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ネズミモチとアオバセセリ


ネズミモチが花盛りだ。このネズミモチ、ギャラリー野の苑を開設して間もない頃、竹林から移植したものだ。30cmくらいのものだっただろうか、竹林の一角に水が湧く所があり、そのすぐ脇の日当りの悪い所に生えていたものだ。移植した所は、それまでと全く違う日当りのいい場所。そのためか、当初は育ちが悪くなかなか伸びてくれなかった。しかし、年を重ねるほどに、わが地を得たりとばかりに枝を伸ばし始め、ぐんぐんと成長してきた。
ネズミモチはどこでもありふれた木だが、落葉樹が多いギャラリーのまわりでは、ツバキ等とともに数少ない常緑広葉の照葉樹だ。ネズミモチの実は、色も大きさもネズミの糞に良く似ている。そして葉っぱは、モチノキに似ている。名前は、そこから来ているようだ。ネズミの糞に似ている実は、漢方薬にも使われているみたいで、薬効は「五臓も心も安らかにし、あらゆる病気を取り除く」という。ちょっと試してみる価値ありそうだ・・・・。
そのネズミモチの花は白くて小さい。しかし、いっぱい花が付く。その花のまわりでは、真っ黒なオナガアゲハやキアゲハなど、大きなアゲハ科のチョウが風に乗って舞う。そんな中、白い花から花に懸命に蜜を求めるチョウが数匹。セセリ科の仲間では、唯一青い翅を持つアオバセセリだ。翅の後ろに濃いオレンジ色がある美しいチョウだ。以前から、このネズミモチに来ていたのかもしれないが、今年初めて気がついた。

※チョウの仲間の数え方は専門的には「頭」、ここでは日常に使う「匹」にしています。
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アシナガグモとユスリカ



アシナガグモの巣にかかったユスリカ


朝露が残る時間帯に田んぼに行くと、あちこちにクモの糸が見える。糸に付いた朝露がキラキラと太陽の光を浴びて清々しい。そのほとんどはアシナガグモの巣のようだ。アシナガグモは、名前のとおり足が長い。秋に多いジョロウグモのように大きくはない。あぜ道を歩くと、知らない間にズボンにクモの糸がくっついていたりする。ジョロウグモは嫌いだが、アシナガグモは好きでも嫌いでもない。糸もそれほど強くなく、絡まってもそれほど困った事がなく、クモそのものが弱々しく見えるからかもしれない。
ところで、このアシナガグモを出揃った稲穂の下から空を向けて撮影してみた。朝ではなく夕方だ。巣にゴミみたいなものがかかっていると思ってはいたが、写真を拡大してみると、驚くことに蚊に見えるものがいっぱいクモの巣にかかっているのだ。
調べてみると、これは蚊ではなくユスリカ。夕方などに、いわゆる「蚊柱」をつくっている小さな昆虫だ。メスは一匹だけで、あとはオスばかりとか。驚く事に口はなく、消化器も退化しているため一切エサをとる事ができないまま寿命を終えるのだという。成虫の寿命は1日から数日のようだ。なんという儚さか・・・。後日、しっかり観察してみることにした。





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出穂(しゅっすい)

朝露にけぶる出穂期の田んぼ


穂揃い期を迎えた田んぼ

今年の梅雨は本当に雨が多い。昨日はつかの間の晴れだったが、日が沈む頃からポツポツし始め、夜半からずっと雨。今日も時折強い雨が降り続いている。
そんな中、田んぼでは待ちに待った稲穂が伸び始めた。出穂期だ。出穂と書いて「しゅっすい」と言う。4割から5割ほどの穂が出た頃の呼び名だ。早い穂が出始めた頃は「走り穂」、そして「出穂期」を経て、全部出揃えば「穂揃い期」だ。すでに穂揃い期を迎えた田んぼもある。
長い葉っぱを押しのけて、まっすぐ伸びた緑色の穂には、一見花粉のようにしか見えない小さな白い花をいっぱい付けて受粉する。晴れ渡った空の下で受粉して欲しいところだが、この雨では、雨間を見ての受粉になるだろう。
その後、緑一色だった穂も少しづつ金色を帯び始め、次第に頭を垂れ始めるはずだが、この雨続き少し恨めしい。
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ツバメ


