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『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』ポスターの原点=生賴範義画『破壊される人間』


青木幸雄(宮崎市)

ずっと気になっていた絵がある。映画『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』や『ゴジラ』などのポスターでよく知られる生賴範義さんの油絵だ。最初目にしたのはいつだったのか思い出せないが、薩摩川内市が東郷町などと合併する前の川内市だった頃だ。薩摩川内市には九州電力の川内原発がある。1号機、2号機の2基が川内川河口南側に建っている。原発が動き始めたのは1号機が1984年7月、2号機が1985年11月だ。その頃、私は川内原発を強く意識することはなかったが、2号機が出来た翌年の1986年4月に旧ソ連チェルノブイリ原発で核暴走爆発が起き、その放射能を実家(宮崎市)の畑でできた生姜から検出したことで、川内原発は私の足もとの原発と意識するようになった。なにせ、チェルノブイリ原発から日本までは約8,000km、川内原発から私の住む宮崎市までは約120kmしか離れていないのである。なので、川内原発で重大事故が起きた時、私たちはどうなるのだろうと思い始めた。そのため、川内市にたびたび通うことになった。そしてある時、川内歴史資料館で同館所蔵の生賴範義さんの『破壊される人間』を目にすることになった。

生賴範義さんの名前を耳にしたのは、生賴さんが宮崎で仕事を始められてすぐの頃だから、ずっと以前のことだ。私と同姓の青木画廊の故・青木修さんが「こういう人が宮崎にいるよ」と教えてくれた。すごい人がいるものだと思ったが、そのまま時は過ぎた。私も似たような仕事をしていたとはいえ、こちらは街の印刷屋さん相手のデザイン業。あちらは、世界を相手のイラストレーターだ。天と地、いや、それ以上の差だ。そんなに名が知れた方のポスターや本の表紙などを時折り目にしても、映画や本を飾る以上のものではないように感じていた。そのようなことで、宮崎市や延岡市で氏の仕事を網羅するような展示会が開催されても足を運ぶことはなかった。そんな私だったが、『破壊される人間』だけは、もう一度しっかり向き合ってみたかった。写真も撮りたかった。なので、川内原発1号機が40年を迎えた7月4日、川内歴史資料館に足を運んだ。川内原発北ゲート前で開かれた反対集会に参加した帰りだ。記憶の中の絵と比べると、照明が暗く、真ん中は明るかったが左右はとても暗かった。そして、残念なことに撮影不可。しかし、どうしてももう一度、しっかり向かい合わなければならない気持ちが背中を押した。なので、ブログに書きたい旨を伝え、画像提供をお願いした。なので、掲載している写真は、館から提供して頂いたものだ。ただ、画素数はブログの制約のため荒くなっている。

この絵を見る時、思いおこす絵があった。 藤田嗣治の『アッツ島玉砕』や、丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』である。どちらも戦争の地獄が描かれている。『アッツ島玉砕』は、敵味方が入り混じり殺し合っている絵だが、人間の極限の狂気を描いているようだ。兵士は銃剣を今にも振りおろそうとし、あるいは突き刺そうとし、またあるいは日本刀で斬りかかろうとしている。そのような狂気の中で人は殺戮されていく。この絵を描いた藤田嗣治にはいろいろ批判もあるようだが、私には戦争というものを描ききった一枚のように思える。そして『原爆の図』には、原爆で焼かれ苦しむ人々の姿がたくさん描かれている。大人も子供も、男も女も、たった1発の原子爆弾で一瞬の内に蒸発し、あるいは黒焦げになり、あるいは布切れのようになり苦しみ死んでいく。生賴範義さんの『破壊される人間』を見る時、これらの絵と同質のものをどこか感じる。最も目に付く真ん中より少し左には、ぼろぼろに引き裂かれていく女性の姿が描かれている。下腹部からはどろどろになった内臓がぼろ布のように垂れ下がり、右側の肉塊とつながっている。その間に描かれている髑髏は別人なのだろうか、肉を掻きむしる手のようなものが描かれている。さらに右側には、お尻を思わせるものも描かれている。まるで凌辱されているようだ。しかし、髑髏の後ろの背景は水の中の出来事のようにも見える。最も左側に、自動小銃を持った兵士と見える人物が描かれているのが見えるだろうか。そうすると、やはりぼろ布のようになっている女性などは、この兵士の仕業なのだろうか。そして、兵士のすぐ右と画面最右側の青黒く描かれているのは、死体の山にも見える。いずれにしても、この絵は生賴範義さんの内面にうずめくものが描かれているように思う。そして、この絵が下敷きとなり、映画のポスターや本の表紙などが描かれていったように感じる。そう意味では、『破壊される人間』は、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』や『ゴジラ』などのイラストの原点だ。

