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庭はもう春手前



ニシキギ

仕事場に来る前、庭のニシキギが目に入った。世界三大紅葉樹のひとつだ。秋の紅葉は本当に真っ赤で美しい。その紅葉を楽しむために植えているのだが、冬は枯枝のごとしだ。しかし、今日になり突然緑が目についた。
宮崎も今年は寒い。ニシキギ脇の水がめも一日中氷が張ったままだ。それでも確実に春は近づいているようだ。梅もほころび始めた。門柱脇の梅の木は、毎年大きな実を付けるので重宝していたのだが、2年前の収穫時に幹がポッキリ。直径15cmほどもあったので大丈夫と思い足をかけたのだが、中心部が腐っていたため2mほどの高さから仰向けに落下してしまった。私の方は大事には至らず。しかし、梅の方は折れた部分から上は切除という大手術。昨年1年間のお休み期間を経て、ようやく花がほころび始めた。
そして、片隅のツワブキの花。年末までは黄色い花にミツバチが飛び回っていたが、もう次の世代を残すべく色も褪せ綿毛模様。すでにどこかに旅立った綿毛もあるようだ。植物の生命力はすごい。



梅の花




ツワブキ
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いかんて


「いかんて」と言えば、他所では中々分からないかもしれない。わが所の方言だ。写真を見れば分かるとおり、大根をスライスし、それを包丁でイカの足のように数本の切れ目を入れて干したものだ。「イカん手」と書けば分かりやすいかもしれない。ヒモにぶら下げ、燦々と降り注ぐ太陽のもとで西からの季節風にさらすと、旨味が凝縮、酢漬けや煮付けとして楽しめる。
今朝、仕事場に来る前に千切り(切り干し大根)と共に、ヒモにぶら下げてきた。私のは自家用だから被害というほどのことはなかったが、千切り農家は去年の長雨と台風にたたられ苦戦しているようだ。数回種を蒔き直す農家もあったと聞く。仕事場に来る途中の大根畑も例年の1〜2割の出来のようだった。私も1回目はダメで、2回目の蒔き直しで、どうにか例年の大きさに育ってくれた。しかし、少し遅れて蒔いた米良大根(伝統的大根)は小振りだ。
畑仕事は、お天道様の機嫌もうかがいながらだが、それはそれで奥深さも感じ、また楽しみでもある。
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残念至極、見ずじまいの夜光雲


1月18日夜明け前、内之浦からイプシロンロケットが打ち上げられた。
まだ布団の中で目覚めたばかりだった。窓の外から「ほら、すごいよ!」という声。何か分からないまま布団を飛び出し、玄関を開けると南の空にオレンジの光。反射的にロケット打ち上げとわかり、カメラを取りに部屋の中に。あれこれ操作する間もなくとりあえずシャッターをきったのが上の写真。即ちピンボケ。
いつもならロケット発射5分ほど前にタイマーをセットしたりして心待ちなのだが、雑用に追われイプシロン打ち上げのこと等すっかり忘れてしまっていた。

そう、種子島や内之浦から打ち上げられるロケットの軌跡はわが家からでも見えるのだ。昼間でも夜でもである。昼間はロケットの煙が空高く登るし、夜はオレンジの炎が弧を描く。今まで見た中では、今回のものが最もきれいだった。

この日はそのことが色々と話題になった。「今日のは今までで一番きれいだったよ」と私。「もう、あの世みたいにきれいだった。」などと初めて見た人。不思議なことを言うものだと思っていたが、夕方のTVニュースで、私がみたものとは違うものがあったことを知った。ロケットの炎そのものではなく、ロケットの打ち上げで「夜光雲」が発生したのだった。ロケットの炎が南の空に消えたので私はそれで終わりと思い、コタツにもぐり込んだので見ずじまい。残念至極、後の祭りだ。でも、この日のイプシロン打ち上げは、今までで最もきれいに見えたのだった。それだけでも良しとしよう。

