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アサギマダラ


昼食時、窓の外をふわりふわりと飛ぶチョウが目に入った。ちょうど秋の七草のひとつフジバカマの付近だ。とまるのかと思えば、またふわり。そしてまた、ふわり。
ちょっと小型だが、アサギマダラのようだ。フジバカマにとまる瞬間を待つこと2、3分。ギャラリーの庭にこのチョウが飛んでくるのは初めてだ。最初に出会ったのは、何年も前に韓国岳に登った時だった。もうすぐ頂上という時だ。
フジバカマにとまったアサギマダラは懸命に蜜を吸っているのか、カメラを近づけてもじっとしていた。ということで、接写で撮影。名前由来の透通ったような浅葱(アサギ)色が印象的だ。いい具合に翅も広げてくれた。
アサギマダラが飛んで来たことによって、フジバカマも意識することとなった。この時まで庭にフジバカマがあることはほとんど意識したことはなかったのだ。結構繁殖力が強そうだが、庭にあるのは園芸種。かつては日本各地の河原などにいっぱいはえていたようだが、現在環境省レッドリストでは準絶滅危惧(NT)に分類されている。秋の七草が・・・・である。
本当に日本の野山は変わりつつある。



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朽ちたツワブキの葉っぱ


超大型台風21号が列島を襲った。幸い私の住む宮崎は台風から離れていたので、衆院選の開票が2区で遅れることはあったが、被害らしき被害はなかった。でも、列島各地では被害が出たようだ。自然災害が多い昨今、人ごとではない。
ところで、翌日仕事を終えて車に向う時、足もとに落ちている一枚のツワブキの葉っぱに目がとまった。なんだか気になったのでカメラに数枚おさめて車に乗り込んだ。
そして今朝、改めて落ちているツワブキの葉を見て回った。ギャラリーの庭にはツワブキはいっぱいある。その株元には、朽ちかけ始めている葉っぱや既に朽ちたものがたくさんだ。ひとつひとつを手に取ってみると、「朽ちる世界」が見えて来る。多分たくさんの微生物が関わりあっているのだろう。そんなことが頭をよぎったが、見ていて絵画的にもおもしろいので、またパチり。







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記憶に焼き付いたモネの「睡蓮」





◎アートの島・直島
朝7時宮崎発。東九州道を約2時間、そして四国へのフェリーが出る佐賀関港まで約30分、フェリー出港まで待つこと約30分、佐賀関港から三崎港までフェリー70分、そこから佐田岬半島の尾根筋を走り抜け、更に八幡浜、大洲道路を抜けて松山道の石鎚山SAで休憩。そして高松道の善通寺で降りて、一度は行っておきたかった金刀比羅宮へ。金刀比羅宮の石段は、痛めていた足首にはちょっときつかったが無事本宮まで。そこから見える琴平の町と讃岐富士は、金比羅さんの山影とシルエットになり、箱庭のように美しかった。


金刀比羅宮本宮より

そしていざ高松へ。もう夕暮れ。昼のご飯は、おにぎりを車中で食べただけ。高松に来たからには、うどんを食べなくては・・・。なにしろ香川県は「うどん県」だ。ホテルに車を置いて高松駅近辺へ。しかし、歩けど歩けど見つかるのは閉まったうどん屋さんばかり。しかたなく、こだわり麺と銘打つラーメン店へ。だが、これが追加注文の鶏飯と共に実に美味かった。こだわり麺と言うだけはあった。怪我の功名といったところか。
翌朝、朝食もそこそこに直島(宮浦)行きのフェリーへ。8時12分発の始発フェリーだ。乗り込めば、そこはホテルロビーのように明るい客席。外国人が多い、というよりほぼ外国人というような感じ。途中、西の海上に瀬戸中央自動車道にかかる吊り橋が美しい。約50分の船旅で直島宮浦港へ着いた。港突堤では草間彌生氏の「赤かぼちゃ」が迎えてくれが、「赤かぼちゃ」は最後に訪ねることにして、直島周遊のために自転車を借りることにした。貸自転車屋さんの前にはすでにたくさんの人。それも外国人多数。順番待ちをして、アシスト付き3段ギア車を借りた。これがあれば坂道も楽ちん100%だ。直島はアートの島だ。あちこちに作品が展示してある。


