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見たかった縄文のヴィーナスと仮面の女神













紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむ


茅野市蓼科の温泉ホテルは期待以上。着いたのは、前日同様暗くなってから。夕食はバイキングだったが、とても美味しく、それ以上だったのが温泉。露天風呂もあり、森の中にいるようでこの上なしだった。風呂に行く途中、通路脇に土偶が2体展示されていた。国宝「土偶」(縄文のビーナス)と 国宝「土偶」(仮面の女神)だ。もちろんレプリカ。隣にあった写真と見比べてみたが、レプリカとはいえ、とてもいい出来で、写真に撮ってこなかったことを後悔している。本物は、八ヶ岳西麓の「茅野市尖石縄文考古館」だ。八ヶ岳山麓は、遺跡も博物館もたくさんだ。縄文期は黒曜石が取れたこともあり、時代の中心だったようだ。フォッサマグナの西域であり、すぐ西には「糸魚川-静岡構造線」が通っている。なので、興味津々。だが、自由がきかないツアー旅。心残りだが、今回は予備調査と考え、再訪を頭に描いた。
早朝、窓からは雲海が見えた。出発はいつもより遅い9時半。すぐ近くの英国式庭園が最初の目的地。ダリア園と聞いていたが、ダリアだけでなく、様々な花が咲き誇っていた。写真映えするので、何枚もパチリ。早めの昼食はここ。紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむお茶会。イギリスの貴族たちのアフタヌーンティースタイルなので、ちょっと優雅な感じ。ジーンズスタイルの私にはちょっと不似合いだったが、同郷の氏と10数年ぶりに同席することができ、子供時代にもどり話しは弾んだ。紅茶とサンドなどは頂いたが、お菓子類は包んでもらった。


雲がかかっていた富士山


ちょっと怖い「かちかち山」のお話


次は最後の目的地~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイだ。八ヶ岳連山を左に見ながらバスは快調に走った。だが、近づくにつれ晴れてはいるが少し雲が多くなってきた。途中、ガイドが盛んに雲行きを気にしていたが、着いた頃には、やはり頂上付近に雲。残念。だが富士山はやはり日本一。ロープウェイ乗り場には、外国からの人も含め人がいっぱい。15分ほど待ってどうにか展望所へ。一瞬でも雲が取れないかと思ったが、思い叶わずだった。ところで、このロープウェイのある山は、実は、昔話「かちかち山」の舞台になった天上山。子供の頃は何とも思わなかったのに、今読んで見ると、騙し合い殺し合いのちょっと怖いお話。ありゃりゃだ、
というようなことで、あとは羽田へと向かったが、都会のビル群が近づくにつれ、自然破壊の現場を見るようでもあった。
(今回の旅行記はこれでおしまい。)
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55年ぶりに上高地から見上げた穂高の山々



大正池と焼岳


もう旅行から帰って10日。雑用に追われる毎日。なので、やっと上高地編。上高地は、なんと55年ぶり。55年前は、富山県側から入り、剱岳周辺で約1週間。その後、立山、五色ヶ原、薬師岳、野口五郎岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳を経て明神岳から上高地へ降りた。今はもうそんなことはできない。だが、やはり山は呼んでいる。ということで、バスツアーで上高地を目指したというわけだ。
とはいえ、せっかくなので少しは歩きたかった。なので、大正池から河童橋まで歩くことにした。私のバスの大半は歩きを選択したが、ツアーによっては、数人しか歩かない場合もあるとのこと。バスを降りると、すぐに焼岳が見えた。今は、7合目付近まで緑に見えたが、55年前は、もっと下まですごく赤かった記憶がある。









大正池から梓川沿いは、カラマツ林を歩いたり、クマザサが生茂るところを歩いたり。途中、ハイカーや登山客とすれ違うことしばしば。時々クマベルを下げている人も。大きなクマベルがある所があった。今年は、全国的にクマ被害のニュースがとても多い。それ故か、その場所ではほとんどの人が紐をひっぱってベル鳴らしていた。当然、私も。


