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アカウミガメの産卵/2017


もうすぐ梅雨。ちょうどこの時期はアカウミガメの産卵のピークと重なる。5月の半ばになると、県内各地でアカウミガメの産卵が始まる。先日は、日南市の友人が上陸の報告をしてくれた。

ここ10年ほど、地元の海岸で産卵観察会を主催してきたが、昨年から開催をやめた。理由は、海岸の侵食とガイドの体調不良。かつては、学校の遠足や地域のレクリエーションなどが行われた自慢の砂浜海岸だった。幅が100mほどもある砂浜がまっすぐに延びていたが、侵食が進み、養浜(ようひん)や巨大なサンドパック(砂袋)対策がとられてきた。しかし、それは対症療法、抜本対策ではない。侵食は止まるはずもなく、養浜や巨大なサンドパックさえ自然の前では微々たる力。養浜の砂浜は、雨や台風で大きな凸凹をつくり、またサンドパックの一部はむき出しになり2、3mほどの崖さえつくった。そのため、観察には危険さえ伴うようになった。観察会をやめたのは、そのような痛々しい海岸を見るのが嫌になったのも理由のひとつだ。一昨年は、どうしようか本当に迷った。何回も下見に出かけ、観察場所を河口の砂浜に移すことでどうにか実現させた。ガイドも急遽別の方に頼みこんだ末の実施だった。幸運にも、観察会は大成功。河口の砂浜は、産卵適地へと変貌していた。何カ所も産卵の跡があり、この日は参加者を連れて砂浜に出るとすぐに、アカウミガメに出会えた。上陸したばかりだった。参加者は超ラッキー、幸運この上なかった。もちろんこれは夜中の話。

観察会を再開するつもりは今のところは無い。各地の産卵報告を聞き始め、昨日海岸へ出かけた。昼間の干潮時だ。河口の砂は、産卵にはもってこいに見えた。海にはサーファー10人ほど。アサリ籠を引く姿や釣り人の姿も少し。それに親子連れの姿も。潮の引いた海岸を歩いてみた。空は青空、水を含んだ部分はフワフワしてとても気持ちよかった。数百メートル歩いたところで見慣れた大きな足跡。たどると護岸のすぐそばに産卵していた。数年前までは、垂直に切り立った護岸に大波が直接ぶつかっていた所だ。その前には、大きなテットラポットがむき出しになっていた。今年は護岸の一番上まで砂が付き、テトラポットはほとんど見えず、産卵に適地となっていた。これがサンドパック側にまでずっと延びていれば・・・。


今年もアカウミガメが産卵
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ムラサキツユクサ


アヤメが終わり、ムラサキツユクサが咲き始めた。どちらも育てやすい花だ。放っておいても毎年増える。そのため、市道に面する小さな畑にたくさん植えて、そのままにしている。散歩の人も愛でるようで、それなりに役にたっているのかもしれない。
ところでこのムラサキツユクサ、いわゆるツユクサとは違う。ツユクサは子どもの頃から身の回りでよく見かけていた。ツユクサは茎も細く少しソフトな感じだが、ムラサキツユクサは茎も太くソフト感はない。背丈も60、70cmにもなり、先端に少し尖った葉を横に広げその上にかわいい花をいっぱい付ける。赤紫等の花もあるが、好きなのは紫色だ。尖った緑色の葉と紫色の花は、凛とした姿に見える。花瓶に生ければ凛とした姿が美しい。花瓶を竹籠と組み合わせれば、なおさら凛とした姿にみえる。その姿からはあまり想像できないが、茎を切り取り地面のにそのままにしておいても、根を伸ばし生き延びていく。それほど強い植物でもある。
これまで何人かが株を持って行き、それぞれの地で花を楽しんでいるようだ。私も、最初は隣県薩摩川内市(旧・川内市)の知人から譲ってもらった。
放射能の低線量被曝と関係する花だが、詳細は故・市川定夫氏(遺伝学)の「いのちの危険信号」などを参考にして欲しい。私のムラサキツユクサは、もっぱら花を愛でるだけで、放射能や環境との関係ではサクラの花びら調査が担っている。
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キイチゴとコガネグモ


