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飫肥の大クスと弥五郎様






威風堂々の大クスに出会った。大クスというより巨大クスと言った方が良さそうなほど、堂々としていた。「串間原発」反対行動や日々の原発反対行動で共にした、仲間の告別式に出かけた帰りのことだ。ちょうど正月三が日は、「弥五郎様」が日南市飫肥の田ノ上八幡神社におられると、友人が案内していたので、寄ってみた時のことだ。
「みやざき新巨樹100選」のクスノキだ。案内板には、樹高30m・幹周り9.2m(平成4)とあり、市天然記念物にも指定されている。飫肥と言えば、日向の小京都と言われるほど、きれいに整備された城下町だ。その北東、鬼門の方角に田ノ上八幡神社はあった。駐車場に車を止めて、急な階段へ向かうと目の前に現れたのが、この大クス。天正16年(1588)、初代藩主となる伊東祐兵(すけたけ)が、伊東家再興の記念として手植えしたと伝えられているようだ。だとすれば、推定樹齢435年ほどだ。だが、ちょうど居合わせた宮司の話では、植えられた時、既に少し大きかったのではないかとも・・・。飫肥に行く機会があれば、見逃す手はない。





そして、「弥五郎様」だ。階段を上ると、神社の前に立っておわした。なぜか、「立っておわした」と言いたくなる。高さ7mの巨大な人形だ。なぜここにあるかと言うと、伝説では、「稲積弥五郎」なる巨人が八幡様の御神体を背負ってこの地にやってきたからだという。宮崎県山之口町や鹿児島県大隅町にも「弥五郎様」人形はあるが、山之口町が長男、大隅町が次男、飫肥にあるのが三男という。ただ、そういう説だ。同一人物と言うことだってありそうだ。それにしても、赤面に茶色いひげで白い烏帽子をかぶり、紫色の着物を来て赤い袴、そして左手に太刀、右手に大きな槍を持ち、金色の目で睨みをきかす姿は、大クス同様、威風堂々としていた。
尚、わが地の集落名も同じ「田ノ上」。何かしらの縁を感じて、宮司に「田ノ上」の由来を尋ねてみた。しかし、当時周りが田んぼだったからではないかというくらいで、詳細は不明ということだった。
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