岩肌のウェストン碑






穂高の山々と河童橋

一息つく頃、車も通る田代橋に出た。そこから対岸へ渡り、歩を進めウェストン碑の場所へ。ウェストンは日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師だ。ウェストンのレリーフがはめ込まれた岩の前で、おばあちゃんが写真におさまっていた。90歳ほどに見えたが元気矍鑠。私も負けてはいられない。目指す河童橋はそこからすぐだ。対岸には紅葉前のカラマツ林。足下はエメラルドグリーンの流れ。どこまでも澄みきっていた。そういえば、上高地へのマイカー乗り入れは禁止されていた。途中からタクシーかバスにしなければならないのだ。理由は、「美しく自然豊かな上高地を維持していくため」という。どこでもこうありたいものだ・・・。
そうしているうちに、河童橋が見えた。5代目だという。だが、55年前とはえらい違い。観光客であふれていたのだ。ちょっと残念。でも私もその一人だ・・・。気を取り直して、人混みを離れて穂高の山々を見上げた。吊り尾根付近は、白い雲におおわれていたが、あそこを歩いて降りてきたのかと55年前を振り返った。
こうして目的だった上高地を終え、松本から諏訪湖をへて、蓼科の温泉ホテルへ着いた頃は、この日も暗くなっていた。
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最高に美味しかった信州味噌






初日にホテルに着いた頃は、もう真っ暗。とても大きなホテルで、棟が分かれているため中は迷路のごとし。一度部屋に入り、夕食がとれるレストランまで行くのに迷うこと2、3度。慣れるまでちょっと時間が必要だった。食事はバイキング。子供たちの元気な声の中で済ませたが、美味しかった。翌朝、出発前にホテル中庭の写真を一枚。これでホテルの雰囲気は分かるはずだ。綺麗なホテルだ。
さて2日目は、少し白い噴煙をあげている浅間山を車窓に見ながら松本市を目指した。途中、高原キャベツ畑の中を抜け、六文銭の本拠地・真田を抜け、上田から高速に乗り、千曲川を横切り、姨捨SAで小休止。「姨捨」の看板文字を期待したが、「OBASUTE」の文字のみ。「姨捨」の看板があれば、みんながその前で写真を撮るはずだ。隣には「爺捨」があったりして・・・。見晴らしが良かった。SAのすぐ下には、いっぱい実を付けたリンゴの木。そして、遠くには長野市内まで見渡せた。地図案内板には長野・善光寺もあった。歴史好きならば、「川中島古戦場跡」など、なかなか興味をそそられる所だ。「姥捨」で思い出したのは、今村昌平監督の「楢山節考」。主役に緒形拳と歌手の坂本スミ子が演じたが、坂本スミ子は、主役を演じるのは今後ないだろうからと、前歯4本を抜いて撮影に臨んだそうだ。1983年作だから、もう40年前の作品だ。プロ魂すごい。





次に目指すは、松本市内の古くからあるお味噌屋さん。ここで少し早めの昼食も取ることになっていた。着くとすぐに味噌蔵へ。大きな味噌樽が並ぶ前の説明では、天然醸造はもう1%とか。松本の話ではなく、日本中での話だ。一年経つと二年目の樽に、もう一年経つと三年目の樽に移すのだという。「力持ちが数人で樽を持ち上げ、次の樽へどっこいしょと移し替えるのだ」と笑わせる。そんなことはできない。なにせ樽の大きさは背丈以上だ。何トンかあるはずだ。実際は、職人たちがスコップでひとすくいずつ移し替えるのだ。樽は杉樽。その樽の周りを、竹で編んだ大きな輪で締めてある。一部には金属で締められているものもあったが、もう職人がほとんどいないのだという。でもこれを引き継いで行きたいのだという。そのため、日本中から職人が集まって、作ったという新しい樽が一つあった。それほど、もう職人がいないのだ。これだけで高級車が買えるほどの値段だそうだ。樽を移すごとにお味噌の色は黒みを増していくという。そして、三年目の黒いお味噌が出来上がるのだ。
さて、待ちに待った昼食。蔵の中での昼食だ。これが美味しかった。写真を撮っておけばいいのに、お箸が先に出て、写真無し。ちょっと大きなお味噌汁風のほか色々。とても美味しかった。なので、三年味噌のほかに、ゴボウの味噌漬けときゅうりの味噌漬けをお土産に買った。食レポ無しだが、これで美味しかったことが少しは分かるだろう。
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旧軽井沢で李禹煥(リ・ウファン)の絵に出会った