梅雨入りが間近だ。そのため、催しもの間の休日を選びギャラリー回りの木の剪定と草刈りを行った。植物は生命力旺盛だ。放っておけばすぐに草木が生い茂る。伸びすぎた枝は雨で垂れ下がり、行く手を邪魔し、芝生に降った雨は水たまりをつくってしまう。雨樋の枯れ葉もそのままにしておくと、パイプを詰まらせ、土砂降りのよう溢れ出す。
1時間で終えるつもりが、始めてしまうとあれこれしなければならないことばかり。結局3時間ほどかかり、軽トラックの荷台は草木でいっぱいになった。散髪後のこざっぱりした感じだ。

疲れがたまったところで、キイチゴが熟れているのに気がついた。ギャラリー北面の駐車場側が小さな土手になっていて、クマザサ(ミヤコザサ)の中に黄色い実をつけていた。ちょうど食べごろ。そうはいっても、この種は量は少ない。本名はモミジイチゴだ。葉っぱがモミジに似ているためというが、手のひらほどの大きな葉っぱだ。ん!美味しかった。
そのすぐそばに、小さなコガネグモ。かつては、子どもがよく遊んだクモだ。20、30cmほどの竹や木の棒に2匹のクモを乗せて闘わせた。基本的には大きい方がいいが、それだけでもなく、精悍さを備えている強いクモがいい。闘わず、すぐにぶら下がるクモもいた。その時は「上は山々、下は川々」と言いながら、闘いの棒へ登らせた。最もなじみのクモだ。現在でも加治木(鹿児島県姶良市)では毎年クモ合戦が行われる。
夏から秋にかけてはジョロウグモがあちこちに巣をかける。少し似ているが違うクモだ。ジョロウグモはなぜか好きにはなれない。気付かずに巣が顔に絡まったりすることが多いからか・・・。

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続・都へ出かけた


佐土原(現・宮崎市佐土原町)には京に似た名前がある。佐土原は、戦国期には日向国(ほぼ現・宮崎県)の中心だった町だ。治めた武将は伊東義祐。京好みだったというとおり、現在でも愛宕、祇園、五条のほか、金柏寺の名も残る。金閣寺を模したものというが、今は敷地も無く、小学校脇に金柏寺釈迦堂という名の小さなお堂が残るだけだ。しかしここには、佐土原の宝のひとつと言うべき木喰上人作の釈迦仏像が安置されている。下半身を消失しているが往時を偲ぶことはできる。隣町西都市には三納地区に長谷寺、山路地区に羅紗門天像などが残る。また、清水という地名もある。



清水寺
ところで京都の2日目、清水寺に出かけた。京都駅からバスで出かけた。降りた所は五条坂。ちょっと引き返し清水道へ。少し上り坂を歩くと、修学旅行の若人と引率の先生。参道のお店前で、時折先生の解説を耳にしながら仁王門前へ。若人たちは階段で記念撮影だ。門の朱色がきれいだ。そして、塗り立てたばかりのような三重塔へ。重要文化財だ。その脇を通り、拝観料を支払い、まっすぐ進むと眼前に修理のために大きな足場がくまれたお堂。そのお堂の中をウロウロ。はて、舞台はどこだろうと思案しながらしばし・・・。気がつけば、ここがいわゆる清水の舞台だった。もっと広いイメージだったが、修復中だったために全面開示ではなく開示舞台は一部のみ。それでもここからみるゴールデンウイーク直後の新緑はとても美しく、イメージしていた京都どおりだった。奥の院を過ぎた辺りからみる本堂は修理中といえどもその偉容さを感じさせた。足場が組まれた清水の舞台も、この時しか見る事ができないと思えば、またいいものであった。
清水の舞台を味わった後は、町中散策。清水道に登る間際に、「河井寛次郎記念館」の名前が目に入ったので、引き寄せられるように足を向けた。河井寛次郎、「民藝運動」の中心メンバーとして活躍した一人だ。それは、車1台がやっと通れるかという住宅街に一角にあった。しかし、誠に残念、月曜日で休館だった。それでも、そこから歩いた細い道は、京都を感じさせるに十分な住宅街だった。