「直島パヴィリオン」


モネの池

最初に港の南側に展示してある藤本壮介氏の 「直島パヴィリオン」を訪ねた。約250枚のステンレス網でつくられているという作品は、ランドマークになっている。ステンレス網だから透け透けで、内部にも入ることができる。「27の島々で構成される直島の『28番目の島』というコンセプトで、蜃気楼で海面に浮かぶように見える「浮島現象」をイメージした。」と、解説にはある。青空に透ける真っ白のステンレス作品は、巻貝のようでもあった。
そこから目指す地中美術館へ。すぐに上り坂になったが、アシスト付き自転車は大正解だ。すぐに開館前に駐輪場に着いた。少し休憩だ。次々と人が多くなり、チケット売り場へ。そしてそこからはみんな歩いて美術館へ。途中に睡蓮の池。睡蓮をはじめ、池のまわりではいろんな草花が楽しめる。ここまでは撮影可。モネの絵そのままのような池だ。門から先は撮影禁止、とても残念。

◎地中美術館

地中美術館入口

訪ねてみたかった美術館だ。建築家・安藤忠雄氏の設計だ。氏の作品はどれも自然光が美しい。自然光の空間は、時間や天気によって様々な表情を見せてくれる。
入って最初に出会う打ちっぱなしのコンクリート壁に囲まれた空間は、空が抜け、一面にトクサが植えられている。あとで思い返せば地中海的だったかもしれない。そこから迷路のような通路を通り、永久設置という3作家の作品の部屋へ。驚嘆の連続だ。中でも強く印象に残ったのは、モネの「睡蓮」の部屋。履物をスリッパに履き替えて鑑賞。部屋はとても大きく、正面に縦2m×横6mの「睡蓮」。左右の壁と背面の壁にもそれぞれ異なった「睡蓮」。天井の四辺から自然光が入り、床は真っ白な小さなタイル張り。
モネの「睡蓮」の絵は、どこだったかは忘れてしまったが美術館で何度か見ている。しかし、ここで観る「睡蓮」は格別だ。モネの「睡蓮」とはこれほどのものだったのかと思わざるをえなかった。
ウォルター・デ・マリアの作品は、大きな部屋空間ごと作品で、壁や床に金箔の木彫が置かれ、階段の踊り場中央には直径2.2mの黒い球体が配され、押せば転げ落ちるのではないかと思わせていた。天井四辺からの自然光は、時間・天候により刻々と違う表情をみせるというが、この空間はどこか西洋的・神学的な厳しさ感じた。
ジェームズ・タレルの作品は、視覚体感的だ。部屋の前の階段を上り、少し緩やかなスロープの床を前方の光の色面を観ながら前方に足を進めると、次第に違う色を感じ、さらに後ろを振り向くと、それまでとはまるで違う色を感じ、不思議な感覚を覚えた。
さて次は、順番で行けば李禹煥美術館なのだが、ちょうど巡回バスがきたので自転車は置いてそれに飛び乗り、ベネッセハウスミュージアムへと降りたった。

◎ベネッセハウスミュージアム


ベネッセハウスミュージアム入口

名前に記憶のある現代美術作家の作品が多い。世界的な作家の作品だ。よくもこんなに収集したものだと思う。 絵画、彫刻、写真、インスタレーションなどが展示されているが、どこか懐かしい感じを受ける。90年代前後の作品が多いせいかもしれない。現代の美術は日々変化し続け、特にデジタル社会に入ってからの変貌速度はすざまじい。
しかし20世紀後半、世界をリードした作品にも出会えるのはやはりうれしい。60年代のジャコメッティ「石碑の上のディエゴⅠ」、ウェッセルマン「グレイト・アメリカン・ヌード#39」、ウォーホル「フラワーズ」、70年代のホックニー「木と空が映ったプール」、80年代のラウシェンバーグ「ラン・オフ」、イヴ・クライン「青のヴイーナス」などだ。90年代の作品ではロング「瀬戸内海の流木の円」、「十五夜の石の円」などだが、肌にあったのは意外に小さかったが「青のヴイーナス」。少し毛羽立つようなクラインブルーのビーナスは今でも脳裏に焼き付いている。バンザイしているたくさんのウルトラマンとウルトラセブンが鏡に写った作品もおもしろかった。でも一番気に入ったのはガラス張りで別室(三方はコンクリート壁で空が見える部屋)になっていた安田侃氏の「天秘」という作品。この上に寝転んでもいいというだけあって、丸い大きな石のベッドという感じ。実際に寝転んでみると、石の上なのにとても気持ちいいものだった。
このミュージアムはホテルにもなっているので、入口では「おばさま」たちも賑やかだった 。