もうひとつ、絵ではないが、かつてNHKで放映されたドキュメンタリー『東海村JCO臨海事故』もあげておきたい。ここでは、放射線によって破壊されていく人間の姿が映し出されていた。1999年9月、茨城県東海村にある核燃料加工施設(株)ジェー・シー・オーで臨界事故が起きた。事故ではウラン溶液が臨海に達し至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち2名が死亡、1名が重症となったほか、600名を超える被曝者を出した。亡くなった2人は、染色体が傷付き、新しい細胞が作れないまま細胞が次々に失われていった。そして内蔵の粘膜も剥がれていった。『破壊される人間』を見る時、これらのことも脳裏に浮かぶ。薩摩川内市には川内原発があり、運転を続ける限りふる里を失うかもしれない事故リスクが厳然としてあり、行き場のない使用済み核燃料(死の灰)は確実に増えていく・・・。
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現代のダ・ヴィンチ=テオ・ヤンセン










風を受けて動く造形作品を作りたい。ずっと以前からの想いだ。なのに形にしたのは立体凧ぐらい。それもずーっと以前のこと。空に浮かんだ立体凧と糸を引っ張る力の強さはよく覚えている。

ところで、宮崎県立美術館で開催中の「テオ・ヤンセン展(2024.7.20〜9.8)」だ。以前から一度目にしたいと思っていたので出かけた。稲刈り前の7月末だ。大学時代に物理学を専攻し、その後画家に転向したというテオ・ヤンセンは、1990年から風の力で動く「ストランドビースト」を作り始める。まるで、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンを造ったドクのようだ。
「ストランドビースト」と言われる作品群は、オランダ語で砂浜を意味する「ストランド」と生命体「ビースト」を合わせて名付けられた造形作品だ。風を動力源として砂浜を歩き回るのだが、風を受けて海上を走るヨットのようなものでなく、生き物のように歩き回るのだ。骨格は主に細いプラスチックチューブの集合体だ。作品の中には、水たまりを感知する能力を持つものさえある。感知した刺激を受けて動き出す動力源は、沢山のペットボトルに蓄えた圧縮空気だ。やはり、ヤンセンはただ者ではない。なので、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチとも称される。
「ストランドビースト」の本来の姿は、風を動力源として砂浜を歩き回る姿だ。けっして美術館の中で静止している姿ではない。だが、それでも係員の手で大きな作品が数歩動いた時、観客からは「オッ!」という声が上がった。いつの日か、砂浜を歩き回る本来の姿を見てみたい。
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「原爆 いのちの塔」を見た






8月6日NHKスペシャルで「原爆 いのちの塔」を見た。
舞台は、原爆投下で壊滅的被害を受けた広島。その中で倒壊を免れた広島赤十字病院。そこに被爆者が殺到。骨折重傷を負った院長・竹内釼の指示のもと懸命の医療活動が続けられ、赤十字病院は「いのちの塔」と呼ばれた。

