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世界最大級の花・ショクダイオオコンニャク開花










これは見逃す手はない。ということで、昨日(2024.7.9)忙しい合間をぬって宮交ボタニックガーデン青島(県立青島亜熱帯植物園)へ。温室に足を踏み入れた途端、友人夫妻とばったり。まあ、お互い好奇心の塊のような者どうしだから、どこで会っても不思議はないのだが・・・。2階だよと教えられ、階段を上がると、おお、やはりでかい。8年に一度花を咲かせるという世界最大級の花・ショクダイオオコンニャクだ。高さ2mほどと思ったが、実際は2.4mもあったようだ。サトイモ科の植物で、インドネシア・スマトラ島原産。受粉に必要な虫を引き寄せるために、魚の腐ったような強烈な匂いがすると聞いていたが、微かに臭うだけで、そう悪い匂いでもなかった。花の一部が切り取られ、雄花・雌花が観察できるようになっていたが、虫はほとんど確認できなかった。熱帯現地なら、様々な昆虫が観察できたのかもしれない。
名前の由来は、ろうそくの燭台からきているようだ。なので、一度覚えてしまえば分かりやすい。それにしてもこの温室、うれしいことに無料。アンリ・ルソーの『蛇使いの女』を思いだすほどに、亜熱帯・熱帯系の植物が濃密だった。月夜にそっと足を踏み入れると、どこからか笛の音が聞こえてくるのかもしれない。
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飫肥の大クスと弥五郎様






威風堂々の大クスに出会った。大クスというより巨大クスと言った方が良さそうなほど、堂々としていた。「串間原発」反対行動や日々の原発反対行動で共にした、仲間の告別式に出かけた帰りのことだ。ちょうど正月三が日は、「弥五郎様」が日南市飫肥の田ノ上八幡神社におられると、友人が案内していたので、寄ってみた時のことだ。
「みやざき新巨樹100選」のクスノキだ。案内板には、樹高30m・幹周り9.2m(平成4)とあり、市天然記念物にも指定されている。飫肥と言えば、日向の小京都と言われるほど、きれいに整備された城下町だ。その北東、鬼門の方角に田ノ上八幡神社はあった。駐車場に車を止めて、急な階段へ向かうと目の前に現れたのが、この大クス。天正16年(1588)、初代藩主となる伊東祐兵(すけたけ)が、伊東家再興の記念として手植えしたと伝えられているようだ。だとすれば、推定樹齢435年ほどだ。だが、ちょうど居合わせた宮司の話では、植えられた時、既に少し大きかったのではないかとも・・・。飫肥に行く機会があれば、見逃す手はない。





そして、「弥五郎様」だ。階段を上ると、神社の前に立っておわした。なぜか、「立っておわした」と言いたくなる。高さ7mの巨大な人形だ。なぜここにあるかと言うと、伝説では、「稲積弥五郎」なる巨人が八幡様の御神体を背負ってこの地にやってきたからだという。宮崎県山之口町や鹿児島県大隅町にも「弥五郎様」人形はあるが、山之口町が長男、大隅町が次男、飫肥にあるのが三男という。ただ、そういう説だ。同一人物と言うことだってありそうだ。それにしても、赤面に茶色いひげで白い烏帽子をかぶり、紫色の着物を来て赤い袴、そして左手に太刀、右手に大きな槍を持ち、金色の目で睨みをきかす姿は、大クス同様、威風堂々としていた。
尚、わが地の集落名も同じ「田ノ上」。何かしらの縁を感じて、宮司に「田ノ上」の由来を尋ねてみた。しかし、当時周りが田んぼだったからではないかというくらいで、詳細は不明ということだった。
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この夏一押し、ハスの花










早朝、巨田池(こたいけ)に出かけた。宮崎市佐土原町にある「鴨の越網猟」で知られる所だ。池を囲む雑木林からは、ハトの鳴き声やコジュケイの「チョットコイ、チョットコイ」の鳴き声が聞こえてくる。そして、池の中からは「ヴォーン、ヴォーン」と野太い声。姿は見えないが、ウシガエルだ。
昨年は、全く駄目だったのに、今年の巨田池は見事だ。池一面にハスの花が咲き乱れている。早朝なので私一人。深い緑の葉っぱの上には、ぱっと開いた花、これから開こうとする花、もう花弁を落とした花など伸びやかだ。
岸辺に近い花びらを撮影していると、ブンブンと飛び回るミツバチに気がついた。我先に花の真ん中に向かい、蜜を集めている。よく見ると、この花ばかりではない。あちらでもこちらでもミツバチ が飛び回っていた。と、ここで正面に尾鈴山が見えることにも気がついた。ある知り合いは、子供の頃、ずっと富士山と思っていたという山だ。富士山には足元にも及ばないが、瀑布群は国の名勝だ。
今朝は、ゆっくり時間をかけて五感を研ぎ澄ましたおかげで、いろいろと発見の朝であった。今年の巨田池、一押しだ。
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目の前で歩き回るヒクイナ