◎ベネッセハウスミュージアム屋外作品


南瓜






腰掛け

ミュージアムを堪能したあと道路に出ると、またまた巡回バスがちょうど来たので、それに飛び乗り終点のつつじ荘で下車。海辺の突堤に草間彌生氏の「南瓜」が見えたので、砂浜から歩いて向った。何人かが写真を撮っている姿がまぶしく映り、風景として撮影。近づけば一組は台湾からの家族。シャッターを押して欲しいというので押したが、ちょっと押しすぎて連写の音。これはまずいと思い、もう一枚取り直してあげた。お返しに、私もシャッターを押してもらった。小さな国際交流だ。その家族が去った後に一人の自転車の若い女性。日本一周の途中だと言う。自転車をかかえて「南瓜」の前へ。おもしろい格好だったので、こちらも「南瓜」を背景に写真を撮ってあげた。「南瓜」は誰からも好かれる作品だ。初めて観たのは大分市美術館ロビーだった。それ以来、大好きな作品のひとつだ。同じものかと思い写真を比べてみると、ヘタの部分にはっきり違いが見られ、市美術館で見た方は黄丸点が多く賑やか。本体の盛り上がりは直島の方が彫りが深くどっしりした感じ。しかし、並べてみないと分からない。いずれにしろ、どちらの「南瓜」も魅力的で人を引きつけていたことに違いなく、空、海、島々を背景にした「南瓜」はやはり印象に残った。
「南瓜」を十分楽しんだ後、芝生広場へ。ここでは思いがけずニキ・ド・サンファールの作品に出会った。ずっと観たかった作家の作品だ。まるっこいフォルムと明るい色彩がとても芝生に映え、子供の遊具のように芝生に並んでいた。そして広場の横にあるショップ入口には同氏の「腰掛」。隣りに座るのは犬ではなく山羊。ここで会った氏の作品の中では最も好きな作品なので、いっしょに写真に撮ってもらった。なんだか、ジャズの町に似合い砂雰囲気も持っていた。宮崎の風景にもきっと似合うはずだ。





「シップヤード・ワークス 船尾と穴」

もっとミュージアム方向に歩を進めると、海岸近くの野外にも何点かの作品。道路からゆっくりした法面にまっすぐ伸びた塀の上に、一人の立ったままの若い女性。どうも連れが記念の動画を撮っているようだったが、超危険行為だ。片方は数mの直立した壁。危ない危ない、やめて欲しい。塀にそって海岸の方へ降りていくと石垣の上に、今でも落ちそうな青い半球の作品。すぐそばに、ビデオを回している一人の若い女性。こちらは、連れは無し。崖のそばなので、なんとなく「月曜劇場」の様な感じ。そこを過ぎると右下の砂浜にアンテナのような作品が見えて来た。丸い穴が一面にあいている作品は、情報収集のアンテナにも見えた。すぐ側には船首らしき作品。それを見て初めて気がついた。よく見れば、アンテナに見えたものは、船尾が砂浜に突き刺さった形。両方一緒に見れば難破船をモチーフにした作品のように見えたが、別作品のようだ。
このように新たな作品に出会うことを期待しながら、李禹煥美術館まで歩くことにした。少し遠いかと思ったが、結果的には楽々OK。結構歩いている人たちも多かった。