ジョン・レノンが愛したという「フランスベーカリー」







旧軽井沢銀座通りを歩いた。だが、田舎育ちの私には、都会っぽい所はちょっと苦手。そんな中で見かけたジョン・レノンが愛したという「フランスベーカリー」。シンプルな店構えがとてもいい雰囲気。フランスパンを抱えたジョン・レノンの姿を見たかったな〜!。でも、会えるはずないよね。熱狂的ファンに撃たれたのはもうずっと前のこと。生きていれば、もう爺さん。だが、戦火が絶えない世界に向けて、きっと希望のあるメッセージを贈ってくれたはずだ・・・。
もうひとつ目を引いたのは、いくつもあるギャラリー。4、5軒あったような気がする。ほとんどのギャラリーを覗いてみた。最初に入ったギャラリーは、藤田嗣治のものがほとんど。版画だから、それほど高くはなかったが、それでも数十万円。これはいいと思ったのはエッチンングの作品。200万円近かった。ここのギャラリーだったか、ビュッフェのものもあった。ちょっとポップな絵が並べられていたギャラリーには、バンクシーや奈良美智の作品とともに、店の一番奥にウォホールの「フラワー」があった。もっとも、オリジナルではないようであったが、しばし見入った。バンクシーは先日も大分市美術館で観たばかりだったこともあり、ちょっと食鳥気味。私と出違いに店に入ってきたのは、韓国からの若い二人。スマホ片手に、足早に店に入っていったから、あらかじめ店の情報を知っているように見えた。何か目当てがあったのかもしれない。こういう中、通りの向こうに「李禹煥展」の小さな看板が見えた。そこを覗くと、他の作家の作品の中央に、2点の作品が展示してあった。いつもながら、「空間」や「間」を感じさせる作品だった。李禹煥(リ・ウファン)、なかなかの人物だ。すごい。


「白糸の滝」


「白糸の滝」からの流れ

旧軽井沢の散歩を終える頃には、もう陽も傾き始め、冷気が降り始めていた。だが、翌朝の予定だった「白糸の滝」を、陽が沈む前に行くことになった。翌朝が楽なのだという。なので、所々に別荘が見える七曲の森の道をバスは急いだ。そして、暗くなる前に「白糸の滝」へどうにか到着。バスを降りるとすぐだった。全国に「白糸の滝」は数多あれど、幅の広さや湾曲したフォルムが人を惹きつけるのだという。幅70m・高さ3mなので、花火のナイアガラのような優しい滝だ。私的には、「白糸の滝」の滝つぼから流れ下る小さな滝の方が好きだった。こうして初日はおしまい。ホテルへと急いだ。
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懐かしいものがいっぱいの「川越」







「時の鐘」とその周辺

雑用に追われる毎日なので、ちょっと一息のつもりで「上高地」が入ったツアーに参加。2泊3日の旅だ。初日は宮崎空港を早朝出発。羽田に着いてすぐに参加者と合流、となればよかったのだが、こちらはリュックのみ。なので、荷物受け取りの人たちとは、別の出口。そのため、合流口を探すのに一苦労。でも、なんとか皆さんと合流。そしてバスへ。そこからすぐに高速地下トンネルへ。18kmだったか、日本で一番長いトンネルとか言っていたようだ。
そして着いたところが、埼玉県川越市。川越については全く知らなかった。行ってびっくり、蔵造りの建物がずらりと並ぶ江戸情緒あふれる町だった。連休あけるなのに、環境客がずらり。バスの中で「時の鐘」を教えてもらったが、そういえば写真で見たことがあるような・・・。ということで、先ず最初にそこを目指した。写真で見たのは「あゝ、ここか。」という思いで、私も角度を変えて数枚パチリ。
若い人が多い。それも二人連れ、外国からの観光客も目に付く。韓国語、英語、広東語などが耳に入ってくる。ちょうどお昼時だったので、食処を探した。朝ごはんを食べる間もなく、飛行場へ急いだので、お腹ペコペコ。運のいいことにお店はすぐに見つかった。写真には撮らなかったが、食べたのは値段もリーズナブルな「かすが御膳」。川越名物の「芋そうめん」も付いてきて、とても美味しかった。





お腹を満たしたところで、菓子屋横丁へ。金太郎飴や金平糖など昔懐かしい菓子類がいっぱい。どれも美味しそうで、安いし、買いたいものがいっぱい。だが、ぐっと我慢して、コーヒー糖だけ買ってブラブラ。最後に、少し歴史文化遺産にも触れてみたいと、「川越まつり会館」へ。ここで初めて川越の大きさを知ることとなった。なにせ、祭に使われる山車の大きさや数がとても多いのだ。九州で言えば、「博多祇園山笠」や「長崎くんち」といったところだろうか。展示してあった古い山車の絵からも、江戸期の町の規模や賑やかさを感じることができた。山車の上に乗る人形だろうか、狐の像を写真におさめ、後ろ髪を引かれながら、次の目的地・軽井沢へと向かった。
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