梅雨時の晴れ間は貴重だ。昨日は朝から曇りで夕方から雨。今朝は未明まで雨が降っていた。玄関を開けると庭は湿ったまま。それでも時間が経つ毎に太陽が顔をのぞかせ始め、10時ともなると庭は乾いていた。
青空を背景にした庭木は、一段と緑を増しきれいだ。庭を横切る電線には巣立ちを終えた子ツバメが4羽。子ツバメと言ってももうすぐ独り立ちそうな大きさだ。1羽はちょっと離れて毛繕い。盛んに羽を広げたり嘴を羽に突っ込んだりして、太陽の光をうれしそうに浴びている。そこへ、親ツバメがスーッと飛んできてエサを与える。チチチチッツ・・・・。親ツバメが飛んでくるたびに鳴き声をくり返す。毎年くり返される光景だ。
青空に流れる白い雲と電線のツバメをずっと見上げていると、一瞬クラクラしそうになるが、なんだかうれしい。それにしても梅雨時の青空は、いつもよりきれいに見える。



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ニホンアマガエル

ズッキーニの葉っぱの上のニホンアマガエル

梅雨のしとしと雨が続く中で、今年はどこも梅が豊作。収穫されず、地面に落ちたままの梅も結構見かける。
畑ではズッキーニがぐんぐん成長し、毎朝大きな葉っぱの緑の中で、雄花と雌花の黄色が格別華やかだ。その葉っぱの上でじっとしているアマガエルを見つけた。単にアマガエルと思っていたが、正式な名は頭にニホンが付いている。ニホンアマガエルだ。捕まえようとするとピョンと飛んでまたじっとしている。カメラを構えるとまたピョン。
時々、風呂場にもいることがある。風呂ではなく風呂場。多分、窓を開けておいた時に入ってくるのだろうが、4、5日滞在するものもいる。こういうところでどうやって生きていくのだと思うが、小さなハエトリグモなどをエサにしているのか・・・?だとすれば、ハエトリグモもエサとするハエなどがいることになるが・・・。

ニホンアマガエル、環境によって色も変えるようだが、やはり緑色がいい。体の表面には毒があるそうだから、少し注意しなければならないが、それにしてもかわいい。パソコン画面の上に現れて、ポインタをおいかけたりするハエトリグモもかわいいが・・・。
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ありがとう奈良

興福寺五重塔相輪


東大寺大仏殿前の国宝・金銅八角燈籠


奈良に出かけた。お寺めぐりになるのか仏像めぐりなるのか分からぬまま、JR大阪駅から大和路快速に乗ってJR奈良駅へ。大阪からの快速は、だんだん田舎に行く感じ。知人からは、近鉄奈良駅付近の方が繁華街で奈良公園にも近いとも聞いていた。しかし、地理はほとんど不案内。ということでJR奈良駅を行動基点にした。いざという時は歩けばいいのだ。

結果:一生分の仏様を観た。仏像も寺院建築も国宝・重要文化財ばかり。奈良の真髄に触れた感じだ。

◎興福寺国宝館
JR奈良駅近くのホテルに一泊した翌早朝、開館したばかりの興福寺国宝館へ。早朝だったため人が少なく、阿修羅像を中心とした八部衆や十大弟子像をゆったりと観ることができ、心から堪能した。チケットには「混雑時には入館制限がございます。」とあるから、ここはぜひゆっくりした時間帯に行くべきだ。八部衆の正式名称は「乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)」、人気の阿修羅像の他に気に入ったのは「五部浄像(ごぶじょうぞう)」。八部衆の「天」に相当する神とされ、象の冠をかぶり憂いあるまなざしで正面を見ている姿はとても印象的だ。ただ、残念ながら胸から下は欠落している。
十大弟子像の正式名称は「乾漆十大弟子立像(かんしつじゅうだいでしりゅうぞう)」。この中で印象的だったのは、「富楼那像(ふるなぞう)」。説法の第一人者だったようだが、静かにたたずむ姿からは、誠実な清潔感が溢れているように感じた。
乾漆(かんしつ)造は、心木を立てて粘土でだいたいの形をつくり、その上に漆で麻布を貼り重ね、乾燥後背中側を切り開き粘土を出し、内部に板や角材で補強し、その後、木粉等を混ぜた漆で表面を整えて彩色するという。興福寺国宝館で観るこれらの乾湿像は、天平彫像の真髄そのものだ。じっと向き合い、うならずにはいられなかった。興福寺国宝館、絶対訪ねるべしだ!