見終わって、母を思った。母は、広島赤十字病院の看護学校の卒業生だ。原爆投下時に、広島にいたなら、私はいなかったかもしれない。戦時中だったため、3年で卒業のはずが2年で卒業、広島を離れた。母の死後、看護学校時代の分厚いアルバム残された。卒業記念アルバムだ。表紙は、濃紺の地に赤い赤十字と白い看護帽子、そして「日本赤十字社 広島支部病院」の文字。そのまま残しておくのも一つの手ではあったが、古かったのでこれはと思うものだけ選んで、新たなアルバムに残しておいた。その中に赤十字病院の写真があった。原爆以前の1943年頃のようだ。確かに塔も写っていた。院長らしき写真のほか玄関前での集合写真も。この中に母が写っていれば、母20歳頃の写真だが、見定めることはできなかった。
卒業後の配属先は、佐賀県嬉野にあった海軍病院。8月9日11時2分長崎原爆。嬉野から長崎方面が赤く見えたとも聞く。入院していた患者は、全員病院外に移され箝口令。その日の夕方には、被爆者がトラック2台に乗せられてやってきたという。その後は、広島赤十字病院同様、懸命な医療活動が行われた。その日から戦場だ。母の生前、2度ほど看護内容をきいたことがある。「白血球を数えたり、湧くウジをとったり、茶渋を塗ったりした」と応えたが、詳細は聞かせてくれなかった。やはり辛い経験だったのだろう。そういう経験のため、母は「被爆者手帳」を持っていた。しかし病気することもなく元気そのもの。本人も含めて、誰しも100歳まで生きると思ってた。しかし、83歳の時、突然の病に倒れた。生きていれば、今年ちょうど100歳。もう少し詳細を聞いておけば良かったと悔やむ。
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世界最大級の花・ショクダイオオコンニャク開花










これは見逃す手はない。ということで、昨日(2024.7.9)忙しい合間をぬって宮交ボタニックガーデン青島(県立青島亜熱帯植物園)へ。温室に足を踏み入れた途端、友人夫妻とばったり。まあ、お互い好奇心の塊のような者どうしだから、どこで会っても不思議はないのだが・・・。2階だよと教えられ、階段を上がると、おお、やはりでかい。8年に一度花を咲かせるという世界最大級の花・ショクダイオオコンニャクだ。高さ2mほどと思ったが、実際は2.4mもあったようだ。サトイモ科の植物で、インドネシア・スマトラ島原産。受粉に必要な虫を引き寄せるために、魚の腐ったような強烈な匂いがすると聞いていたが、微かに臭うだけで、そう悪い匂いでもなかった。花の一部が切り取られ、雄花・雌花が観察できるようになっていたが、虫はほとんど確認できなかった。熱帯現地なら、様々な昆虫が観察できたのかもしれない。
名前の由来は、ろうそくの燭台からきているようだ。なので、一度覚えてしまえば分かりやすい。それにしてもこの温室、うれしいことに無料。アンリ・ルソーの『蛇使いの女』を思いだすほどに、亜熱帯・熱帯系の植物が濃密だった。月夜にそっと足を踏み入れると、どこからか笛の音が聞こえてくるのかもしれない。
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『砦の上に』向原祥隆著


『砦の上に』を手にした。鹿児島・南方新社代表・向原祥隆さんの本だ。帯には「崩れゆく田舎と崩れゆく日本の折々の記。」とある。タイトルの『砦の上に』を見て、松下 竜一さんの『砦に拠る』を思い出した。「蜂の巣城」でよく知られているが、あらゆる「知」を総動員してダム建設に反対した室原知幸さんを主人公にした本だ。向原祥隆さんにも同様の血が流れているようだ。ズボンの後ろに手拭いをぶら下げ、革靴のかかとを踏み潰して履いているその姿は、かつての「バンカラ」そのものだが、少し野性味も感じる。
その向原祥隆さん、東京は人間が住むところではないと故郷鹿児島にUターン。そして南方新社を設立し、本づくりを重ねること30年。だが愛すべきその地も田畑は荒れ、危険な原発があり続け、島々を中心に軍事基地化が急ピッチで進む。そういう中で書き続けた折々の思いを、一冊にまとめたのだ。
「はじめに」の中にこうある。「かつて人々は、暮らしに必要なあらゆるものを自然の中から自分の両の手で作り出していた。食べものはもちろん、家だって自分たちで拵え、着るものも手製だ。今ではお金でそれを得るようになり、より多くのお金を確保しようと躍起になっている。子供の頃から全ての能力はここに動員される。そしていつの間にか、自分では何も作れない存在になった。お金を払い、自分で獲得したつもりになっているが、お金は食券であり、物の交換券だ。千円札であれ、一万円札であれ、日本のお札にはちゃんと日本銀行券を書いてある。働いて券をもらい、食べ物と住む処を与えられる。地球上のあらゆる動物は、自分の手で食べ物を獲得する。与えられて生きるのは家畜だけだ。いつの間にか人間は「家畜」になってしまった。」と。