◎李禹煥美術館





美術館前庭と芝生上の作品


入場口前のオブジェ


李禹煥(リ・ウーファン)氏の作品は何度か目にしているが、まとめて観るのは初めてだった。美術館入口の広場には、敷き詰められた砂利の上に、自然石・厚めの鉄板・18.5mの高さという六角形のコンクリート柱が緊張感を持って配してあった。そこから海へと広がる芝生にも鉄板と自然石、あるいはグニャリと曲がった太い鉄棒と自然石の作品が、芝生の緑の上で静かに対話し、緊張感を漂わせていた。
氏の作品は、どれも張りつめた空気感が漂うが、美樹館入場口に辿り着くまでは胎内めぐりのようなコンクリート壁。その途中に、コンクリート壁に素焼きの作品がひとつはめ込まれている。粘土板に指でグイッと引いただけだが、力強い指跡が印象的だ。入場券を買い求めて最初に出会うのは、三角形の大きな空間。壁はコンクリートの打ちっぱなし、上は空、下は砂利が固めてあり、そこに自然石と一端がグニュリとそり上がった厚めの鉄板が配され、ここでも自然と人工が対比され、独特の緊張感を漂わせていた。写真撮影したいが、これもだめ。しかし、OPENERSのページに作品が紹介されている。参考にされたい。そこから美術館裏口のような自動扉から館内へ。館内には、刷毛で引いた大きな作品や自然石と映像、あるいは瞑想の部屋などどれも静かな緊張感が漂っていたが、最初にであった時のように入り込めず、どこか遠くから眺めてしまっている自分がいた。李禹煥氏は、「もの派」と評された代表的な作家だ。物質文明・西洋文明が幅をきかせ、変化が早い現代にあって、精神的でもあり東洋的でもあると感じてきた。捨て置けない作家だ。美術館の設計は、ここも安藤忠雄氏。


「家プロジェクト」歯医者

さて、ここから再び自転車を置いてきた地中美術館駐輪場まで歩き。ここでも歩きの人に結構出会う。健康を兼ねて歩きが一番だ。脇見もできる。人と出会えば情報交換などいろいろ話もできる。しかし、駐輪場からはアシスト付き自転車だ。何とも楽々らくちん。ここから役場がある本町へ行くことにした。池横の道を役場がある本村まで一気だ。山道を駆け下り本通に出てしばらくすると、役場手前にさしかかる坂道に人だかり。何かと思えば「家プロジェクト」のひとつ「はいしゃ」。かつて歯科医兼住居だった建物が丸ごと作品にされていて、様々なものがスクラップされている不思議な空間だ。若い人がいっぱい。それも外国人がほとんど。自転車を止めていると、自転車を借りる時に出会った2人にばったり。多分台湾からの新婚さん。お互い少し言葉を交わしたが、求めているものは一緒のようだった。やはり美術に関心ありか・・・。

ANDO MUSEUM(安藤ミュージアム)


安藤美術館

直島には本当に安藤忠雄氏が手がけた建築物が多い。このANDO MUSEUMは、外見はどこから見ても今風の古民家。門には大きなのれん。門横の土塀には、左側に大波、右側には左から続く大波とたくさんの葉っぱを付けた大きな樹が浮き彫りされている。しかし、中に入ればコンクリート構造物の新しい現代空間。大きなコンクリート壁面は大胆この上ない。
古民家をまず解体し、それからコンクリート構造の空間をつくり、その後古民家の外装を再びほどこすという手法がとられたようだ。コンクリートの打ちっぱなしの大胆な空間と木造の古民家、巧みに取り入れられている自然光、大きくはないが、やさしさや堅さ・鋭さなどが同居する実験的な空間だった。

◎「家プロジェクト」南寺


南寺ガイドプレート

ここにきてお腹がすいた。途中で案内板を見かけた食事どころに足を向けた。そこはなんとも狭い道。人ひとりが通れる脇道。少し高台の古い民家を食事出来るように改造した今風カフェ。早い方がいいとカレーを頼んだが、これが結構美味かった。
少しゆっくりしたところで、「家プロジェクト」を覗くことに。時間が許せば全部訪ねたかったが、気になっていた「南寺」のみにした。これも安藤忠雄氏設計。人気スポットのようであり、週末とかの人が多い時は並ばないといれないようだ。人数制限、総入替制だ。しかし、この日は平日。誰も並んでいなくて人待ち・時間待ちの様子。うまいことに人数がすぐに揃い、すぐに入ることができた。中は暗闇。案内人は、そこを右側の壁づたいに歩かせ座らせた。そこは本当の真っ暗闇。この先に何があるのか。やがて・・・・。後は書くまい。ぜひ体験して欲しい暗闇だ。
いつまでも楽しみたい直島だが、やがて去る時間が近づいて来た。高松への最終フェリーは17時発。時間までにお土産も見たいので、フェリーが着いた宮浦へと引き返すことにした。本村からは少し上り坂。少し前行く外国人グループの女性は普通の自転車を懸命にこいでいた。ペダルが重そうだが、そこは若さか。峠まで私の先を走った。峠からは下り。どんな自転車も楽々らくちん。




