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藍と柿渋の展示会


雑事に追われ、なかなか染めの仕事ができない。でも今年に入って雑事の合間をぬって、幾つかの作品を制作することができた。タペストリーを兼ねた麻ののれんもあるため、本当は夏を迎える前に展示会を開きたかったのだが、夏の終わりの開催となった。
作品の配置(展示)を考え始めたのは、開催日間近。大方のイメージは考えていたが、会場に作品を持込んでみると、思い描いたイメージどおりにいかない部分も出て来る。そんな時は作品の取り替えだ。放っておいたものが日の目を見ることもある。そうやって、開催に間に合わせた。
展示会場に足を運ぶことが可能な方は、是非とも来ていただき批評していただきたい。但し会場のギャラリー野の苑は、宮崎市佐土原町だ。
明日8月31日(木)〜9月11日(月)まで/火・水はお休み/写真はいづれも部分。















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鬼塚良昭作品展


鬼塚良昭作品展に出かけた。会場は西都市にある「まちなかギャラリー夢たまご」。朝も早い時分だったが、既に5、6人がみえていた。
氏は、宮崎市高岡町に「ギャラリー鬼楽」を構えている彫刻家だ。時には石に挑み、また木に挑んだ力強い作品を見てきた。例えば螺旋状に絡み合った木彫だったり、あるいは生き物に見える石彫だったり・・・。どれもそれなりに大きい作品だった。
今回もそのような作品かと思いきや、今回はちょっと違った。氏が木を刻んだというより、木や木の根っこが「このように作って」と、氏を動かした感じ。根っこが何本もの足を持つ不思議な動物に変身して、何かを語りかけていたり、輪切りにされた木片がころがり、「拾って」と呼びかけていたり、という感じ。竹もそうだ。捨てられる運命にあった十数本の竹が無造作に並べて敷かれ、その上に竹で編んだしょうけ籠や小さな螺旋や曲がりくねった小さな木の作品は、まるで竹やぶの中の不思議な生き物のよう。そう、今回の作品は、私たちの身の回りにいる生き物の世界そのものの感じ。氏は本物の自然が好きだ。そういう自然と無心に遊んだ日常が、そのまま作品となり、何かを語りかけているようだった。















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巨田池のハス(宮崎市佐土原町)


なかなかハスの花にお目にかかれない。そんな中、ひと月ほど前テレビで巨田池(こたいけ)のハスを紹介していたので出かけた。ということで、7月末の稲刈り前のことだ。
巨田池は「鴨の越網」でよく知られたところ。「鴨の越網」とは、鴨の生態を利用した伝統的な鴨猟だ。とはいえ、どこでも行われている分けではなく全国でもたった2カ所とか。
冬の日中に巨田池に行くと、たくさんの鴨が羽を休めている。それが夕方になると餌を求めて池を飛び立つ。その飛び立つ鴨を、池のまわりの森の切り取られた一角で待ち、網を投げて獲るという忍耐を必要とする猟だ。佐土原島津藩の武士の鍛錬のために行われ始めたと言われ、約400年以上も続いているという。一度食べさせてもらったが、鉄砲で討たれたのと違い、生きたまま捕獲された鴨だったので最高だった。
その巨田池、夏場はハスの花が見れるというのだ。7月が見頃のようだ。田んぼ道もあるので軽トラックで出かけた。池の堤脇を通り、池脇の駐車スペースへ。駐車スペースへ行くまでに、山道のような少し狭い道があり、こういう時は軽トラが便利だ。加えて大正解と思ったのは、高い場所から見た方がいいため荷台に登って眺めたとき。荷台が見物台に早代わりだ。遠くまでよく見えた。ここのハスは紅蓮系統のピンク色だが、池を囲む木々の緑は、よりいっそう花の色を引き立たせていた。今年行ったのは午前も遅い頃。時間が違えば、また違う咲き方なのだろう。来年は早朝に出かけてみようと思う。

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小川の生き物調査


昨日は、一ツ瀬川の支流・天神川の生き物調査に参加した。対象は地区の子供会、主催は環境保全会。

江戸時代前期に描かれた絵地図を見れば、現在の天神川の方が本流。時代が変われば流れも変わる。自然に変わることもあれば、人工的に変わることもある。現在の天神川は、数年前の“ほ場整備”に伴い人工的に少し北側に移され、直線的になった。同時に、河川の横に水辺公園も作られた。当初は、川も公園もどうなることかと心配したが、現在は昔ながらの環境にもどってきつつある。