三十三間堂
気を取り直して、三十三間堂まで歩くことにした。予定には入れていなかった所だ。寄って見て大正解。ここは想像を絶していた。同じような感じを受けた所と言えば、北京の故宮や西安の兵馬俑などか・・・。正式名称は蓮華王院本堂。元々は平安末期、院政を行った後白河上皇が自身の離宮内に、当時権勢を誇った平清盛の資材協力で創建したものだそうだ。しかし、それは火災で消失。現存するのは鎌倉期に再建されたものだそうだ。朱塗り極彩色(一部残存)だったというが、現在はほぼ黒に近く質実剛健に見える。余りに大きく長い立派な木造建築なので、カメラにおさめきれず表現もしきれないのが残念。堂内に入れば、再び絶句。中心に国宝千手観音座像。その両脇に重要文化財で千体の千手観音立像。圧倒される。そして、その前に国宝の風神・雷神像と二十八部衆が居並ぶ。圧巻だ。だが、立派な故に権力というものの大きさも感じる。内部は写真禁止のため写真なし。京都に行くなら、ぜひ予定に入れて欲しいと思う。



東寺
最後は東寺の五重塔を訪ねた。ここも本来は南大門から入るべきだったが、東側の駐車場側の門から入った。すぐ脇に宝蔵。小さいが正倉院と同じ校倉造りだ。そこを過ぎ、食堂、金堂、講堂と大きな建物を見て回り、五重塔を間近で眺めた。五重塔は、新幹線からも見える。高さ約55mという。木造では高さ日本一を誇り京都のランドマークにもなっている。弘法大師空海が講堂の次に着手したものだそうだが、時代は9世紀桓武天皇の頃だ。その後落雷等で4度消失、その度に多くの僧が再建という大事業を成し遂げてきたといい、現在のものは1644年再建の5代目、江戸初期のものだ。あと四半世紀で400年目を迎える。大きな節目なので記念行事が大盛大に催されることだろう。町並みから見える五重塔も記憶に残るものだ。京都駅に近いので、ここもぜひ。
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エゴノキ


ギャラリー野の苑の片角にエゴノキがある。5月の連休頃にたくさんの白い花をつける。10年ほど前に、春の植木市で買ってきたものだが、その時はせいぜい高さは1mほどだったが、土地にあったのか、植木屋さんもうらやむほどに成長した。
このエゴノキの花、室内からもよく見える。白い花をながめるだけでもいいのだが、生き物の関係を見るのに実にいい。白い花が咲き始めると、ミツバチをはじめとして様々なハチなどがやって来る。その中で最も大きいのはマルハナバチだ。真っ黒くずんぐりしたハチで、大きさが小指の先ほどもある。真っ黒ずんぐりだから、“くまもん”みたいなハチでもある。ある年、白い花が満開の頃、数えきれないほどの群がった。知らない人は怖がったが、私はうれしいばかり。その後、2〜3年は同じように群がり、毎年楽しみにしていたのだが、ここ数年音沙汰なし。せいぜい数匹。どうしたのだろうと思う。今年も数えるほどだったが、どうにか写真におさめた。
花が終れば、釣り鐘状の実がつく。花がいっぱいなので、実も鈴なりだ。だんだんリンゴみたいな形になっていく。但し、大きさは1.5cmくらいか。これは測っていないので不正確。ところで、この実で魚を捕っていたという人がたまにいる。毒があるのだ。サポニンという毒を含むようだ。これをつぶして、小川に投げ入れると魚が浮いてきたのだという。人の話だ。それも昔の話。良い子は真似はしないように・・・。それと口にしないようにだ。
その実が熟れると、またおもしろい。ヤマガラが来る。ヤマガラは山雀と書く。スズメほどの小さな鳥だが、かわいい鳥だ。このヤマガラが3〜4羽、熟れた実を求めて入れ代わり立ち代わりやって来る。一つずつくわえては飛び去り、またくわえては飛び去る。これを実が無くなるまでくり返す。上手なヤマガラもいれば下手なものもいる。下手なヤマガラは、くわえ損なって草むらに落としてしまったりする。最後の最後、枝に付く実が全くなくなると、草むらに落ちた実を探しまわるということになる。どうにも人間社会をみるようだ。
庭にスペースがあるなら、エゴノキを植えてみることを薦めたい。生態系というものを意識するはずだ。