「赤かぼちゃ」


きのこのようなイス

宮浦では自転車を返す前に、草間彌生氏の「赤かぼちゃ」を楽しむことにした。宮浦港のシンボルにもなっている作品だ。来る時には出迎え、去る時はさよならしてくれる。近くに行くと「南瓜」よりずっとと大きい。中にも入ることができる。遊園地にある置物のようでもある。すでに数人の方たちが写真を取り合っていた。ここでも若い方たちがほとんど。直島にさよならする前に、私も写真におさめた。願わくば青空であって欲しかったが、夕方が近づくにつれ雲が増していた。出かける前の天気予報は雨。直島で雨が降らないだけましだった。
フェリーが出港してからは高松港の辺りに色とりどりのネオンが目につくようになっていた。
あとは食べ損なっていたうどんを食するだけで、当初計画したスケジュールは消化。それも高松駅近くでようやく念願を果たした。翌日は小雨。朝食を済ませ、高松道・松山道・大洲道路・佐田岬半島・三崎港---佐賀関港・東九州道を経て夕闇のころ帰宅した。

アートの島・直島の一日は、錆び付き気味の頭をリフレッシュさせてくれた。そして、わが町にもこういう空間をつくりだしてみたいと思うようになった。この想いを共有してくれる人に出会いたい・・・・。
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ツチイナゴ


日当りのいい秋の野道を歩けば、よくバッタに出会う。アスファルト道の上にもいる。近づこうとすると身構え、ピョンとはねて飛び立つ。
そんな中、すくっと伸びたタチスズメノヒエにつかまり風に揺られているバッタに何匹も出会った。体長は約6cmほど。胸から伸びた後ろ足は非常に太く、関節から先にはギザギザとした棘が付いている。翅にはヒョウモンのような丸くて焦げ茶色の斑点がある。横顔はなんとなくかわいらしく、大きな目は仮面ライダーを思い起こさせた。
このバッタ、トノサマバッタとばかり思っていたが、念のため調べればこれはツチイナゴ。知っていればすぐに見分けがつくはずだったが、複眼から下に伸びる黒い線等が特徴だ。

日本のバッタ類は卵で越冬するものがほとんどようだが、ツチイナゴはライフサイクルが全くの逆、成虫で越冬するそうだ。これから少しずつ寒くなる。冬場に注意して見ておきたい。
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家老屋敷跡から出土した佐土原人形


9月30日、「佐土原城が語る歴史とこれから」の記念講演に出かけた。佐土原城発掘調査報告に合わせた講演だ。主講演に先立ち、過去の城域での調査と家老屋敷跡の発掘調査の成果が報告された。次の日は佐土原城跡発掘調査現地説明会だった。主講演と現地説明会のことは後日書いてみたい。

この講演会の関連資料として、家老屋敷跡から出土した一部がロビーに展示してあった。その中には佐土原人形も、顔(首)のみだったが展示されていた。端正な顔立ちの人形だったが、私の関心を引いたのは、展示コーナーを示すパネルに写っていた2体の佐土原人形だった。出土した人形片を丹念につなぎ合わせて復元したものだ。写真の人形は、柔らかな流れを持つフォルム、「挿し手・挿し首」、底のないことなどからまぎれもなく佐土原人形である。江戸期末期のものと考えられるが、写真右側の人形は、担当者の説明では高さ約50cmほどの人形という。ただ正確ではない。歌舞伎人形のようだが、独特な髷のスタイルから類推すれば、仁木弾正( にっきだんじょう)人形とも考えられる。仁木弾正人形とすれば、歌舞伎事典によれば、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に登場する敵役で、妖術を使いお家乗っ取りを企む大悪人で、実悪の代表例のようだ。顔を白く塗り、燕手(えんで)と呼ばれる鬘をつけるのが特徴とある。相手役人形もあったはずだが、これは出土しなかったのだろう。
それにしても、想像力を刺激する新たな人形に出会い、佐土原人形への関心がさらに増してきた。人形名やつくられた年代が特定できるなら、創成期の佐土原人形のことが少し分かってくるかもしれない。
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