南方新社とは、『九州の原発』(橋爪健郎編著)に、九州電力が建設しようとした串間原発の攻防を書かせてもらったことで縁ができたが、なかなかの出版社だ。鹿児島や南九州の自然、文化、歴史などを中心に、この30年で刊行した本は650点ほどになるという。覗いてみれば、きっと読みたい本に出会えるはずだ。
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見応えがあった『福岡アジア美術館ベストコレクション』


もう1ヶ月以上前になるが、所用で福岡市に行く機会があったので、『福岡アジア美術館ベストコレクション』展に足を運んだ。美術館開館25周年スペシャル企画というだけあって、見応えがあった。その中から、FBに書いていたものを掲載しておきたい。

この人の作品は、やはり空間を感じさせる。これは1977年の『線より』と題された作品。『From Line』は、東京都現代美術館など各地の美術館が所蔵しているが、自分的にはここの作品が一番好きだ。こことは、福岡アジア美術館。この人とは、李 禹煥(リ・ウファン)。




『略奪された岸辺』。インドの歴史を知らないながら、スケールの大きさに圧倒されそうだった。物語は左から右へと展開する。一番左がインドに着いたイギリス人。植民地の始まりだ。続く3枚がギリシャ神話の王女メディアを基にした男と女のドラマ。そして西洋文明の自然破壊。最後の2枚は1992年のムンバイ暴動とあった。植民地、男性に翻弄される女性。女性の男性への復讐。環境問題。そして宗教対立。福岡アジア美術館がコレクションするインドの女性アーティスト「ナリニ・マラニ」の作品だ。
この絵を見ながら、サタジット・レイの映画『大地のうた』を思い出した。インドすごい!









『卵 #3』、観ておきたかった作品だ。福岡アジア美術館がコレクションする中国生まれ北京在住というリン・ティエンミャオ(林天苗)の2001年の作品。
自身の大伸ばしにされた出産直後の写真には白い玉がいくつも貼り付き、そしてそこから伸びる糸の先には白い糸玉が床一面に転がっている。それらは、女性が一生のうちに排卵する卵子なのだそうだ。女性が生きる生を生む性と同時に、生む性として社会的に拘束される姿をも感じさせた。






色々と考えさせる絵だ。どこか遠くを見ているような人民服の女性。そしてカッと見開いた目の黄色い顔の男性。両者を結ぶ赤い糸の先には天安門が映るテレビやバラの花、そして何が入っているのか木箱。ちょっと不穏な空気が漂っているようにも感じる。人民服の女性は若い頃の母。黄色い顔の男性は画家自身。文化大革命や天安門事件など波乱の歴史に翻弄されてきた中国人民の姿なのだろうか・・・。1958年生まれの画家は確実に社会を表現しているようだ。
『若い娘としての母と画家』1993年:ジャン・シャオガン(張暁剛)






次々に海面に墜落する軍用ヘリ。右から墜落するかと思えば、左から、あるいは頭上から様々な格好で墜落する。ベトナム戦争に大量投入された軍用ヘリの姿が脳裏を横切る。コッポラの映画『地獄の黙示録』に冒頭から出てきたあの軍用ヘリだ。
1975年4月30日、サイゴン(現ホーチミン市)陥落。幾多の米軍人・高官はヘリコプターで脱出を試みる。だが、航空母艦にたどり着く前に墜落したり、着いたとしても次のヘリ着艦のために海上に投棄されたのだという。
『南シナ海ピシュクン』と題された6分30秒のアニメだ。作者はディン・Q・レ、2009年作。
大きなスクリーンに写し出される軍用ヘリの墜落する姿は、どういうわけか観ていて飽きることはなかった。動画としては撮影禁止だったので、写真のみ。






