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アカウミガメ産卵観察会


 「あ~あ、今日はだめだったか!」と、思いかけた頃だった。暗闇の中に、それらしき一筋の線が砂浜を横切っているではないか? ガイドのAさんが大慌てで後ろに下がるよう指示を出す。続けて、じっとしているように指示がでる。みんなが後ずさりして砂浜にしゃがみ込んだあと、Aさんは身をかがめるように海側から一筋の線に向かって行った。白っぽい服を着たAさんの姿が暗闇に溶け込み、しばし沈黙の時間である。
 潮加減といい、暗闇といい、しっとりとして穏やかな空気といい、その日はアカウミガメの産卵に出会えそうな気がしていた。それなのに暗闇の砂浜を2時間歩いたのに見つかるのは、昨日までの足跡ばかりだった。それが、解散地を目前にして、「ん!いたかな!」である。
 “アカウミガメ産卵観察会”を企画・開催しても、出会えないことも多い。出会えるのは何回かのうちの数回というのが現実である。野生動物であるから、当然と言えば当然ではある。しかし、参加者の中には、夜の砂浜を初めて歩く人も多いのである。それにこの日は小学生が5人も参加していた。出会って感動し、命や砂浜や自然の大切さを感じ、それを伝えて行って欲しかった。それ故に、暗闇の中に一筋の線を見つけた時は、いつも以上のうれししさがあった。しっかり産卵を見学して帰ってもらいたいものである。暗闇の中の線が2本であれば、アカウミガメはもう産卵は済ませて海に帰っている。しかし一本だけの場合は、まだ陸の上ということなのだ。暗闇の中には一本の線が横切っているだけだった。
 どこの砂浜も、最近は厳しさを増すばかりである。ここ宮崎市佐土原海岸も侵食が進み、かつての雄大な砂浜はやせ細り、本来ならアカウミガメが産卵する砂丘の草地部分は浜崖となり、行く手を阻む。特に近年の侵食は、目に見えてひどくなるばかりである。上陸したアカウミガメは浜崖に阻まれ(ひどい場合は、テトラポット群やコンクリート擁壁に阻まれ)、右に左に、そして産卵場所を見つけ出せず、海に引き返さざるをえないことが多いのである。
 だがこの夜は違った。観察会に訪れた人は幸運というものだ。上陸を確認し帰って来たガイドの後をそっとたどると、アカウミガメがモコモコと砂の中で動いていた。砂の上でバッチョ傘がうごめいている感じだ。上陸して産卵場所を決め、穴を掘り始めたばかりだった。甲羅の後ろの方に、目玉のように白いフジツボが付いていた。海ガメの手足は、陸ガメと違い、ひれのようになっている。その後ろ足をスコップのように使って、砂を掘るのである。遺伝子に刷り込まれているとは言え、器用なものだ。一通り掘り終えたところで産卵が始まった。ピンポン玉大の柔らかな卵である。ガイドが掘った観察口から覗いてみると、2、3個づつ穴の中に産み落とされていく。そのたびに、「ふーっ!」とため息に似た声を出す。声と同時に時折頭ももたげている。産卵は、やはりかなりの重労働なのだろう。最終的には、120~130個も産んだようだ。80個程のこともあるから、かなりの数を産んだことになる。
 産み終えた後は、後ろ足を使い、体重をかけるようにして穴をしっかりと固めた。その後は産卵場所を隠すカモフラージュである。両前足を頭の上に持ってきて、それから後ろに向けて砂をかくのである。ちょうど、人間の平泳ぎのようである。疲れ切るのであろう、数回繰り返しては一休み、そしてまた一かき二かきである。それも無事終え、どうにか海に向かって歩き始めたが、やはり一気にとはいかず、途中休み休みである。そうやって汀にたどりつき、数回の波に呼び寄せられるように、やがて波間に見えなくなった。
 このアカウミガメは、甲良の長さは約80cmほどで、甲羅も肌もきれいな、若いカメだった。“カメさん、お疲れさま、ありがとう!”観察会に参加したみんなが、同じ思いでいた。この感動こそ大切なのだ。きっと命の大切さ、砂浜の大切さ、自然の大切さを伝えてくれるにちがいない。いつしか時間は午前1時になっていた。
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