男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

新潟県の市嶋家由来

2012年06月11日 | この名字のルーツは?
新発田藩・溝口藩主の士分格御用達
豪農市嶋家の祖・弥惣右衛門は、丹波国氷上郡市嶋村(兵庫県丹波市市島町)に住居して、市嶋氏を称します。その後若狭国高浜(福井県大飯郡高浜町)に移り、天正7年(1579)高浜城主溝口秀勝公の家士となります。天正11年(1583)柴田勝家討伐の功により、溝口氏が加賀大聖寺城(石川県加賀市)に移封となり、これに随従して市嶋氏も加賀に移り、溝口家の士分格御用達を勤めます。慶長3年(1598)豊臣秀吉の大名政策によって、溝口氏は越後国蒲原郡新発田藩(新潟県新発田市)に移封、再度随従して蒲原郡五十公野村に住みます。

弥惣右衛門の長男筋は、後に五十公野村から佐々木下新田(横井)を経て佐々木上新田村(笠柳)へ移住します。弟筋は、五十公野村から蒲原郡水原(阿賀野市)へ移り、越後有数の豪農となります。
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