国宝館から外に出ると、1426(応永33)に再建されたという五重塔が悠然とあり、遠足の小学生たちが楽しそうに動き回り始めていた。


興福寺五重塔


◎東大寺大仏殿
興福寺から東大寺へ。だんだん人が増え、気がつけば南大門へ向う参道は鹿と戯れる人たちで賑わいはじめていた。ただ、飛び交っている言葉は日本語はほとんど無く、中国語や韓国語のようだった。加えて英語、フランス語も。南大門は高く大きかったが、色の剥落が激しく年月を感じさせた。参道を歩いている間は気付かず、東大寺には南大門があったはずと思い直し、確かめると確かに「東大寺南大門」とあった。仁王像もとても大きく大迫力。






東大寺南大門


東大寺で目指したのは、大仏と大仏殿。奈良に来たからには観ておかなければならない。特に世界最大級の木造建築という大仏殿は見ておきたかった。想像に違わず間近に見る大仏殿は、とても大きくどっしりとしていた。それでも正面の幅は創建時の3分の2なのだそうだ。
実はこの大仏殿を観る前、霧島連山で噴煙を上げる硫黄山(宮崎県)の状況を見るために、えびの高原行った。その帰り道、たまたま霧島山腹にある白鳥神社に立ち寄った。道路脇に車を止め、本参道である急な石段を登った。急なので足もとを見ながらだ。ふと、石段の先を見上げると、一頭の若い鹿がじっとたたずみ私の方を見ていた。しばし見つめたあった後、気が付くと、すっと笹の中に消えていた。夢のような出来事だったが、参道を登った所に一枚の説明板が立っていた。次のようである。

 
東大寺大仏殿の大屋根80万6000貫(3020トン)を支えている大虹梁は、元禄16年(1703年)この白鳥神社境内より伐出された2本の赤松である。
 いずれも樹齢は、2000年を越えるものであった。 1本目は、長さ13間、元口4尺3寸、末口3尺3寸7分5厘、重さ6183貫、樵夫(きこり)90人の手により4日間で伐出された。 2本目は、長さ13間、元口4尺1寸、末口3尺7分5厘、重さ5435貫余。 100人の人出が、3日間費やされた。 代金は、1本2000両。 山出しの際は、傷がつかないよう両端に金輪がはめられ、霧島山中から薩摩湾岸の国分新川口に至る25里を1日860人の人夫と牛40頭の合力によって運び出された。 到着するまでには115日の歳月を要し、その間には命を失うもの、怪我したものは数しれなかったらしい。 国分新川口からは、千石船に積み替えられ、鹿児島湾、日向細島港、さらに豊予海峡の急瀬を乗りこえ、瀬戸内海に入り、兵庫港に着き、大阪伝法川口を経て、また淀川をのぼり木津川から奈良坂を越えて、ようやく無事に大仏殿に到着した。 延々850里に及ぶ大運搬であった。 宝永6年(1709年)東大寺大仏殿の落成供養も盛大に行われたが、白鳥巨松は、後の大改修を経(へ)ながらも大虹梁として今なお東大寺大仏殿を支え続けている。


鹿といい、赤松といい何かの因縁のようでもある。白鳥神社にたまたま立ち寄った4日後、その大仏殿を目の前にしたのである。威厳のある姿がそこにあった。大仏殿の前にある銅製の大きな灯籠も目を引いた。後で調べてみると、正式名称は「金銅八角燈籠」で国宝に指定されていた。わずかに金色の部分も残っているところからすると、当初は金色に輝いていたようだ。もっとしっかり見るべきだった。
そして、大仏殿に鎮座している奈良の大仏こと本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)。制作には延べ260万人が参加したというから、国家あげての巨大プロジェクトだったのだろう。見上げれば右手は突きだし、左手は手のひらを上にした大仏さまが迎えてくれる。右手は「怖くないよ」という意味の「施無畏印(せむいいん)」で、左手は「話を聞くよ」という意味の「与願印(よがんいん)」だそうだ。それにしても大きい。高さは約15m、台座を含めると18mにもなるという。大仏の青銅色に対して、光背は金色に輝き、16体の小さな仏像とともに四方八方に伸びる線が印象的だ。これは、たくさんの仏さまでいっぱいになっている様子と大仏様から出る光を表現しているのだそうだ。しばし大きさに見とれたあと館内をひとまわり。大仏さまの近くには虚空菩薩、多聞天、広目天、如意輪観音像が安置してあったが、これらも実に大きいものだった。そして館内の一角では、「柱くぐり」に人だかりができ、ひときわ賑わっていた。柱の穴をくぐると「無病息災」の御利益があるというが、この体では・・・・。