イプシロンに搭載された高性能小型レーダ衛星(ASNARO-2) は、地表にある1mのものまで識別可能という。悪いことには使ってほしくない。
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年賀状2018


今年もかわらず年賀状を頂いた。メールとかLINE等での年賀もいいが、年明けに年賀状を頂くのはいい。元旦午前中の早い時間、郵便受けには輪ゴムにとめられた年賀状が届いていた。
家族の写真や干支の「戌」のイラストなどの片隅に近況が添えられ、読むたびにそれぞれの顔が浮かんだ。そういうものに混じり、丹念に手描きされたものや半立体的な大作まである。小さなメールアート展のようだ。そのため、これはと思うものはここに掲載して残しておくことにした。来年はどういう年賀状か届くのか・・・。











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たかが佐土原人形、されど・・・。

曽我十郎(寿曽我対面)

昨日から新春「土人形展」を開いている。中心に企画したのは、郷土が生んだ土人形=佐土原人形だ。 佐土原人形は、一説には約400年前から佐土原町(宮崎市)に伝わる素焼きに絵の具で彩色された土人形だ。
一般によく知られているのは、「まんじゅう喰い」と「内裏雛」だが、佐土原人形にはたくさんの種類がある。大きくは縁起人形、節句人形、わらべ人形、風俗人形、歌舞伎人形に分類される。それらはどれも、佐土原近郷を中心に愛されたもので、どこか温かで素朴で、懐かしさを感じさせる。この点は、全国どこの産地のものでも同様だ。しかし、佐土原人形で特出しているのは歌舞伎人形だ。地域で盛んだった歌舞伎芝居を背景に生まれた人形である。大胆なデフォルメや伸びやかな色彩、筆遣いは、全国屈指と言っても過言ではないだろう。もちろん、それらは、土人形の全盛期だった江戸末期から明治、大正、昭和前期のものだ。
美術界では評価の対象にはされてこなかったが、一部の画家などには絵の重要なモチーフにもなってきた。浮世絵は平面だが、土人形は立体だ。庶民の中で生まれ愛された点で言えば、浮世絵と同じだ。浮世絵は、モネやゴッホなど印象派・後期印象派の画家達に強い影響を与えた。色彩の豊かさ・彩やかさに加え、構図や形の巧みさ・独創性などを評価したのだった。そういう眼で見れば、浮世絵の立体版と言っていいのではないだろうか。
ここ十数年、機会ある毎に古い佐土原人形を見せていただく機会があった。すぐれた人形は、県外に流出したものが多いが、家庭で大事に残されてきたものも少なからずあった。郷土はもちろんだが、美術界などでも、もう少し見直しが必要なのではないかと思う。


まんじゅう喰い


高砂人形(翁)


寿三番叟


塩谷判官(仮名手本忠臣蔵)


戸無瀬(となせ)(仮名手本忠臣蔵)


いがみの権太(義経千本桜)


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1年の始まり


元日は毎年地区の神社から始まる。初日が昇る時間に合わせ、各戸から1人出席して地区の安泰と五穀豊穣を願うのが習わしだ。
初日が昇るのは午前7時頃。早めに着いたはずなのに、神社前はもう軽トラックが何台も並んでいた。夜明け前の写真をとっておきたかったので、立ち止まって1枚パチり。今年最初の写真だ。
次に撮ったのは、境内でたき火にあたる風景。初日を臨みながらのたき火だ。そのまわりでは、お湯のみに焼酎や金粉入り日本酒が回される。普段は焼酎ばかりの地域だが、正月だけは日本酒も少し飲まれる。しかし、私は普段から飲まないので形だけ。もちろん軽トラックの人も御法度だ。
つまみは干し魚とスルメだけだったが、ひとしきり話の花が咲いた。家に帰ると、家族と雑煮。こうして、今年1年が始まった。

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