個人に対する誹謗中傷をはじめ、国家間や民族間、あるいは宗派間や人種間などで繰り返される暴力と殺戮。世界がそのような不条理から解放される手立てはないのか・・・。
一人裸でたたずむ人間に向けられたたくさんの剣先。目を閉じた顔は穏やかな崇高さを感じさせ、剣の側に語りかける。剣なしでいこうよ・・・。
男性の姿は、非暴力・不殺生を説くインドのジャイナ教の聖者像に原型があるという。
『内なる声』N.N.リムゾン(1992年・インド)


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「厳島神社」大鳥居のうち、一本はわが宮崎県産




ここに行ったのは、もう10年近く前だが、この時は全く知らなかった。知っていれば、写真だけでなく手を合わせていたかもしれない。実は、世界遺産「厳島神社」の大鳥居の柱の内、一本は宮崎産というのだ。誰もが知る海の中に立つあの朱塗りの大鳥居だ。鳥居自体は9代目、木造としては国内最大で、国の重要文化財に指定されている。東の柱が宮崎県産、西の柱は香川県産だそうだ。材質は樹齢約900年のクスノキで、主柱の周りは9.9mというから巨木だ。
宮崎県産とはいえ、伐り出されたのは1863年(文久3)。宮崎県ができたのは1873年(明治6)なので、この頃の呼び方では、日向国岡富村産だ。旧・岡富村は、現在の地名では、わが住まいに近い西都市岡富だ。かつて一ツ瀬川左岸丘陵地にあった住吉神社境内の御神木を伐採し、一ツ瀬川に落とし、筏に載せて2ヶ月かけて河口まで運び、日向灘から瀬戸内海経由で1年6ヶ月かけて運んだのだという。東柱になったのは1875年(明治8)なので、その時は宮崎県だ。その頃に生まれていれば、一ツ瀬川を下るクスノキをきっと見に出かけたはずだ。

宮崎県自体は、その後1876年(明治9)に鹿児島県と合併、その後西南戦争(明治10)をへて1883年(明治16)に再び宮崎県となった。
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南北朝時代、日向国で北朝方の拠点となった穆佐城(むかさじょう)






意を決してというほどではないが、穆佐城跡に出かけた。場所は、宮崎市高岡町穆佐小の裏手。いつもすぐそばを通っていたのに、出掛けたことがなかった。「穆佐」の読みは、「むかさ」だ。「大淀川流域地名いわれ事典」によれば、『「むかさ」のムカは「向かいの地」の意で、穆佐の低湿地帯をス(三角州)といい、川向こうからながめてこの地域を「ムコス」と呼んだのが、「ムカサ」になったといわれている。』とある。2002年に国の史跡に指定された中世の山城だ。
南北朝時代の争乱に関わり、戦国時代には伊東氏と島津氏が争奪を繰り返している。建武3年(1339)には、足利尊氏が畠山直顕(ただあき)を日向国に派遣。南朝方との攻防の本拠となったようだ。大規模な曲輪群や掘切、土塁などの保存状態がよく、とても規模が大きい。歴史を振り返ってみると、なるほどとうなづく。「実戦的な城、ここにあり」という感じ。




宮崎市指定天然記念物 島津忠国の誕生杉

 
イチイガシが林立


シラスの崖


ところで、「宮崎市指定天然記念物 島津忠国の誕生杉」なるものがあった。明治7年に焼失したあと植えられた2代目のスギだが、枝振りもなかなか良かった。その他、イチイガシも。またシラスの崖も見ることができた。約3万年前に、姶良カルデラが超巨大噴火を起こした時の入戸火砕流の堆積物だ。自然の営みは、人知を超える。
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鍋島・龍造寺の菩提寺=佐賀の高伝寺に寄ってみた