どっしりとして荘厳な大仏殿


大仏殿前の国宝・金銅八角燈籠


奈良の大仏こと本尊の盧舎那仏



◎薬師寺
当初、次に国立博物館による予定だったが、月曜日で休館。そのため急遽法隆寺方面へ予定変更。法隆寺は、JRだと駅から20分ほど歩かねばならないと聞いていたので、法隆寺行きのバスにした。だが歩き回っていたせいかバスの中でウトウト。そして「次は薬師寺前駐車場」のアナウンスではっと目覚め、「降ります」と降りてしまった。降りてもなんだか頭の中はまだ寝ぼけ中。ちょっと間をおいて、やっと間違いに気がついた。
しかし、これも怪我の功名、国宝・薬師三尊像などを拝観することができた。中尊は薬師如来、左に日光菩薩、右に月光菩薩だ。その薬師如来の台座には唐草や朱雀や玄武等の意匠が施され、ルクロードが奈良まで続いていたことを思い起こさせ感激ひとしお。訪ねてよかった!仏足石を見る事が出来たのもよかった。仏足石は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたものというが、薬師寺のものは753年に作られた日本最古のものだ。仏足石を実際に目にするのは初めてのことで、しばしじっくり観察となった。石にきざまれたものは、元来好きなのです。
ただ、国宝「薬師寺東塔」は解体修理中で拝観することができなかった。しかし、対称の位置に建っている西塔を見ながら東塔を想像した。一見六重の塔だが、実際には三重の塔だ。3つの大きな屋根の下の小さな屋根は裳階(もこし)というのだそうだ。裳階は、もともとは風雨から構造物を守るためのものというが、これがあることによって優美さがより増している。
いつの日か東塔も目にしたいと、バス停へと急いだ。しかし、法隆寺行きのバスに乗り遅れてしまった。本もバスは出ているものと思い、時刻表を確かめていなかったためだ。多分2、3分違い。なんと1時間ほど待つことになってしまった。悪いことに天気急変、雨が降り始めた。バス停近くの休業中のレストランの軒下に避難したが1時間待ちは長かった。その間、やってきたのは、修学旅行生や観光客を乗せたバスばかり。待っていたバスが来たのは時刻表に書かれた時間を幾分か過ぎたころだった。それでもホッとして乗車。あちらこちらに寄りながらどうにか法隆寺前に着いたが、このバスは最終便。すぐに奈良市方面へ引き返すようだった。法隆寺方面へ行くときは、時刻表要チェックだ。


裳階が優美さを増す薬師寺西塔


美しい薬師寺の廻廊


◎法隆寺
さて法隆寺参道。松並木が続く大きな参道だ。真ん中に車道、その脇が松並木、そして広い歩道だ。そこを過ぎたところが法隆寺入口の南大門。南大門をくぐると景観一変、両側に広がる黄土色の土塀が美しく、落ち着いた空気にひたった。この土塀だけでも見る価値ありだ。しかし、残念なことに拝観できるのは午後5時まで、ゆっくり楽しむことが出来ず、終了間際のため、ちょっと駆け足。ちょうど修学旅行生も一緒だ。
廻廊を通りながら五重塔、大講堂、金堂を拝観。金堂では、教科書でも見た釈迦三尊像はここにあったのかと妙に納得。廻廊を回りながら気になったのは我が国最古のものとして知られる五重塔。法隆寺では確かめたかったことがあり、そのひとつが五重塔の上にある相輪の鎌。本当にあるのかどうかと目をこらすと、確かに鎌がさしてあった。はたして何のための鎌か・・・・?  聖徳太子の怨霊を封じるためか、はたまた落雷よけか? 諸説あるようだが、私の行き着いたところは、落雷よけの記事。地上からは小さくしか見えないのに、記事に掲載された鎌のなんと大きいことか。五重塔の高さは基壇上からでも32.5mとある。その五重塔の一番下には釈尊の入滅などの塑像群があるようだったが、折からの雨と夕暮れのため、よく見えなかった。それでもどこから見ても悠然としている五重塔の美しい姿は思う存分堪能できた。
そして大宝蔵院へ。ここでもたくさんの仏像に出会う事になった。その中でしっかりと頭に残したのは、国宝・玉虫厨子(たまむしのずし)と国宝・百済観音像。きれいに磨き上げられたガラス(あるいはアクリル)に囲まれた厨子は、想像していたよりずっと大きく堂々とがっちりしていた。高さ約2.3m、飛鳥時代の工芸の傑作と言われる厨子だ。上部の宮殿形の透かし金具の下に敷き詰められているという玉虫の羽や、側面の「捨身飼虎図」もゆっくり見たがったが、係員の閉館協力を求める声に、後ろ髪を引かれるように足早に見て回ることになった。そしてもうひとつ厨子のところでちょっとトラブル。玉虫厨子同様、ガラス(あるいはアクリル)で被われているのだが、その台座(コンクリート製?)の角に脛の下を引っ掛けてしまった。その時は痛みも感じなかったが、夕飯を済ませた後にズボンをめくると、見るからに痛々しく大きく腫れていた。何の罰やらということで、その夜急遽痛み止めのスプレーを購入するはめになってしまった。
急ぐなかで最後にじっくり見たのは百済観音像。これは素晴らしかった。係員の言葉も忘れ、じっくりと眺めた。それにしても高さ約210cmと大きく、八頭身ですらりとしている。その姿は、どこまでも優美で慈悲深いと言われるが、まさにその通りだった。やはり、至宝というべき観音さまだ。
大宝蔵院を出ると、雨はどんどん強くなり、どしゃ降り状態。もうひとつ見たかった中門は残念ながら工事中。真ん中に柱があるため、聖徳太子の怨霊封じのためなど諸説ある門だ。南大門を出る前に振返ってみたが、張り巡らされた灰色の工事現場シートが雨に煙るばかりであった。後は、雨の中をJR法隆寺駅まで約20分、靴を濡らしながらただ黙々と歩いた。法隆寺は、機会があればいつの日かゆっくりと訪ねてみたい。