さて、子供たちの生き物調査。まず、講師より説明を受け、みんなで公園を一回り。しかし、始まった途端に急な小雨。天気予報は晴れなのに異常気象の現れかと気を揉んだが、幸い途中までであとは晴れ。よかった。
水辺公園ではシオカラトンボ、ウスバキトンボの他にギンヤンマもゆっくり飛んできた。ヤンマを釣り糸の先に付けてゆっくり回せば、別のヤンマを捕まえることが出来たが、これは昔の話。現在の子供で、そのような経験者はまず皆無だ。イトトンボもいるはずなのに、今回は暑いためか見ることができず、代わりにひらひらと飛んでいたのはチョウトンボ。ここでは初めてだが、聞けば、あちこちで増え始めてるという。水中にはカナダモが目につく中、マコモやヒメガマの脇にはコウホネ、トチカガミ、ヒシもあった。ヒシの実は角のような棘があるが、茹でて食べれば栗のような味がしてうまい。水に浮かんでいるヒシはなつかしい思い出がいっぱいだが、子供たちはこれも知らず。この他に、繁殖力が強いボタンウキクサも部分的に出始めていたため少し注意が必要だ。
さて、本番の天神川の生き物調査。歩いて川辺へ移動。川のまわりは、ヨシとオギが生い茂り昔ながらの風景。前日の急な大雨にもかかわらず、ほとんど水位は変わらず10〜20cmほどしかない深さ。底は砂地のため、ぬかることもなし。だが、ほとんどの子供たちは川へ入る時しばらく躊躇。これは、日頃から川に親しんでいない証拠か。「川に行くと危ない」と教えられてきたためだろう。でも、一人が入ると続けて入り始めた。まるでペンギンの巣立ちの様。入ってしまえば、そこは遊びの天才たちだ。早速あちこちをアミですくい始めた。ところがだ。闇雲にすくうばかりなのだ。知っている者からすれば、「そんな所をすくっても魚はいないよ!」というような所ばかりすくっている。生き物は、ほとんどが川の岸辺の草の根が伸びていたりする所や石ころの下などだが知らなかったようだ。ここでも日頃から川に親しんでいない姿が露呈。それでも、講師などの教えで、草の下をすくったりして小魚やモクズガニを見つけては大喜びとなった。みんなで川に入ってみるだけでもいい経験だ。行っていい所と行ってはいけない危ない所、やってはいけないことなど身を持って覚えることこそ大切だ。ひとしきり川でアミを出した後、田んぼのあぜ道を通って公園脇のU字溝へ。幅30cmほどのU字溝なのだが、上手の方は水が湧き出る所で、水も年中きれいで豊富。その上アシの根が入り込むため、ここは生き物の宝庫。言わば小さな宝箱。子供たちがアミをすけてみると小エビが入ったりして狂喜。U字溝のアシの根を上げると、ニホンウナギの大きな尻尾。しかし、するりと逃げた。子供たちにアミをすけさせ追い込んでみたがどこへ消えたやら・・・。逃げた魚は、やはり大きかった。
最後は公園に帰り、観察した生き物を確認。約30種。天神川には昔ながらの生き物が沢山いることを確認し解散した。


おっ、ウナギじゃ!
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だんじり喧嘩(宮崎市佐土原町)


ここはかつての日向の国の中心地・佐土原(さどわら)。城下町だったが明治のはじめにお城を他所に移す転城を決行。そのため城下町の痕跡はほとんどなくなっているが、武士達がいなくなった分、商人町へと大変貌。たいそうにぎわう町になったが、それも昭和の初めまで。今はどこでもある田舎町だ。だが、伝わる祭りはどこより多い。
一番の祭りは佐土原夏祭りだろうか。毎年7月末に行われる。その中で約120年前から続いているのが、岸和田から伝わったというだんじり喧嘩。若い男衆が青団・赤団に別れ、みこし風の大太鼓が乗っただんじりをかついで、ひっくり返そうとぶつけ合う行事だ。だんじりの重さは約1トン。「サッサーイ」のかけ声の中、“ドデドン、ドデドン”とたたき続けられる大太鼓が勇ましい。

今年はてっきり青団が勝つものと思っていた。ぶつけあう前に並んだ姿は、青団の先頭に並ぶ者たちは、まるでどこかの国のラグビーチームのごとし。やってみなければ分からない。互角に組み合い、押し合いぶつけ合うこと約10分余り。観客席からも、「赤イケー、青頑張れー」と絶叫の応援が飛ぶ中、最後は赤団が青団のだんじりをひっくり返してしまった。たった10分ほどだったが、力の入ったぶつけ合いは長い長い10分でもあった。
あっという間に終る時もあるし、延々と続く時もあるが、今年のだんじり喧嘩は今までで最高におもしろかった。観客は老若男女、子どもからお年寄りまで多数。バスでの観戦もあった。来年は青団が雪辱を果たすべく、新たな作戦をねってくるだろう。青団も赤団も頑張れー!