エゴノキの花とマルハナバチ
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都へ出かけた


都(みやこ)へ出かけたと言っても、東京ではなく日本の古都・京都だ。我が郷土宮崎市佐土原町にも、都の文字が入った地名がある。佐土原(現・西佐土原)は、戦国期には今の宮崎県の中心だった町だ。その中心から少し東に、都甲路という地名がある。トコロと呼んでいた。本当はトゴロのようでもあるが、意味は都への道と聞いたことがある。そのような事も頭の片隅に置きながら京都へと出かけた。
佐土原は京都との関係も深い。江戸期、佐土原藩は伏見に藩邸を持っていた。初代藩主島津以久(ゆきひさ)は伏見で亡くなった。そのため大雲院(銅閣)に葬られたそうだ。そのため、参勤交代時は大雲院に必ず参拝の習わしだったようだ。佐土原藩歴代藩主の菩提寺高月院には、「豊烈曜後之碑(ほうれつようごのひ)」という石碑がある。戊辰の役の石碑だが、大雲院から移設されたものと聞く。復元佐土原城(歴史資料館:通称・鶴松館)も無関係ではない。設計図は残っていなかったため、発掘調査時の柱穴や根石を基に、二条城を模してつくられたようだ。また、佐土原でよく知られているものに、佐土原人形があるが、ルーツの一つは伏見人形だ。(もう一つのルーツとして朝鮮説)。このように関係は深いのだが、今回はただ単に観光目的。お上りさんだ。
ということで、初日は定番の金閣寺、龍安寺、仁和寺へ急いだ。どこも旅行者でいっぱい。それも日本人より外国人の方が多い感じ。回りでは、英語、スペイン語、ロシア語、中国語、広東語、朝鮮語が飛び交っていた。それにまじって日本語。アジア各国からの旅行者は、同じように見えても大方区別はつく。顔つきや服装など、どこか雰囲気が少しずつ違うのだ。印象では韓国からの新婚旅行と思える人たちも目についた。


金閣寺
そう、お寺の正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)だった。舎利殿が金閣寺だ。門をくぐるなり目に付いたのはイチイガシの大木。漢字で書けば「一位樫」。樫の仲間では一番という意味のようだ。好きな木だ。どこに行っても、イチイガシに出会うとうれしくなる。手入れが行き届いた松も目につく。
足を進めると、池の向こうに写真でおなじみの金閣。想像していたよりすっきり感、さわやか感あり。回りはほとんど外国人ばかり。記念写真を撮りまくっている。私も違う角度から数枚パチり。遠景もさわやかだ。ただ、池の水はちょっと・・・・。

きぬかけの路
金閣寺から龍安寺、仁和寺へは「きぬかけの路」を歩くことに決めていた。「きぬかけの路」は、衣笠山麓を抜ける緑豊かなルートで散策に最適とのふれこみだ。名前のイメージから、車は通らない散策路を想像していた。そういう思い込みで歩き始めると、回りはお店などで緑はなく、車がひっきりなし。やっと途中から緑が多くなったが、それでも車は行き交う。行ってみなければ分からないとはこのことか。初めての路は学習効果もなく、思っていたより遠かった。



