旦那との関係が見えてきた。
旦那もまた、辛い過去をたくさん背負ってきたのだろう。
旦那も可哀相な人なんだ、そう思えるようになった。
でも、旦那の痛みに私が気が付くことと、許すことは違う。
旦那が自分の見えない傷に気が付かない限り、私と再び生活を始めても同じように怒りが噴出してしまうだろう。
そして、私も旦那の無意識に発する言葉に、過去の傷を傷めることになるだろう。
私は、私の傷に気が付いているから、今までよりは何故自分が辛いのかわかるだろう。
それでも、傷はないわけではない、痛まないわけではない。
私が癒すよりも多くの新たな傷を受けることもあるだろう。
カウンセラーの言われた、私の持ち出しが多くなるというのはこういうことなのだろう。
私が、ここまで辿り着いて思うことは、自分がその心の傷を見ようとしない限りは、何も変わらない。
誰の手でも変えることは出来ない。
自分を変えることが出来るのは、他でもない、自分だけなのだとそう思う。
以前は、悩みの相談を受ければ、こうすればいいんじゃない?、ああすればいいんじゃない?と色々言ってきた。
その人以上に、怒りが込み上げてきて、でしゃばった行動をしてしまったこともある。
でも、今はそうしようとは思わない。
答えは、その人の心の中にある。
静かに見つめたり、時に支えたり、励ましたり暖かい声を掛けたり、時に自分の体験を話すことしか、私には出来ない。
本当の答えは、誰にもわからない。
だから、旦那のことも、やっぱりこれが限界。
今まで必死に頑張ってきた。
これ以上、傷つけ合う生活はしたくない。
今のままでは、私が抱くような温かい関係は作ることが出来ない。
今の私が、旦那を見守ることは出来ない。
どうやっても、私の行動によって、旦那は怒りを噴出してしまうだろう。
旦那の傷を守ってきたのは、たぶんおばあちゃんなんだろう。
もうおばあちゃんがこの世にいない限り、旦那の思うとおりに動いてくれる人なんていないのだ。
じっと何も言わず、旦那のことだけを見守ってくれる人。
子どもが3人いることも、私に仕事があることも全て旦那にとっては、怒りの原因になってしまう。
結婚後、親戚が集まった時、保育園から祖父母宅へ届けていた叔母さんが、
「店の前で、ひっくり返って動かなくて大変だったよ。」と話していた。
「よくお嫁に来てくれた」とも・・・・・
同じようなことを、旦那の実家の集落での結婚のお披露目会の時にも言われた。
旦那は、私以上に親の愛に飢え、おねだりを繰り返していたのだろう。
それでも、与えられることはなく過ごし、小学3年生の引越しでようやくおばあちゃんに見守られ育ったのだろう。
私よりも、もっともっと寂しい思いをいっぱい味わってきたのだろう。
だからこそ、癒さなければ駄目だと思う。
このまま、ずるずると傷付くだけの生活を送り続けても、どうしようもない。
それは、私だけのためでもなく、旦那のためでもあり、子どものためでもあると思う。
今までは、カウンセラーに言われて、なんとなくそうだと思っていたことが、ようやく私にも見えてきた。
今のままでは、離婚するしか選択肢はないだろうなと思う。
私の中でも、もし離婚したとしても何とか生活していける目処が付いてきた。
この先、どういう道を歩くのかは、まだ判らない。
でもしっかりと自分の目で見つめ、進んでいこうと思う。
旦那もまた、辛い過去をたくさん背負ってきたのだろう。
旦那も可哀相な人なんだ、そう思えるようになった。
でも、旦那の痛みに私が気が付くことと、許すことは違う。
旦那が自分の見えない傷に気が付かない限り、私と再び生活を始めても同じように怒りが噴出してしまうだろう。
そして、私も旦那の無意識に発する言葉に、過去の傷を傷めることになるだろう。
私は、私の傷に気が付いているから、今までよりは何故自分が辛いのかわかるだろう。
それでも、傷はないわけではない、痛まないわけではない。
私が癒すよりも多くの新たな傷を受けることもあるだろう。
カウンセラーの言われた、私の持ち出しが多くなるというのはこういうことなのだろう。
私が、ここまで辿り着いて思うことは、自分がその心の傷を見ようとしない限りは、何も変わらない。
誰の手でも変えることは出来ない。
自分を変えることが出来るのは、他でもない、自分だけなのだとそう思う。
以前は、悩みの相談を受ければ、こうすればいいんじゃない?、ああすればいいんじゃない?と色々言ってきた。
その人以上に、怒りが込み上げてきて、でしゃばった行動をしてしまったこともある。
でも、今はそうしようとは思わない。
答えは、その人の心の中にある。
静かに見つめたり、時に支えたり、励ましたり暖かい声を掛けたり、時に自分の体験を話すことしか、私には出来ない。
本当の答えは、誰にもわからない。
だから、旦那のことも、やっぱりこれが限界。
今まで必死に頑張ってきた。
これ以上、傷つけ合う生活はしたくない。
今のままでは、私が抱くような温かい関係は作ることが出来ない。
今の私が、旦那を見守ることは出来ない。
どうやっても、私の行動によって、旦那は怒りを噴出してしまうだろう。
旦那の傷を守ってきたのは、たぶんおばあちゃんなんだろう。
もうおばあちゃんがこの世にいない限り、旦那の思うとおりに動いてくれる人なんていないのだ。
じっと何も言わず、旦那のことだけを見守ってくれる人。
子どもが3人いることも、私に仕事があることも全て旦那にとっては、怒りの原因になってしまう。
結婚後、親戚が集まった時、保育園から祖父母宅へ届けていた叔母さんが、
「店の前で、ひっくり返って動かなくて大変だったよ。」と話していた。
「よくお嫁に来てくれた」とも・・・・・
同じようなことを、旦那の実家の集落での結婚のお披露目会の時にも言われた。
旦那は、私以上に親の愛に飢え、おねだりを繰り返していたのだろう。
それでも、与えられることはなく過ごし、小学3年生の引越しでようやくおばあちゃんに見守られ育ったのだろう。
私よりも、もっともっと寂しい思いをいっぱい味わってきたのだろう。
だからこそ、癒さなければ駄目だと思う。
このまま、ずるずると傷付くだけの生活を送り続けても、どうしようもない。
それは、私だけのためでもなく、旦那のためでもあり、子どものためでもあると思う。
今までは、カウンセラーに言われて、なんとなくそうだと思っていたことが、ようやく私にも見えてきた。
今のままでは、離婚するしか選択肢はないだろうなと思う。
私の中でも、もし離婚したとしても何とか生活していける目処が付いてきた。
この先、どういう道を歩くのかは、まだ判らない。
でもしっかりと自分の目で見つめ、進んでいこうと思う。