あれほど用心深い鳥なのに、3、4m先に見つけた。わずかに水が湧き出る湿地を歩き回っていた。ヒクイナだ。普段ならカメラを取り出す間もなく、隠れてしまうのに、今日はバッチリ。とはいえ、こちらは身動き不可を強いられた2、3分。
このヒクイナ、三夏(さんか)の季語だ。三夏とは、爽やかな暑さの初夏、梅雨どきの蒸し暑さの仲夏、炎暑の晩夏のことだ。まだ、初夏でもないが、この鳥に出会ってちょっぴり嬉しくなった。自然がどんどん遠ざかる中で、足下にまだ少し生態系が確保された自然が残っていたのだろう。
ヒクイナは環境省レッドリストでは、準絶滅危惧(NT)に分類されている。準絶滅危惧(NT)とは、現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種ということだ。意識して自然環境を守っていかなければ、すぐに絶滅危惧種になってしまうだろう。
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イカタケ




これはいったい何者? まるで映画に出てくるほかの星からのインベーダー? ちょうど10年前の今頃のことだ。雨が数日降り続いた後、垣根の脇の籾殻がたまった場所に、イソギンチャクみたいな白い物体が6、7個。その脇にはウズラの卵みたい白いものもあった。ひょっとするとヘビの卵・・・? だがこれから寒くなる季節、ヘビが生まれるはずはない。そんなことを思いながら、卵状のものに長靴の底でそっと触れてみた。ツルッと薄皮がむける。見なければよかったと思うほど気持ちが悪かった。まるで、映画『エイリアン』のサナギのごとしなのだ。
ひょとするとこれは毒キノコ? ということでネット検索してみた。その結果、これに間違いなしと行き着いたのが「イカタケ」。触手のような物の真ん中には、どろっとした黒っぽい部分がある。まるで腐ったチョコレートみたいで、きつい臭いもある。だが、人にはひどい臭いでも、これこそイカタケの生存戦略。この臭いでハエ等を引きつけ、胞子を運ばせるようだ。どこで身につけたか、イカタケの生存戦略侮るなかれだ。だが、それ以降、見たことない。
このイカタケ、調べてみると京都府レッドデータブックでは、「絶滅寸前種」である。籾殻などに発生するようだ。そういえば、その年は福島第一原発事故が起きた年だった。情報収集や集会などに追われ、籾乾燥後、排塵籾殻をそのままにしておいたのだ。そこに生えたのだった。正体が分かってしまえば、気持ち悪さはなくなり、その希少性ゆえ、愛おしさへと変化した。
その後、地元紙記者が県博物館のキノコ博士を連れて取材。宮崎県では約30年ぶりの発見だということで、博士は自分用と国への報告用ということで2体持ち帰った。このイカタケについては、小さな記事だったが、新聞にも写真付きで掲載された。それを見た東京の某局関係者がカメラ持参で取材。有名人が食べる企画もあったが、その時期には、もう萎れてこの企画はオジャンとなった。だが、黒木秀一著『宮崎のきのこ』(鉱脈社)には、写真と文が掲載されている。
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河川敷の大クス


ある時、管内の土木事務所が、河川敷内にある田畑や山林を測量することになった。河川敷に民有地があることなど不思議に思われるかもしれないが、これは元々あった田畑や山林を横切って堤防が築かれたためだ。堤防が築かれたのは昭和9年頃のこと。それまでは堤防がなかったため、わが集落では台風や大雨で、田畑に限らず家屋なども被害を受けたことがあったようだ。現在堤防の内側にある地区の神社も、堤防をつくった時、河川敷から皆で引いて移設したそうだ。
ところで、今回の測量は堤防を補強するためだ。幅を広げ、高さもわずかに高くなるという。説明会も測量も順調に進んだ。私も自分名義の畑や山林もあるので、現地確認のために何回か立ち合あった。その結果である。よそのものと思っていた大きなクスノキが、わが所有のものと分かった。結構大きなクスノキだ。紐を回して測ってみれば、おおよそだが、胸高周囲約370cmもあった。環境省の巨樹の定義では、地上130㎝の幹周りが300㎝以上の木としているので、私は巨樹持ちということになった。私の代では切るつもりはないので、次に引き継いでいくことになる。いつの日か、わが家の宝、いや地域の宝になってくれればいいいなと思う。
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砂浜無残!