かつて近くに住んでいたこともある。なので何度か遊びに行ったことがあるが、その頃と比べると少し荒れた感じを受けた。旧佐賀藩鍋島家と戦国期の肥前国領主龍造寺家の菩提寺・佐賀の高伝寺だ。門入り口には、鍋島家の杏葉紋と龍造寺家の日足紋が並んでいた。受付で300円を支払い、「恵日山」の文字が掲げられた大門をくぐると、正面に大きな本堂。その本堂の大きな引き戸を開けてもらい本堂に入ると、右手に国内最大という大涅槃図の入った黒い箱があった。大きい。涅槃図の大きさは、縦15.2m 横6mというから当然だ。毎年4月に公開されるようだが、大きすぎて全体の展示ができないため中心部のみのようだ。かつて九州国立博物館で修復された折に全体が公開されているが、全体が見れるような建物が現在計画されているという。是非とも実現してほしい。本堂から廊下続きのところに蔵(御堂)があった。写真はだめだったが、特別に開けていただいた蔵には、鍋島・龍造寺両家の歴代位牌がずらりと並んでいた。


龍造寺隆信の墓

堂内を一通り見終えたあと、本堂裏の墓地へ。石畳の広い墓地で、これまた歴代の墓がずらり。その中で、私の関心を引いたのは龍造寺隆信の墓。龍造寺隆信は、沖田畷の戦い(島原/天正12年・1584)で有馬晴信・島津家久連合軍に討ち取られている。その討ち取った側の家久は、わが佐土原の城主だった人だ。この戦いの後、島津勢は筑前・筑後へと勢力を拡大し九州制覇を目指すが、天下統一を目指す秀吉とぶつかることになる。そしてまた家久も、秀吉の弟・秀長に降伏後急死する。病死との説がある一方、毒殺説もあるが真相は不明。毒殺説にしても、秀吉軍説もあれば島津軍説もある。
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見たかった縄文のヴィーナスと仮面の女神













紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむ


茅野市蓼科の温泉ホテルは期待以上。着いたのは、前日同様暗くなってから。夕食はバイキングだったが、とても美味しく、それ以上だったのが温泉。露天風呂もあり、森の中にいるようでこの上なしだった。風呂に行く途中、通路脇に土偶が2体展示されていた。国宝「土偶」(縄文のビーナス)と 国宝「土偶」(仮面の女神)だ。もちろんレプリカ。隣にあった写真と見比べてみたが、レプリカとはいえ、とてもいい出来で、写真に撮ってこなかったことを後悔している。本物は、八ヶ岳西麓の「茅野市尖石縄文考古館」だ。八ヶ岳山麓は、遺跡も博物館もたくさんだ。縄文期は黒曜石が取れたこともあり、時代の中心だったようだ。フォッサマグナの西域であり、すぐ西には「糸魚川-静岡構造線」が通っている。なので、興味津々。だが、自由がきかないツアー旅。心残りだが、今回は予備調査と考え、再訪を頭に描いた。
早朝、窓からは雲海が見えた。出発はいつもより遅い9時半。すぐ近くの英国式庭園が最初の目的地。ダリア園と聞いていたが、ダリアだけでなく、様々な花が咲き誇っていた。写真映えするので、何枚もパチリ。早めの昼食はここ。紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむお茶会。イギリスの貴族たちのアフタヌーンティースタイルなので、ちょっと優雅な感じ。ジーンズスタイルの私にはちょっと不似合いだったが、同郷の氏と10数年ぶりに同席することができ、子供時代にもどり話しは弾んだ。紅茶とサンドなどは頂いたが、お菓子類は包んでもらった。


雲がかかっていた富士山


ちょっと怖い「かちかち山」のお話


次は最後の目的地~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイだ。八ヶ岳連山を左に見ながらバスは快調に走った。だが、近づくにつれ晴れてはいるが少し雲が多くなってきた。途中、ガイドが盛んに雲行きを気にしていたが、着いた頃には、やはり頂上付近に雲。残念。だが富士山はやはり日本一。ロープウェイ乗り場には、外国からの人も含め人がいっぱい。15分ほど待ってどうにか展望所へ。一瞬でも雲が取れないかと思ったが、思い叶わずだった。ところで、このロープウェイのある山は、実は、昔話「かちかち山」の舞台になった天上山。子供の頃は何とも思わなかったのに、今読んで見ると、騙し合い殺し合いのちょっと怖いお話。ありゃりゃだ、
というようなことで、あとは羽田へと向かったが、都会のビル群が近づくにつれ、自然破壊の現場を見るようでもあった。
(今回の旅行記はこれでおしまい。)
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