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平和公園・爆心地公園(長崎)


お盆前、平和公園に出かけた。昨年も訪ねたが、その時は原爆資料館を見学したため、平和祈念像の前で友人等と記念写真を撮っただけだった。そのため、今年は少し歩いてみた。公園石畳が切れた所で遺構らしきものに目がとまった。上空から見れば放射状にレンガが並ぶ不思議な配置だ。遊歩道の案内板を見てはじめて、ここが刑務所跡地だと分かり一挙に想像がふくらんだ。収監されていた人は・・・・、刑務所の建物は・・・・、原爆の落ちたところは・・・・。平和公園は、原爆当時刑務所だったのだ。一番北に平和祈念像ということになる。遺構のすぐ南隣には平和の泉。それを背景に外国からの訪問者がカメラを構えていた。噴水にはちょうど虹がかかり正面石碑には次のように刻んであった。

のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

―あの日のある少女の手記から―


石碑の向こうには平和祈念像が見える。そこを背にすれば、泉の両側とその先の遊歩道には世界各地から贈られた彫像の数々。それらを見ながら爆心地公園まで行ってみることにした。微かな記憶ではメタセコイアの木と爆心地を示す塔が頭に残っていた。平和公園からは長いエスカレーターで下った。降りた所は松山町防空壕群。崖を利用し町民の待避所として作られた横穴式防空壕だったそうだが、爆心地はすぐそこだ。ここでは奇跡的にひとりの少女が助かったというが、被爆後の写真では防空壕前の民家は全壊・全焼している。ここは地獄の中の地獄だったに違いなく、少女が助かったのは奇跡中の奇跡だろう。
横断歩道を渡ると、記憶通りメタセコイアの並木。爆心地公園の入口は緩やかなカーブとスロープ。公園に入れば、左手に爆心地を示す原爆落下中心の碑。この上空500mで原子爆弾が爆発したのだ。まわりにはここが爆心地と分かるようにいくつもの同心円が囲んでいた。傍らにはまた別の石塔。これは原爆で倒壊した浦上天主堂壁の一部を移設したものという。両塔とも、真夏の強い日差しを浴びてあの日を思い起こさせるように建っていた。
公園の脇には小さな川が流れ、階段を川岸へ降りると、原爆当時の地層がそのままに見ることができる設備。溶けたガラスや破砕された瓦、食器、やっとこなど埋まったままだ。目を移せば、川の向こうに平和を求める大きなカラフルな絵が何枚もかけられ、水面に揺らいでいた。整備された川や護岸にまどわされ、その時は気付かなかったが、ここはたくさんの人が水を求めて折り重なったに違いなかった。

少しだけだろうが、「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」をわが心に刻んだ一日だった。



刑務所跡地の遺構と案内板



平和の泉



平和の泉脇の彫像・モニュメント


松山町防空壕群説明板


原爆落下中心の碑


移設された浦上天主堂壁の一部


ガラスや食器が埋まったままの当時の地層


下の川法面にかかる平和の絵
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「綾の照葉樹林」巨樹探訪(2017.7.24)


綾の照葉樹林にこれほど多いとは思わなかった。ヤマヒルのことだ。以前、ズボンの上からもぐり込まれそうになったことはあるが、今回は条件が整っていたのだろうか、前を歩く人のふくらはぎ辺りに噛み付こうとしていたり、くるぶし付近に取り付かれて出血した人もいた。私に取り付いたのは2匹。いずれも発見は早く大事には至らなかった。
参加者に、山仕事を始めた女性がいて、「ヤマヒルが人をかぎつかるのは、振動や熱の他二酸化炭素などによってと言われます。一番最初の人には取り付かないそうです。」と言う。今回のコースは、渓流に近く湿気を含んだ枯葉が多かったからかもしれないが、シカの増加と符合する研究もあるようだ。シカやカモシカの蹄にヤマヒルが寄生するのが理由のようだ。そういえば、姿は見えなかったが、すぐ近くで甲高い鳴き声が聞こえた。警戒の鳴き声だ。シカやカモシカだけでなく、人の移動もヤマヒルの生息域拡大に一役買っている可能性もあるようだ。ともあれ、今度森に入る時は、足もとをしっかり固めてから行く事としたい。

