副題からじゃ、いかがわしい宴席を連想させますが、さて?
いかように感ずるかは、読者次第でございます。
出発地点はこちら。
参加者7名は、眼前の尾根を右側より取り付きます。
そしてわが町最大の忠魂碑地点です。
概要を記しておきます。
建設年月日 大正10年11月3日
除幕式 大正11年1月22日
総工費 174円40銭
高さ 4m
幅 1.5m
厚み 20cm
台座 1.8m
書丹 陸軍大将 田中義一
書丹石工 屋号は権太郎
顕彰戦役 西南戦争~満州匪賊討伐 没者
左側の小ぶりな慰霊碑が、中華事変と大東亜戦争のものです。
そこよりS富士を鳥瞰します。
富士というよりも、地元でい言うところの「逆さシッタカ」です。
人物より、忠魂碑の大きさをご確認くださいませ。
さらに、城山(じょうやま)へ上り詰めます。
鍋蓋をひっくり返したような、中央部分に僅かな窪みがある地点です。
戦国時代に山城を築くには、もってこいの場所ですね。
10年前に土砂崩れが起きた東斜面を下ります。
そして本線より寄り道し、本日の第一のチェックポイントへ到着です。
点標が埋めれていますが、刻まれた文字は判読できません。
「濱実」と読めなくもありませんが・・・
付近に「← 一ッパイ水」と刻まれた樹木がございます。
で、そこから南側に見える風景
その1
その2
さらに、分岐点より北上した地点の高圧鉄塔からの風景です。
以前は北側にも眺望がありましたが、潅木がそれを遮っておりました。
この赤い実はなんでしょう?
天空を見上げれば、まずまずの天候です。
風もほとんど吹いておりません。
さらに尾根筋を北上し、鞍部へ下ります。
ここですよ、ここ。
過去に踏破済みのルートですから、間違うはずもありません。
後編へつづく
いかように感ずるかは、読者次第でございます。
出発地点はこちら。
参加者7名は、眼前の尾根を右側より取り付きます。
そしてわが町最大の忠魂碑地点です。
概要を記しておきます。
建設年月日 大正10年11月3日
除幕式 大正11年1月22日
総工費 174円40銭
高さ 4m
幅 1.5m
厚み 20cm
台座 1.8m
書丹 陸軍大将 田中義一
書丹石工 屋号は権太郎
顕彰戦役 西南戦争~満州匪賊討伐 没者
左側の小ぶりな慰霊碑が、中華事変と大東亜戦争のものです。
そこよりS富士を鳥瞰します。
富士というよりも、地元でい言うところの「逆さシッタカ」です。
人物より、忠魂碑の大きさをご確認くださいませ。
さらに、城山(じょうやま)へ上り詰めます。
鍋蓋をひっくり返したような、中央部分に僅かな窪みがある地点です。
戦国時代に山城を築くには、もってこいの場所ですね。
10年前に土砂崩れが起きた東斜面を下ります。
そして本線より寄り道し、本日の第一のチェックポイントへ到着です。
点標が埋めれていますが、刻まれた文字は判読できません。
「濱実」と読めなくもありませんが・・・
付近に「← 一ッパイ水」と刻まれた樹木がございます。
で、そこから南側に見える風景
その1
その2
さらに、分岐点より北上した地点の高圧鉄塔からの風景です。
以前は北側にも眺望がありましたが、潅木がそれを遮っておりました。
この赤い実はなんでしょう?
天空を見上げれば、まずまずの天候です。
風もほとんど吹いておりません。
さらに尾根筋を北上し、鞍部へ下ります。
ここですよ、ここ。
過去に踏破済みのルートですから、間違うはずもありません。
後編へつづく