私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

入浴

2006-03-23 20:43:12 | 日々つれづれ
色んな偏見にとらわれて生活しているけれど、時々、意識的にそれを打ち破らないといけないことが訪れる。
そんな中の一つが入浴だった。

毎日お風呂に入って、身体を洗って清潔を保つべきである。

そんな風に、私は考えていた。
だから長女と次女がまだ赤ちゃんで、二人いっぺんに一人で風呂に入れるのが大変な時でも、自分は裸で駆けずり回りながら必死で入浴させていた。
そして、眠たそうにする子どもを無理やりに風呂に入れたこともあった。

昨年春、長女のアトピーが悪化した。
それまでは夏場に、膝や肘の裏に湿疹が出来ることと冬にあかぎれが出来ること、お尻にぶつぶつが出来る程度だった。
そしてロコイド軟膏を時々つけてやっていた。
そんなある日、体中が黒ずみ、湿疹が出た。
ロコイドよりも少し強めの薬のチューブを2本出された。
全身だったので、あっという間になくなった。

それまでは、1本を何ヶ月もかけて使う程度だったのに、そんな量を使うことはさすがに怖くなった。
ウーロン茶風呂がいいというのを見つけて、薬を止めた。
数日後、今までなんともなかった顔が腫れ上がった。
でも、今まで通っていた小児科に見せることはためらわれた。

インターネットで調べ、一軒の皮膚科を見つけそこへ行った。
今までに会った事のないような、とっても優しい女医さんだった。
長女に優しく症状を尋ねた。
「お風呂を入るのを我慢できる?」長女に聞いた。
指示されたことは二つだった。
お風呂に入らないこと。
食事の記録をつけること。

お風呂に入ることによって、薄くなった皮膚が剥がれ落ち、よけいに刺激を受けやすくなるのだと説明された。
今までは、汗を出来る限り洗い流しなさいと言われていて、まったく逆の話だったのでびっくりした。
それでも、藁を掴む思いだったので、そんな簡単な方法で治るのならと思い試してみた。

1週間後、顔の腫れはすっかり引いた。
風呂に入りたかったら無理しなくてもいいよ、痒かったら掻いてもいいよ。
甘いものや油物は少し控えようね。
そんな風に指示された。
日に日に、身体の黒ずみは薄くなった。
思ったよりも、体臭もすることなく、髪だけ時々洗髪した。
1ヵ月後、すっかり元通りになっていた。
薬といえば、抗ヒスタミン剤のシロップを飲んでいただけだった。

今年の冬は、手のあかぎれもさほどひどくならず、お尻のぶつぶつだけだった。
それも薬をつけることなく、ひどくなれば入浴を控えるという方法で、悪化することなく保っている。
身体を石鹸で洗うことも止めた方がいいということで、冬場痒がる長男も身体を洗うことは止めている。
たったそれだけで、今年の冬は痒がることもなく過ごした。

子どもの清潔は親が指導するべきだと思っていた私の考えは、見事に吹っ飛んだ。
過剰な清潔が、本来持っている免疫力さえも洗い流してしまっていたのかもしれない。

”おとうちゃん”

2006-03-23 17:39:55 | 日々つれづれ
片道1時間半掛けて、免許の更新に行って来た。
団地の中を走り、なかなか目的地に着かず、疲れてしまった。
免許の更新に、バスで行く様な間抜けは私ぐらいかなぁと思ったけど、結構居るからびっくりした。

免許の更新が終わった後、知り合いに逢ってきた。
急に訪ねて来た私を、その人は温かく迎えてくれた。
「おとうちゃんは、退職しても同じ仕事をしてるよ。」
その人は、そう話してくれた。
採用時の研修で、1ヶ月間お世話してくれたその方は、自分のことを”おとうちゃん”と言う。
寝泊りしながら過ごしたそこでの生活の中で、”おとうちゃん”としてみんなを育ててくれようとしていたのだろう。

「旦那さんも元気?」そう言われて、素直に私は言った。
「実はね、別居してるんです。」
「そうか・・・・まぁ色々あるよね。」
同じように1年間お世話になった旦那の事もよく知っている。
それでも、それ以上は何も言わなかった。
いつものように、子ども達のことを考えたのかとか、どうしてそうなったのかなんて聞かなかった。
ただ静かにそう言ったきりだった。

名刺を渡して話をしていると、
「おとうちゃんも、名刺持ってくるね。」と名刺を見せてくれた。
指定文化財の認定を受けている神楽の会長代行、保護司、育成協議会の会長、講師とたくさんの役職が書かれていた。
「忙しそうですね。」
「そうよ、おとうちゃんは忙しいんよ。でも、楽しんでやっているうちはボランティアを続けていこうと思っている。」

競争社会の中で、競争することもなく、出世することもなく、ただ暖かく”おとうちゃん”として見守り続けてくれた方。
人望も厚く、月に幾つもの結婚式にも出席し、重なる時には梯子までされていた。
今は、お母さん、奥さん、長男夫婦と孫と一緒に生活されているそうだ。
そして、3時には近くに住む娘もやってきて、女4人のお茶会が始まるそうだ。
うちは、託児所になってる、そう笑っておられた。

忙しい中で、同期の親睦会や旅行までいつまでも一緒に参加してくださり、実家のみかん農園にも招いてくださっていた。
偶然にも、奥さんは、私の中学時代の恩師の妹さんで、世間の狭さも感じさせられた。

人と自分を比べることなく、自分の信念をしっかりと持って、暖かく見守ってくださる方。
仕事を辞めた後も、同じように誰の為にでもなく、同じような姿勢で地域を暖かく見守り続けられている。
本当に偉い人というのは、出世することでもなく、お金をたくさん稼ぐことでもなく、こうやって誰に評価されることがなくても、ただひたすらに自分の行く道を切り開いているこんな”おとうちゃん”のような人のことを言うんだろうな。
こんな”おとうちゃん”に少しでも近づくことが出来たらいいな、そう思った。