むき出しになったサンドパップ(5月)


5月も半ばを過ぎるとアカウミガメの産卵シーズンになる。以前、産卵観察会を呼びかけていたこともあり、シーズンがくると浜の状態が気になる。ということで、先日浜に出かけた。産卵観察会をやっていたのは宮崎海岸の北部、一ツ瀬川と石崎川間の垂直護岸の部分を除く約2kmの区間だ。かつては、一晩に5頭のカメに出会ったこともある海岸だ。

まず一ツ瀬川の河口へ。地元言葉では二ツ立浜(ふたったてんはま)だ。浜では1組の家族連れと4人ほどの女子中学生グループが談笑中。その賑わいを耳にしながら浜を見渡せば、なんとか産卵できそうな場所が200mほど。だがまだ上陸の痕跡なし。なので、海岸に並行する道路に引き返し、KDDIマイクロ波通信タワー前の大炊田浜(おいだんはま)へ。ちょうど両河川の中間あたりだ。松林を抜けるとクルーザータイプの車が3台。サーファーの車だ。砂浜が広がっているのではと期待を持って砂浜へでると、あゝ無残。見えるは砂浜復元のために埋められた巨大なサンドパックが延々と剥き出し状態。これではアカウミガメは上陸できない。サンドパックの大きさは、一つが幅4.3m・高さ1.5m・長さ20mもある巨大なものだ。人間だって危険だ。それがずっと先まで剥き出しなのだ。1月初めに来た時も同様の状態だったので心配はしていたが、これではとてもダメ。産卵できそうな場所はまるでなし。少しでも可能性を求めて石崎川方向に足をのばしてみると、河口手前に何とか上陸できそうな場所が200mほど。そして嬉しいことに、すでに1頭上陸した様子の足跡。今シーズン、一ツ瀬川と石崎川の間で産卵出来そうなのは、そういうわずかな場所だ。

宮崎海岸の沖には黒潮が南から北へ流れている。しかし、沿岸部の流れは、反対に北から南だ。その流れに棹差して防波堤などをつくれば、ある所は侵食され、ある所には砂が溜まる。河川からの土砂の供給も、ダムやコンクリート護岸などで減っている。そういう中で、かつては幅100mもあった砂浜に防波堤や護岸などの人工物を作り続けてきた結果が今の姿だ。巨大なサンドパックを埋めたり、他所から土砂などを持ってくる養浜(ようひん)などが続けられているが、延々と金をつぎ込まなければならない負のスパイラルに陥っているように思う。






1月初めの海岸(上の3枚)


サンドパック工法の看板
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雄大な渓谷美「三之宮峡」

高さ30mを超える「びょうぶ岩」





飼料イネの準備を前に、思い立って小林市にある三之宮峡に行ってきた。ずっと以前に行ったような気もしていたが、記憶はほぼ真っ白。途中の道に少し見覚えがあったが、近くになるにつれ、全く記憶から抜け落ちていた。駐車場に着く数百メートルは、道幅が狭く車1台が通行できる幅。所々にすれ違いできるように広めの部分もあったが、ちょっと要注意。駐車場もガードレールはなく、バック駐車で運転をあやまれば、下の広場に真っ逆さま。というように少し不安だったが、コロナ禍のせいか駐車の車は全くなく、まずまずゆったり駐車。
さて遊歩道。すぐに道の横に複数のマムシグサが迎えてくれた。この仲間には、ムサシアブミやウラシマソウなどあるが、どうもこの手のものは苦手だ。いきなりこれなので気持ちは少し湿り気味。だがこのマムシグサ、よくよくみれば紫の仏炎苞の縦縞がなんだかスッキリしていて魅力的。マムシグサの仏炎苞は、紫のほかにも若草色のものもあった。両方とも清々しい。