ヤマヒルには悩まされたが、実にいい巨樹探訪だった。まず、巨樹・巨木の定義からだ。何回か宮崎市近郊の巨樹・巨木探訪で測定をしたこともあるが、改めて記しておきたい。

■巨木の定義
地上約130cmの位置での胸高周囲が300cm以上の木。地上130cmの位置において幹が複数に分かれている場合は、それぞれの胸高周囲の合計が300cm以上あり、主幹の胸高周囲が200cm以上のもの。(九州の巨樹・巨木巡り:梓書房より)

綾の照葉樹林の巨樹と言えば、イチイガシ、タブが思い浮かぶが、今回はこれに加えて竹野集落にある国の天然記念物・ホルトノキなども訪れた。
まず、綾町役場裏駐車場側そばの東屋で参加者の顔合わせ。その後、車に分乗して誰もが知る照葉大吊り橋方面へ。途中、千尋(せんぴろ)と呼ばれる所で一旦下車。森を破壊し景観を破壊した小丸川幹線の鉄塔が建っている所だ。参加者の中には、説明を聞いてはじめて問題を意識する人もいた。そしてすぐ脇の千尋の滝へ。県道から約30m入れば出会える滝だ。小さな滝だが、滝のしぶきが暑さを吹き飛ばし、今回の企画を歓迎しているかのようだった。
さて本番の川中公園方面へ。川中公園は照葉大吊り橋よりもっと先の自然公園で、森の中の大きな広場だ。「てるは森の会」作成の地図には、ずっと以前は田んぼだったと書いてある。そうだったかと思いながら見渡せば、確かに田んぼだったように広々している。そこまでが車で、後は歩きだ。今回は川中神社方面はパスし、旧トロッコ軌道跡を製材所跡方面へ向うコース取りだ。歩き始めるとすぐに小さな川中吊橋を渡ったが、眼下では岩に白い水しぶきがわき上がり、ここでも歓迎を受けているようだった。
吊り橋から水路跡を通ってトロッコ軌道跡へ。大きな岩を切りさいたと思しき切り通しを抜けて先へ。シカの鳴き声を聞いたのは確かこの辺り。そして目指すイチイガシの巨木。漢字で書けば一位樫。誰からか、樫の中では一番だから一位樫と名がついたと聞いた。綾の照葉樹林を代表する木のひとつだ。イチイガシは平野部では神社等に大きな木が残されているから、巨樹巡りなどの時はよく目にする。どこの木もまっすぐに伸びて堂々としていて、大好きな樹木のひとつだ。
さて、夏に綾の照葉樹林を訪ねると、一段と緑が濃い。その濃い緑の中に入り、森の内側から見れば、なんとも言えない清々しさがある。木々の黒っぽい幹と太陽の光に透ける葉っぱ、そして照り輝く葉っぱは、どこまでも目にやさしい。
しかし、森の中には小さな危険も潜んでいる。今回は、そのひとつが製材所跡だった。建物基礎や貯木プールのコンクリートが残り、コンクリートに飛び出たボルト、クレバスのように深い溝は、それと知らずに歩けば、つまづいたり落ちたりしてケガすることにもなる。でもこの日はそれなりの人数。お互い注意しながら歩けば、子どもの頃の小さな探検ごっこのようでもあった。そこを過ぎればもう折り返し点。そこにはタブノキが渓流に張り出し、しばしの休憩には絶好の場所。渓流は火照る体を落ち着かせ、ずっと休んでいたくなるほどであった。すぐ下流側には岩の間からこんこんと水が湧き出す湧水地。その下のよどみには、アユとアブラメが、わが領域を犯すなというように泳いでいた。
一息ついた後は、昼食が待つ川中公園方面へ。途中、アンチモンの試掘坑跡やタブノキを見ながら午前の部を終了。

