山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

猿ときたら、連想するのは・・・

2011年09月15日 | 歴史ネタ
秀吉です。

で、アップし忘れていたブログネタを思い出しました!

女坂を登り詰め、
鳥居を潜ると、そこが「太閤坦」と呼ばれていた場所です。
1598年。
秀吉が没したあとに、豊国大明神となった秀吉を祀る壮大な社殿が建ち並んでいた場所です。
1615年
豊臣滅亡ののち、徳川により社殿は破却され荒れ果てていたこの地でしたが、
秀吉の300年忌にあたる明治30年に、豊国会の手によって廟宇が再建されというわけです。
(豊国神社は、明治16年に方広寺大仏殿跡地へ再建)


平地の参道を通り抜け、
拝観料50円を払って、階段を登ります。


二百段ほど登った地点に、平地と中門があります。


この平地こそが、当初秀吉が埋葬された場所とのことです。


明治の再建で、参道階段はさらに山頂まで延長されています。


ここからは、かなりの急勾配となります。
さらに、150段以上は登らねばなりません。


山頂には、明治期製の巨大な五輪塔が建立されています。


別角度にて。


ところで、
この日の探し物は、明治三十一年四月製の画像灯篭でございました。


なんと刻んであるか、お判りになりますか?


正二位勲一等侯爵蜂須賀茂韶

司馬遼太郎を読んだことがある方なら、明治天皇のエピソードを覚えていらっしゃるかもしれません。

明治期の、再建されたての豊国廟。


秀吉フリークでしたら、当然おさえておくべきポイントのひとつですね。

PS.
ちょうど四百十一年前の慶長5年9月15日。(当時は旧暦ですから若干の誤差はありますが)
天下分け目の関ヶ原で、光成率いる西軍が敗北した日なのでした。



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