龍安寺
龍安寺は境内に入るなりモミジの緑が目にしみた。モミジはテッポウムシにやられることが多い。木の根元などにおがくずのような木くずが出ている時がある。放置しておくと木は全くダメになる。ミカンの木もそうだ。何本も枯らしてしまったことがある。龍安寺のモミジは全くきれい、手入れが行き届いているのだろう。さて、高名な石庭。英語では“Rock Garden”とある。石庭だからロックガーデンに違いはないが、Rockからは、大きな岩を連想してしまい、少しイメージが違う。
石庭は、緑に囲まれてそこにあった。何人もの旅行者が縁側に座り、石庭を眺めていた。人を引きつけてやまないものがあるのだろう。時間がじっと止まっているようであった。本当は立ってみるべきとか、どこから見ても見えない岩があるとか、解説は他に任せておきたい。少し乾いた感じを受けたが、印象に残る石庭であることには違いなく、天気も時も季節も違えて見てみたい。身も心も洗う気持ちのいい風が吹いていた。



仁和寺
正門の案内を横目に、脇道に長い塀が見えたので近道にもなるし、車も避けられるのでそちらへ。しばらくすると東門が見えた。そこから境内へ。案内を過ぎるとすぐに左手に大きな仁王門が目に入った。国の重要文化財にもなっている京都三大門の一つだ。東門から入ったのを少し後悔した。やはり正門から入るべきだった。正面に回ると両側に仁王様。阿吽の形をした金剛力士像、大迫力だ。その後、御殿や国宝の金堂、重要文化財の五重塔を拝観。どれも立派だ。絵になりやすい五重塔を写真におさめ、予定していた世界遺産コースは滞りなく終了。時間が余ったので、嵐山まで足を伸ばすことにした。


嵐山
宮崎にも嵐山と呼ばれたところがある。一ツ瀬川の中流域、西都市杉安だ。かつては妻線の終着駅があり、「日向の嵐山」と呼ばれた。、橋上から見る山並みと川面もそれなりに美しいし、河畔林も立派だ。しかし、京都の嵐山は、やはり数段上だ。電車から降りるとすぐにたくさんの人波。それも若いカップルやグループが目につく。人の歩きに任せて桂川にかかる渡月橋へ。映画やテレビドラマでもよく撮影されると聞く。どこも人、人、人。そして上流側にはボート、ボート、ボート。それより目にとまったのは、逆光の中の山の木々。芽を吹いたばかりの緑が目にまぶしかった。そして葛野大堰(かどのおおい)。嵐山まで足をのばしたかいがあった。
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大阪駅桜橋口地下通路壁画


「おばさん!何かいいものがある・・・?」
これはちょっと本物と間違いそうな絵だ。大阪からの帰り、空港までの時間つぶしに大阪駅地下街を歩いた。都会に行くと人波に疲れる。道に不案内だと、あちこち歩き回ることになる。特に地下街はそうだ。歩く早さも都会になるほど早い。加えて通路はタイル張りが多いため足も痛くなる。田んぼ道は、土や草がクッションの役割をはたしてくれるので体にはソフトだ。
それに地下とは言え、昼間のように明か明かだ。歩き回っている内に、少し疲れも出てきた。憂鬱さもたまり始めた頃、通路に出た。普通、通路脇はお店の紹介や商品の広告が多いが、壁に絵が描かれているのに気がついた。描かれているのは、多分、良きアメリカ。どこか懐かしさもある。かつて映画館に掲げられていた看板とどこか似た雰囲気を持っている。優しさがあるため、気持ちも楽になった。
いっぱい描かれている絵の中で一番気に入ったのがこれ。ほぼ実物大なので、本当のお店に入ろうとしているおばさんに見える。ドアの取手だけは本物が取付けてあった。そのため、余計に本当のお店のように見えた。
描いたのは若い人なのだろうか。ちょっと会ってみたくなった。
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