汗かきの私は、昼食の間にシャツを着替え、午後の部に備えた。午後は、何回も訪ねたことがある竹野地区の国指定天然記念物ホルトノキへ。宮崎の巨樹百選にも入っていたがはたしてどうなっているか・・・。
竹野地区は綾町中心部からは綾北川にそって行くのが最も近い。綾北川沿いでは最も奥の集落だが、高齢化が進み人口は少なくなっていると聞く。川沿いの県道は、以前から崖崩れが多く、通れなくなることが多い。しかし、竹野地区までは大丈夫。県道から台地の中程にある集落を抜けると、畑の脇に金網が目につくようになった。イノシシやサル避けだ。そして目指すホルトノキへ。入口の農道にも高い金網がめぐらしてあった。見学のみなので、留め布をほどき中に入らせてもらった。近くに寄って見て驚いた。太い幹が地に落ち、朽ちていたのだ。残る主要部分も長い2本の支え木でどうにか姿を保っている瀕死の状態。見る角度によっては、幹回り630cmを誇った頃の姿を見せていたが、なんとも痛々しい姿だった。長い支え木は、町や樹木医等のこの木に対する思いの表れだ。立ち直れるものなら立ち直り、往年の姿を見せて欲しい。
ところで綾北川沿いに、この木に次ぐホルトノキが発見されていた。県道を少し歩き渓谷へと降りた。綾町で生まれ育った方達にはおなじみの場所のようだった。県道から少し下ると、発電所跡があり、その近くに平たい所があり、かつてはここで水遊びやキャンプをし、雨が降れば、廃墟となった発電所跡で雨宿りしたそうだ。そこからすぐ綾北川に面したところに目指すホルトノキはあった。葉っぱが少ないのが気がかりだったが、根は大きく法面に張り出し、特に板状根の発達が目についた。ホルトノキは、平賀源内がオリーブと間違え、「ポルトガルの木」と呼んだことから名がついたという説があるが、実際は日本に古くからある木のようだ。綾町では街路樹としても植えられているから、発見されたホルトノキも元気に生きながらえて欲しい。

ここまでで予定していた綾の照葉樹林の巨樹探訪は終了したが、おまけが付いた。
宮崎県「新巨樹100選」に選ばれ、地元紙にも掲載されたばかりの明見神社のイチイガシを目指した。「綾町指定天然記念物」でもある。明見神社は1510年(永正7)年都於郡城主伊東尹祐(いとう ただすけ)によって建立され、イチイガシはその時植えられたものだという。それを信じれば、推定とはいえ樹齢ははっきりしている。おおよそ500年ほどだ。傍らの説明板には、樹高18m、目通り幹廻り5.6メートルとあった。実に立派で堂々とした木だ。宮崎の中世史では欠かせない伊東氏の縁ともなれば、また一段と感慨深いものがあった。
という事でお開き。主催は「宮崎の自然と未来を守る会」、案内役は同会の小川渉氏が担当した。「巨樹探訪」というにふさわしい一日だった。


綾照葉樹林に建つ小丸川幹線鉄塔


県道から30mにある千尋(せんぴろ)の滝


「森林セラピー川中自然公園コース」看板






いずれも綾照葉樹林のイチイガシ


渓流に張り出たタブノキの下で休憩


綾南川渓谷


湧水地とすぐ側のよどみ




綾照葉樹林のダブノキ


竹野ホルトノキ


竹野ホルトノキ説明板


綾北川沿いのホルトノキ


堂々とした明見神社のイチイガシ


明見神社のイチイガシ説明板




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迷走台風と稲刈り


台風が、はるか南であれ東であれ、発生するとずっと気にかけておかなければならない。台風5号がそうだ。発生したのは7月21日。宮崎から見ればはるか東の海上だったが、稲刈りをひかえていたので発生時から要注意。
野の苑では、ギャラリーやデザイン仕事と共に米の栽培も手がけている。早期栽培なので、3月末に田植えして7月末から8月初めには収穫だ。今年も、田植えは例年どおり3月末だったのだが、穂が出そろったのが6月29日頃で3日ほど遅れた。そのため、稲刈りは早くて7月30日から1週間と見込んでいた。しかし、この台風が気になり、熟していない部分もあったが28日から刈り取り開始。最終的にはこの判断が功を制し、台風の影響を受ける前にどうにか終了した。
それにしても5号は迷走台風だ。発生からの位置を線でたどれば、「逆のの字」を描き、現在は西の奄美に向いている。その後北上して九州へと向うとの予報だ。
私の田んぼは、稲刈りの後、無理を重ねて耕運まで終らせた。大雨ともなれば、刈り取り後の稲わらは水に浮いてしまい、強風で一カ所に吹き寄せられ、とんでもないことになってしまうからだ。
近隣の集落ではまだ稲刈りが終っていない田んぼも見かける。水に冷たさを感じる頃から育ててきたお米だ。被害が出ない事を望む。また、先月初めに豪雨に見舞われた北部九州の朝倉市や東峰町、日田市などは、まだ爪痕が癒えていないからとても心配だ。

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