 
縦縞が清々しいマムシグサ


入ると電気がパッと点くトンネル



三之宮峡は、約34万年前の加久藤カルデラ超巨大噴火の火砕流でできた溶結凝灰岩が浸食されてできた渓谷だ。遊歩道はかつてのトロッコ道の跡だという。約1kmの遊歩道に長短11のトンネルがある。長めのトンネルに入っていくと、検知器が作動して天井に取り付けてある電球がパッと点いた。ただ、工事現場の裸電球みたいなもので、一人だとちょっと怖いかもしれない。壁と天井はゴツゴツした岩肌がそのままだった。
トンネルを抜け歩みを進めるにつれ、遊歩道対岸の岩壁に目を見張った。岩壁の上には、木々の新芽が美しく、押しに押されぬ渓谷美を形作っているのだ。私が最も目を見張ったのは、高さ30mを超えるという「びょうぶ岩」。来たかいがあった。このほか、「残したい日本の音風景百選」の一つである「櫓の轟」や、水の浸食によって造られた「千畳岩」、河童伝説の残る50畳敷という「カッパ洞」などがあり、雄大な渓谷美と守るべき植生に出会える場所だった。
以前、多くの観光客が訪れた「陰陽石」からすぐ先だ。霧島ジオサイトのひとつにもなっているから、整備と宣伝が行き届けば、指折りの渓谷になること間違いない。行ってみるべし。
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桜・サクラ・さくら・・・





桜と菜の花の競演(西都原公園)


早期水稲の田植えが終わり、後片付けも済ませた先日、西都原に花見に出掛けた。我が家からは車で15分ほどの所。西都原には古墳がいっぱいある。広々した台地に円墳や前方後円墳などが当時の姿に近い形で残る国の特別史跡だ。紀元5世紀ごろが最盛期で、319基の古墳があるそうだ。

ところで今回は桜の花見。家を出る時は、遠くの山々が霞んで見えた。黄砂だ。空は雲ひとつないのに、なんだか薄曇りのような感じ。この分では桜もだめかと思いながら、西都原へと車を走らせた。月曜日かつ新型コロナのこともあるので人は少ないだろうと思っていたが、あに図らんや駐車場には車がいっぱい。桜並木の下にも人が結構歩いていた。桜は満開前の一番いい頃。その上、黄色い菜の花と相まって綺麗この上ない。「2,000本の桜と30万本の菜の花の競演」が謳い文句だが、正にその通りの感じだった。
ただ人が多いと言っても、元々人口の少ない宮崎県のこと。桜の下を歩く人の数も程よい感じだった。コロナのせいで出かけることが少なくなっているが、家ばかりにいると息が詰まる。たまには外の空気を吸いに家を出てみるべきだろう。でも、コロナ感染にはしっかり注意した上でだが。
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トビ


このところちっとも筆が進まない。新型コロナ感染防止のせいであちこちに出かけられないせいか、それとも日頃あまり読まなかった小説を読みあさったたせいか・・・・?。
立春が過ぎても朝晩の寒さは残るが、田んぼのまわりでは野焼きした後にツクシも出始めた。本格的な春はすぐそこのようだ。ということで久しぶりに筆をとることにした。

トビについて書いておきたい。と言ってもたいしたことではない。ネットで検索すればたくさんのことが分かるはずだ。
トビの俗称はトンビだ。こちらの方がなじみやすいかもしれない。日本全国どこでも見ることができる大型の鳥だ。それ故、だれでも一度ならず目にしているはずだ。わが家周辺でもいつでも姿を見ることができる。田んぼ周辺では最も大きく、代表的な猛禽類だ。食べ物はカエルやヘビやネズミのほか、死んだ動物を食べたりするようだ。一度は20〜30cmの死んだ魚を数羽のトビがつついているのを見かけたことがある。
羽を広げれば1.6mほどにもなる。尾は三味線のバチのようにきれいな三角をしている。鳴き声はピーヒョロロと澄みきった声だ。色は鳶色と言われる濃い茶色だが、下から見上げると羽の先端近くに白い部分があり印象的だ。電柱の上から目をひからせていることもあるし、畔や畑でじっとしていることもある。カラスからちょっかいを受けながら逃げ回っていることもあるし、たくさんのトビが気流をつかまえて鷹柱をつくりぐるぐると回っていることもある。それでも最もトビらしく感じるのは、青い空を背景にゆっくり大きな輪を描いている時だ。上空から獲物を探しているのだろうが、羽を大きく広げ、羽ばたくことなく、時折尾を左右に揺らせながらゆっくりと飛ぶ様は優雅にも見える。気流をつかまえる名人だ。

冬場には枯れ木などにたくさんのトビが集まっていることもある。この冬に見たのは枯れ木に10羽ほどだが、20年ほど前には30羽ほどが骨だけになったビニールハウスに集まっているのを見かけた。何のために集まっていたのか分からないが、情報交換の場かだったのかあるいは気に入った相手を捜すためだったのか・・・。近くから見ると何か威厳みたいなものを感じ圧巻だった。
今日も晴れ渡った空にゆったりと大きな輪が描かれている。春だ!
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