいとそんな気持ちが生まれてきた。
以前、カウンセリングで教えていただいた「平和を願う祈り」
それは、こういう気持ちなのかな。
まだまだ、私は迷っても迷っても、歩き続けることが出来る、そんな気がする。