どこから見ても美しい法隆寺五重塔


五重塔の鎌


◎奈良国立博物館
・なら仏像館

翌朝は、奈良公園へ向う緩い上り坂を奈良国立博物館へと向った。館のまわりでは鹿がのんびり歩いていたり寝そべっていたりしていた。はじめに、なら仏像館へ。ここで本当に数多い国宝、重文の仏様に出会う事になった。国宝の釈迦如来像や千手観音菩薩像、義淵僧正坐像、薬師如来坐像の他、重要文化財の仏像は数知れず、一生分の仏像に出会ったと思わずにいられなかった。数も多いだけあってそれぞれの時代の特徴もよくわかる展示となっている。国内では最も充実した施設のようだ。そういう中に、国宝でも重文でもなく、大きさも20cmあるかないかの誕生釈迦仏立像など小さな仏像もたくさんあった。気がつくと、本質的なものは、ものの大小ではないのだと感じる自分がいた。
見終わると、「奈良はすごい」と思わずにいられなかった。本当に奈良はDeepだ。

・特別展「国宝 春日大社のすべて」
そこから地下通路を通って、奈良国立博物館本館へ。ここでは「国宝 春日大社のすべて」特別展が開催中であった。仏像館とはうってかわって観客がいっぱい。どの展示物の前もたくさんの人であふれていた。それらの人だかりの中で、私が惹かれたのは、春日大社と興福寺が描かれた掛け軸の数々。
春日大社は平安時代の中心だった藤原氏に関係ある神様を祭っている神社だ。神話に登場する武甕槌命(タケミカヅチ)が白鹿に乗ってきたことから、鹿を神使としているそうだ。そのため白鹿が描かれていたり、白鹿に乗ってきた武甕槌命(タケミカヅチ)が描かれたりしている。春日大社と興福寺が一緒に描かれた掛け軸もたくさんある中で、白鹿の鞍に円鏡が載せられ、その中に五体の仏が描かれている掛け軸さえあった。興味津々だ。
なぜかと言えば、神と仏が一緒なのだ。一目見て「神仏習合」とわかるのだ。世界では宗教宗派をめぐって武力衝突さえ頻繁に起こっている中で、「神と仏」という違うものを何の疑いもなく受け入れている日本人は、変なのかすごいのか・・・・。かつては廃仏毀釈で仏を廃した時代もあったが、大方の日本人はやはり神も仏も分け隔てない。やはりすごいということにしておきたい。そのようなことを思いながらたくさんの掛け軸を観た。
それにしても、掛け軸に描かれた白鹿は、どこかアニメ映画「もののけ姫」のシシ神のようでもあった・・・・。

ありがとう奈良! 機会があればまた。

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